2019.01.27【高麗山~湘南平】報告 保倉惠美子
2019年1月27日(日) 天気:晴 レベル:一般弱
担当リーダー:保倉惠美子(投稿者)
協力リーダー:辰巳哲夫
サブリーダー:金子 敬
協力者:猪瀬幸子 池田正義
参加リーダー:有里会長 渡邊幸一 岩間英之
参加者:38名(男性14名 女性24名)
コース:JR大磯駅9時30分着 歩行開始9:50→旧東海道・化粧坂→高来神社10:25→東天照11:00→高麗山11:15→浅間山11:45→湘南平12:00(昼食)12:50→東小磯配水池13:20→高田公園13:40→大磯駅14:00 解散
歩程約3時間
歩行開始9:50から10分位で旧東海道に入ります。松並木が旧東海道を偲ばせます。
色々な史跡が残っています。史跡を見ながら高来神社に向かいます。
江戸見附:宿場の出入り口に作られた構造物です。宿場の江戸側にあるのが、江戸見附。京側にあるのが上方見附。
大磯八景:明治40年頃、大磯町宮代町長が大磯の名所八景を選んで絵葉書を出したのが始まりです。
東海道五十三次之内大磯虎ヶ雨
歌川広重が1833年頃に作成した浮世絵。曽我十郎の愛人虎御前が十郎の死を悲しんで流したであろう涙を「虎ヶ雨」とも呼ばれています。虎御前はこの辺りに住んでいました。
化粧(ケワイ)坂一里塚:徳川家康が1604年 日本橋を起点として各街道に1里(約3.9m)ごとに塚を作りました。旅人の休憩場所は旅程の目安として大事に扱われていました。
化粧井戸:虎御前が朝夕にこの井戸の水で化粧をしていたことから名づけられました。
虚空蔵堂:ここに下馬標が立っていました。大名行列もここで下馬し、東照権現(東照宮は家康の神影)を祀られていた高麗寺(コウライジ)に最敬礼をして静かに寺領内に入りました。
明治になって神仏分離により高麗寺から高麗神社そして高来神社に改称されました。
創始は神功皇后が三韓征伐(新羅出兵)で勝利した際に、高麗大神和光(高麗権現)を遷(うつ)し祀り天下の平和を祈願されたことから始まります。
女坂、男坂が一般に使われている登山道ですが、今回は違うルートで、生涯学習館の方向に進みます。
11:15 高麗山山頂:展望はありません。 昔はお寺があったそうです。そのせいか、今でも道標には大堂と書かれています。
668年高句麗国滅亡するや高句麗の王族若光は大磯の高麗に渡来して大陸文化を伝えました。高麗若光と高句麗の人が多く住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになりました。
江戸時代、富士山を神とした浅間信仰が広まりました。しかし富士登山は費用と日数がかかるため、浅間社を富士山がきれいに見える高台や山頂に祀り、そこをお参りしたという事です。
12:00 湘南平 楽しいお弁当の時間です(*’▽’) 風もなく思ったより暖かです。
高田公園から大磯駅に向かう道は急坂を下りていきます。海の景色は素晴らしいです。
14:00 大磯駅 解散
リーダーコメント
参加者の皆様お疲れ様でした。真っ青な海と雪化粧をした富士山に感動! 好天に恵まれ、1月とは思えない暖かな陽気で思い存分皆様とご一緒にハイキングを楽しめました。楽しく山行を終えられたことに感謝いたします。
参加された各リーダー、サブリーダー、協力者の方々お疲れ様でした。ご協力ありがとうございました。
保倉 惠美子