2010.12.5~7【木幡山・白河天狗山と烏峠・東堂山】報告 | 東京ハイキング協会

2010.12.5~7【木幡山・白河天狗山と烏峠・東堂山】報告



 平成22年12月5日(日)~07日(火)   那須高雄温泉2泊3日   

1 木幡山と木幡山祭り; 2 白河天狗山と3 烏峠; 4-6 白河歴史探訪;

7 東堂山 登山     

天候:   晴れ  晴れ  曇りのち小雨
投稿:     リーダー  小林妙子
協力者:    木村 馨;    石川孝子
   

参加者:  15名  (男性3名 ;女性12名)   

   《コースタイム 》

12/05(日)ドライバー N氏   こまどり066号車 21人乗 

JR日暮里駅北口前(下御隠殿橋)7時07分出発=10’扇大橋IC =首都高川

口線宇都宮=  外環浦和東北道=佐野SA8:22-:33 =安積A10:08-:18=3h31’

¥6200二本松IC10:38=安達が原入口左=バイパス/R4 7k 6’ =左折R117 

17’=R40 2’=R117 3k  8’=右折1.6k 10’ 林道さくら畑木幡山線途中下車 

20k 47’(275k3時間47’ ) 『神社手前-登山口11:25—–隠津島神社12:01-:30

—木幡大杉11:54—-経塚群12:45-羽山分岐12:50–木幡山666.3m 13: 00-

:15  隠津島神社-13:21-44』P  14:10=R117 7’=R305 2’=R117 =福島南バ

イパス・R4 6’R459 2’ (55’)二本松IC 14:54  =あぶくまPA15:40–:50=那須

IC16:00=高雄温泉(109k 2h15’)  16:20  おおるり山荘 

     夕食バイキング(地酒8種類の試飲会サービスあり17:30~)  

12/06(月) 

朝食 7:00  宿発 7:46 昼食用お握り頂く(サービス) =国道4号18’ 14k白河=

和尚壇R289  23’ 13K=R280=新白河GCや天狗山球場の先=44km1h34’

 P  『登山口9:20—白河天狗山626m10:03-:23   周遊(1.5H)10:50–登山口

P11:05』=30’  8km白河の関跡(30’) 11:06-:20 =25’  9km南湖公園(15’

見学) =11:39-12:10 11km 30’ 『大鳥居P登山口=円満平電波塔前13:07下車

— —烏峠484.9m稲荷神社13:15裏に三角点-13:22-:30-–虚空蔵尊13:45—

さえずりの道入口前 14:03』(1h)14:10乗車 =12.2km  26’ 14:25 白河小峰城

 見学45’ 15:30 =高雄温泉おおるり山荘=(31km 37’)16:07  

                夕食バイキング(地酒8種類の試飲会サービスがあり17:30~) 

12/07(火) 

 朝食 7:30  宿発 8:15 =一軒茶屋=R21=R28芦野交差点右折R294=伊王

道の駅東山道=伊王野小学校左折=R76左折3km大畑集会所手前 林道小

倉林道2.5km終点下車9:25(36km 1h10’)『9:33   –左-尾根へ取付き

9:45 南尾根10:06—南西へ-10:31 696m—東堂山618m11:01-:10--12:49

 660m点 県境尾根 行き過ぎ戻点13:08 635m山頂近くまで戻る—13:44

635m—13:59 590m-最後の枝尾根下降点–14:20 510m着–林道終点(4h)

 帰路のロスタイム2h』14:22-:40乗車=R76南西へ3k=R60右折2.3km  5’=

道の駅東山道伊王野野菜の買物15:00-:15=那須塩原IC15:50=佐野SA

(小雨降る)16:55-17:06=川口17:44扇大橋;R58=(175km3h35’)

暮里駅18:10   (梁瀬山は時間切れで中止) 

