2019.07.15 【 観音崎灯台~浦賀の渡し : 三浦半島№2 】 報告 松木千恵子 L
2019.07.15(月・海の日) 【 観音崎灯台~浦賀の渡し : 三浦半島№2 】
▼天 気 : 曇り時々小雨
▼レベル : 2⃣ 一般向弱
▼担当 L: 松木千恵子
▼参加 L: 中嶋要一
▼協力者 : 石田さとみ 桜井敏子 名児耶髙宏(投稿)
▼参加者 : 19名(男性 8名、女性 11名)
▼コース : 京急馬堀海岸駅 10:00 ー 馬堀海岸 10:05 ー 走水水源地 10:34 ー 走水神社 14:11
ー 県立観音崎公園(昼食)11:53~12:30 ー 灯台 12:36 ー 東叶神社 14:11 ー 浦賀の渡し場 14:35
ー 京急・浦賀駅 15:00
▼全行程(休憩時間含む) : 5時間 歩行距離 : 約12.4Km
▼コース状況 :
馬堀海岸から、東京湾を望む海沿いの道を観音崎へ、日本最初の様式灯台から浦賀水道を行き交う大型船舶を眺め気分爽快になりました
時々小雨でしたが雨具を付ける事はありませんでした
馬堀海岸の遊歩道
京急は久里浜迄しか行かなかった時代、ここは海水浴場で賑わったが、埋め立てられ住宅地に
走水 横須賀水道 水道水源地
横須賀水道の始まり水源地、
明治時代、横須賀製鉄所、造船の用水確保するため利用された、その後は海軍水道に利用された
敷地内の桜 毎年解放され お花見が盛大に開催されている
ペットボトル数本に給水している人がいました。湧き出る水はカルシュムなど多量に含み美味しい水として有名
横須賀美術館 「せなけいこ」 展が開かれていて大勢の小さな子供さんが前庭で遊んでいました
東京湾一番狭い場所で行きかう大型船舶が見られた、左は自動車運搬船、右はタンカー
船も右側通行と解りました、どれ位離れているのかな?
観音崎灯台
日本最初の様式灯台として明治元年に起工された。映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地としても知られている。現在の灯台は3代目
現在は隣にある「東京輪海上交通センター」で東京湾を航行する船舶の航行管制を行なわれている
戦没船員の碑
戦争で亡くなった民間船員6万人の慰霊と平和を願って建てられた慰霊碑
東西叶神社
浦賀の港を挟んで、東叶神社、西叶神社が向かい合っていて東西で一対となっているとの説もあるそうです。西叶神社の勾玉を、東叶神社のお守り袋に納めて身につけていると、恋愛をはじめさまざまな良縁を結んでいただけるそうです。今回は西叶神社の参拝しませんでした。我々には関係ないかな?
神社の裏山を明神山と呼び、標高約五十メートルで石段224段、きつかった
北条氏の頃、しばしば房総半島の里見水軍が三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置しました。山頂には、浦賀城址の標識、神社の奥宮があり、その左手に「勝海舟断食の場」の標柱が立っています
日本の使節団が太平洋を渡るための船、咸臨丸は浦賀造船所で修理されました。咸臨丸に乗船する予定の江戸幕府海軍操練所教授方頭取である勝海舟が、咸臨丸が修理される間断食をしたと言われている
浦賀の渡し
港に隔てられた東西の浦賀の町を行き来する人にとって、大切な交通手段です。時刻表は無く、渡船が対岸にいるときは、呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれます。約3分ほどの船旅で料金は200円、 この渡船の航路は「浦賀海道」と名付かられ、全国でも珍しい水上の市道(2073号線)になっている
浦賀造船所跡地に建つクレーンやドックを海から眺めることができる
・今回は参加皆様の希望で乗船せず直接ゴールの浦賀駅に
徳田屋敷跡
浦賀の旅籠の草分けである徳田屋には、多くの武士や文化人が宿泊。現在の建物は民家で関係ないそうです
松木リーダーコメント
潮風を浴びながら浜辺のウォキング 海の記念日に皆さんと楽しく歩く事ができ感謝です。
ロングコースを頑張りました。ご参加ありがとうございました。
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