2019.09.22【恩田川沿い】佐野俊一郎報告
恩田川沿い
令和元年9月22日(日)天気晴
成瀬尾根と恩田川沿い散策
リーダー:佐野俊一郎
参加者:17名 男性6名 女性11名
協力:平山亨・大谷貴与(参加費徴収)
協力リーダー:中嶋要一
集合:JR横浜線成瀬駅時改札口9時
JR横浜線成瀬駅→成瀬駅ガード北→成瀬駅東南に焼き肉屋過ぎのT字路右往復→堂之坂公苑→市立総合体育館➝成瀬中央橋→突き当り右に南第2小信号→南第二小前→東雲寺入り口信号→成瀬杉山神社→東雲寺➝山吹緑地→緑地の終わりを左折→山道を歩く→携帯基地局→成瀬尾根→尾根道の終わりを左折→庚申塚公園左に成瀬三丁目右折→ポプラヶ丘→成瀬三差路右→信号を渡り→かしの木山自然公園→南大谷小→南大谷中→恩田川自転車道路(恩田川遊歩道)→高瀬橋→弁財天公園→扇橋を右岸に渡る→城山公園(成瀬城跡)→成瀬駅東信号右折→成瀬駅前信号左折→JR成瀬駅解散13:23
JR成瀬駅9:00 駅前の成瀬駅前交番を右に
次の信号を北へ次の成瀬駅東を右に 焼肉屋前T字路を右に入る
堂之坂公苑9:12 地頭・旗本の井戸氏の米蔵跡
公園内散策
園内に水琴窟 管理室前で管理人の説明を聞く9:25
町田の民話と伝承
井戸忠兵衛重弘は寛永十年(1633)年の地方直しで成瀬村・小川村のうち四五一石七斗六升七合の知行地を賜った。以後、井戸氏は幕末まで両村の地頭であった。 旗本采地の地行米は江戸に運ばれたが、一時的に保管したのが現地の米蔵であろう。跡地は堂之坂公苑の一角である。昭和40年代の終わり頃まで米蔵の一部の建物が道路をへだてた堀江家に移され味噌部屋として使われていた。・・( 堂之坂公苑内にある説明板より抜粋)
T字路に出て東に市立総合体育館 東に恩田川中央橋と川崎汽船研究所
成瀬中央橋を渡り突き当り左に南二小東を 北西に進む9:32
成瀬街道を北西に 成瀬杉山神社9:32
成瀬杉山神社拝殿 成瀬杉山神社御由緒
隣に井戸氏の墓のある東雲寺9:47
東雲寺参道 東雲寺山門
東雲寺本堂参詣 東雲寺参詣後出発9:54
県境尾根に上る 尾根・成瀬山吹緑地
涼風の尾根道
里山の農村風景 町田側山林と左神奈川側農地
緑地で休憩観察用か樹に名札10:09 ヤマザクラ
シラカシ ウワミズザクラ
休憩後出発10:14 続く尾根道北に進む
下には街並みが見えてくる
8尾根道が終わりに近づく 県境尾根の終わり10:26
尾根から日在に下りる住宅街に走る 西に庚申塚公園10:29休憩
南に下る成瀬3交差点を西に ポプラヶ丘
けやき通り成瀬台信号 成瀬三ツ又信号を右へ
成瀬三ツ又信号11:01 かしの木山自然公園標識左に入る
ゆるやかな坂を上る公園前の石段 石段の上で右に入ると入り口が見える
公園入り口11:12 入り口右に 案内版
頂上に東屋11:14~11:50昼食
出発11:50 管理事務所トイレ借用11:54
管理事務所前の紫先代萩 かしの木山自然公園出発12:00
隣に日本大学学生寮 坂を北西に下り学生寮を左に巻く
二つ目を右折
突き当り南大谷小を南に下る 並んで南大谷中学
南大谷中学グランド尻を西に 恩田川に突き当たる12:16
恩田川の流れ道路は暑い 三蔵寺橋に立つと涼しい風が吹き通る
旧高瀬橋12:25 高瀬橋12:26
高瀬橋右岸の公園水分補給休憩 高瀬橋上流、下流は東に流れる
恩田川の流れが東に向く所鹿島橋 弁天橋で左岸に移る
左岸に弁財天公園に建つ 弁財天御由緒12:46
トイレ休憩後出発12:53 扇橋で右岸に渡り下る
お墓手前の石段を上る12:59 恩田川崖上に城山公園
成瀬城址13:0 城山公園で休憩 成瀬城由緒
8 城の北東に鎌倉街道会下山橋 会下山橋を南に成瀬東交差点を西に
、
成瀬駅前信号の左に入ると成瀬駅
JR成瀬駅解散13:23