2019.10.26【川越街道歴史旅No.1】報告 保倉惠美子
2019年10月26日(土) レベル:ウオーキング②
天気:晴れ後曇り
担当リーダー:保倉惠美子(投稿者)
協力者:猪瀬幸子 池田正義(写真)
参加リーダー:会田政子 柴崎 実 佐野満喜子 関根直樹
参加者:58名(男性17名 女性41名)
コース:JR板橋駅10:00集合 歩行開始10:10→近藤勇の墓→東光寺→四つ叉馬頭観音11:00→お大山ハッピーロード11:20→大山福地蔵11:35→豊敬稲荷神社11:50→下頭橋12:00→長命寺12:15→南ときわ台公園12:20昼食13:05→五本けやき13:30→三叉馬頭観音14:15→大山道標・東高野山道標14:20→徳川綱吉御殿跡14:35→浅間神社14:50→北町観音堂15:05→本陣跡地緑地15:15解散
歩程:3時間 行動時間5時間5分
JR板橋駅 10時集合
近藤勇の墓 駅の目の前にあります。
新選組組長をしていた近藤勇はこの地殻の板橋刑場で処刑されました。後年永倉新八により近藤勇、土方歳三の供養碑が建てられました、永倉新八のお墓もあります。
平尾追分 JR板橋駅からここまでは旧中山道の板橋宿の平尾宿です。
歩道はワインロードと言って、ワインボトルを砕いて作ってあるので、キラキラしてきれいです。
境内には高さ3mの石造地蔵菩薩坐像や庚申塔があります、どちらも板橋区の有形文化財に指定サれています。
宇喜多秀家の供養塔
戦国時代の武将宇喜多秀家は西軍についていたため八丈島に流され、その生涯を八丈島で閉じます。明治になって赦免された子孫が供養塔を建てました。
11:00 四つ叉馬頭観音
牛馬の供養と共に交差点の道しるべとして安置されていました。
11:10~11:30 旧川越街道は大山遊座から国道254号線(今の川越街道)までながーい商店街を歩きます。
11:35 大山福地蔵
約200年前お福という行者がきて、街道筋の人々の難病などを癒し、大山に住み余生を人々のために尽くしました。今でもお福地蔵として地元の人たちに祀られています。
11:50 豊敬(トヨウケ)稲荷神社
神社少し手前の道から上板橋宿に入りました。
境内には上板橋宿復元図があります。「六丁四拾間」約730mと記されていて小さな宿場だったようです。本陣、脇本陣もなく、名主の河原与右衛門家がその役を務めていたそうです。
「旧三春屋」昭和初期、説教強盗が出没。米穀商をしていた三春屋にも入り「泥棒に入られやすい」とか「犬を飼いなさい」とは説教をしたそうだが、三春屋で着いた指紋から説教強盗が捕まったとのこと。
12:00 下頭橋と六蔵祠
下頭橋の云われは3つあります。
①旅の僧がこの地に来て地面に突き刺した榎の枝がやがて芽をふいて大木に成長した。
②川越城主が江戸に赴く際に、江戸屋敷の家臣がここまできて頭を下げて迎えた。
③橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が掛け替えられた。
六蔵の遺徳をたたえて六蔵祠が建てられました。 どうも③番目の話が本当なのかもしれません。
ここで、上板橋宿は終わりです。
12:15 長命寺
板橋城がここにあったのではないかと伝えられていますが、物証となるものが出土されていません。
しばらく国道254号の現川越街道を歩き、下練馬宿に入りました。
13:30 五本けやき
昭和初期の川越街道の拡張工事の際、この辺りの村長をしていた飯島氏が屋敷林の一部のケヤキを残すことを条件に土地を提供しました。
14:00 下宿(シモジュク)広場
説明をしていた時に向かいのお米屋さんから北町(ここら辺)のチラシや案内図を頂きました。北町商店街は「下練馬宿」に力を入れています。
江戸側から下宿、中宿、上宿に分かれています。本陣、脇本陣、問屋場がありました。
14:20 大山道標、東高野山道標
旧川越街道とふじ大山道の分岐点に宝暦三年(1753)八月、下練馬講中によって建てられた道標です。
環状八号線の工事により西側に移動(案内坂より抜粋)
東高野山は西武池袋線練馬高野台にある長命寺のことです東の高野山といわれています。
14:35 徳川綱吉御殿跡
5代将軍綱吉がこの地に鷹場御殿を建てました。
綱吉は脚気を患い、陰陽師に「馬」のつく土地での療養が良いと言われ、この地で療養。大木金兵衛にすずしろ(大根)を作らせ、食したところ治ったことから練馬大根が広まったといわれています。
15:05 北町観音堂
天和2年(1862)銘の聖観音坐像は台座を含めて270㎝で練馬区最大の石像です。
リーダーコメント
参加者の皆様お疲れ様でした。川越街道の旅はいかがでしたか? 大雨の翌日の山行で山行中止が多っかたためか沢山の方が参加してくださいました。史跡巡りで説明が多い行程でしたが、下手な説明を熱心に聞いてくださりありがとうございました。また声が行き届かなく、聞こえない方々も多くて申し訳ございませんでした。この先もご一緒に川越まで旅を続けていかれることを望みます。
保倉惠美子