2019.12.21【川越街道歴史旅No.3】報告 保倉惠美子
2019年12月21日土曜日(22日 日曜日) レベル:ウオーキング② 天気:曇り
※22日が会報記載日だったが、雨天予報のため前日に変更とホームページにアップ。しかし前日変更のため見てない方もいらっしゃると思い、22日も集合場所に行ったら12名いらっしゃったので、22日も実施しました。人数は合計で書いてあります。写真とタイムは21日分です。
担当リーダー:保倉恵美子(投稿者)
協力リーダー:辰巳哲夫
協力者:池田正義 猪瀬幸子
参加リーダー:有里公雄 渡邊幸一 関根直樹
参加者:33名(男性14名 女性19名)
コース:和光市駅10時集合 歩行開始10:10→うけら庵10:20→朝霞駐屯地・りっくんランド10:40→かせぎ坂→一乗院11:40→脇本陣村田屋→閻魔寺12:00→目黒川12:15(昼食)12:50→たびやの坂→横町の六地蔵13:05→平林寺寺号石13:20→野火止用水10:40→ふるさと新座館14:00→新座駅14:40 解散
10:00 和光市駅 童謡作家清水かつらの歌碑。清水かつらは和光市に住んでいました。
10:10 朝霞駐屯地は2020年東京オリンピックの射撃競技会場です。
時間があれば、ゆっくり見たいところですが、先があるので15分の見学でした。
かせぎ坂 写真では分かりづらいですが、かなりの勾配があります。昔荷車を押す人たちがいて駄賃を稼いていたということから「かせぎ坂」といわれていたそうです。
かせぎ坂を下り、右折したところから膝折宿に入ります。
かせぎ坂の途中にあるお不動様。
※膝折宿:天領だったためか、江戸に近い方から上宿、中宿、下宿となっていました。
11:40 一乗院 創建年代は不詳ですが、武蔵国に高麗郡が設置された716年の後戦乱があり、戦乱を逃れた5人(高麗氏)が創建、観音寺と呼ばれていたそうです(猫の足あとより)
江戸時代には寺小屋もやっていた。明治時代の学制により膝折学校が設置されました。
脇本陣村田屋:村田屋は屋号で高麗氏が脇本陣を努めていました。
12:00 閻魔寺 中ににこやかな!? 閻魔様がいらっしゃいます。
黒目川 12:15~12:50 昼食 どんよりとした曇り空でかなり寒かった!
江戸時代後半この辺りでは水車により製粉が行われていました。さらに水車の動力を利用して伸銅業が盛んになり、関東における伸銅工業の発祥地といわれています。
庚申塔 元分元年(1736年)銘 ここから左坂の「たびやの坂」を登ります。
平林寺寺号石 旧川越街道から平林寺の参道だったためここに設置されたらしい。
13:40 野火止用水
川越藩主松平信綱が安松金右衛門に命じて小平市から新河岸川まで24kmの用水を40日間で開削しました。当時この地は関東ローム層で水の便が悪かったので農民たちから大変喜ばれたといわれています。
14:00 ふるさと新座館 休憩と新鮮な野菜のお買い物です。
14:40 新座駅 解散
リーダーコメント
参加者の皆様 寒い中のご参加お疲れ様でした。両日とも雨が振らなかったのは幸いでした。
22日(会報掲載日)が雨天予報で前日の21日に変更しました。前日変更は例がなかったのですが、翌日月曜日ですと自衛隊とふるさと新座館が休みのため止むえない変更でした。そんなドサクサの山行でしたが、今年最後の山行を無事終えることができました。一年間ありがとうございました。来年も皆様とご一緒に歩けることを楽しみにしております。良いお年をお迎えくださいませ。
保倉惠美子
2019/12/25 水曜日 at 13:07
「川越街道歴史旅№3」参加させて頂きありがとうございました。
私はホームページを見ていませんでしたので、会報掲載された当日に
参加しました。天気の様子で前日に予定を変更されたそうですが、
ホームページを見ていない会員のために、保倉Lさんは掲載当日も
二日間に渡り丁寧に、街並みや歴史等説明して頂き勉強させて頂きました。
感謝、感謝です。
ホームページは予定の日時、コース、中止等簡単に掲載連絡できますが、
パソコンを使っていない会員の方の事も考慮してほしいものです。