木幡山(こはたやま) データ   
 
この山は、県下第一の美林で、県の名勝天然記念物に指定されています。  

  木幡山は海抜666m  阿武隈 高原の北辺に近く、福島市へ北西約12km

にあります。この山地は、花崗岩によって 形成され、 浸蝕  状態てす。

 かつては多くの仏閣神社があり南北朝時代の文章に木幡山の名が あり、

天台密教によって 開山され、時代は岩角山より早く、霊山(伊達郡)と大差

ないものと思わ れます。山頂に蔵王の大スギ(今はない)蔵王堂跡、霊岩

及び経塚群あり、「三代実録」の 元慶5年(881年)に天台別院となった

 安積の  弘隆寺に擬せられ、吉野修験との関連が想定される修験寺で

あると言われています。

  古代  信仰の磐座とされる巨石が中腹に多く、その一部に線刻の磨崖

三十三観音が彫られています。  

 この山には高山性の植物もあり鳥類の棲息繁殖の状況は注目すべきも

のがあります。また、山上には  国指定の天然記念物「木幡の大スギ」を

はじめ、県指定の三重塔本殿、末社社務所など造 物が あります。

また、樹齢百年から三百年を越すスギやマツが生い茂り、自然の美しさを

残し古き昔を偲ばて います。今はこの美林を永久に保存するため「健

康保安林」に指定して ます。  [交通]二本松駅より木幡行きバス田谷

下車徒歩20分、車で30分     二本松市文献より

  木幡山祭り   

 私たちは山頂周遊後に今回のお祭りの総代表 石井光一氏に出会いお話を

伺うことができた。

下から若い男衆が 担いできた一升瓶のお神酒を竹筒で頂きながら東京

から登山に来たことを言うと関心され 歓迎 されました。 登山者やカメラマンは

他にも大勢近隣から来ていて早くから陣取り車道は駐車できないで はみ出て

いました。石井さん(73歳)の藁で編んだ脚立が興味深かった。頭上に黒烏帽

をかぶり白装束で 伝統的な衣装なのでしょう。 天候に恵まれ年1度の伝

統祭りを見学でき、幸運でした。  

 この祭りは、戦いに敗れた源氏の軍勢がわずか数騎で木幡山に立て籠も

ったところ、一夜にして降り 積もった雪で全山が白くなった様を追走してきた

安倍の軍勢が、源氏の白旗に見間違え戦わずして敗走した 故事により現在

「幡祭り」として伝承されています。天喜3年(1055年)前九年の役に由来する

ものと言い伝えられています。   

 今では、白旗を先達に色とりどりの旗が行列し「日本三大旗祭り」の一つと

言われています。   

また、古より伝わる儀礼を色濃く残していることから、平成16年には国の重要

無形民俗文化財に   指定されました。 私たちはこの行事の半分も見られませ

んでしたがやや満足しました 。  

木幡山山頂は3等三角点があり.あまり展望はない。羽山へ連なる道があるが

かないで戻り経塚群の北側へトラバースし隠津島神社の下にある三重の塔

へ左側から到着。 塗り替えられた塔は真っ赤で真新しく見えとても綺麗です。

  

2日目 うつくしま百山 白河天狗山   国土地理院25000分の1地形

図「磐城金山」 

 マイクロバスで案内板に従って天狗山球場から奥に進みます。すぐの十字路

は案内板が倒れて左を指していますが直進です。それ以外は案内板もしっかり

しています。 北西の尾根を登ってきて、まずは展望所、そのあと山頂に登って

いるようでした。 直進すると整備されている登山口で、登山道は西の支尾根

の 南側を回るように登山道が付いています。 

 林道は集落から杉林へ進み、左に5~6台の駐車スペース、立派な案内板、

天狗三ヶ条の板があります。 辺りは明るくて斜面にカタクリ群生地の案内が

何度か出てきます 春先に来ても良いところでしょう。 ちいさな木橋を渡りま

すが 霜がついて慎重にわたります。 出発の前に3分ストレッチを 三上女

史の合図で始め ます。 

支尾根に刻まれた登山道を登ります。木々の名前が付いた板の先に「一合

目」の丸い板があり、黒木の中の 道は危惧していたより雑木の明るい道、

右に右へとトラバース気味に登ります。土を掘りステップが掘ってあり 実に

登りやすい。そして最後は南側から三角点に登りますが、最後だけ少しの

急な登りでした。 

2008年9月に地元表郷のおもてごう里山クラブの方々が整備され、2008

11月17日に日本一遅い山開き が行なわれたそうです。 

一合目から楽しい名前の付いた標識が作られています 天狗山の門を潜

ります。三合目は「藤ツルの門」、絶景「天狗のお庭」、五合目「千年の森」、

「天狗の清水」で水を味わいゆっくりと通過します。

炭焼き小屋跡を通過すると「もうチョッよ」の丸板の先が八合目、ここからは

尾根に出て左に向かいます。九合目を過ぎると「がんばれ」の丸板があり、

雑木に囲まれた山頂でした。

(案内板の裏には平成20年10月おもてごう里山クラブの文字がありました)

 山頂の南は松を残して雑木が刈り払われており、松の木越しに南の展望

広がっています。 

展望図もありますが、今日は雲と松で安達太良山など北西の方角は 見えません。

天王山から大滝根山が薄く見えました。帰路は旧登山道を下りましが、急な

傾斜でロープが張ってあり階段でした。短時間で林道へ下り 携帯でマイクロ

を呼び 林道分技で合流できました。こんなに地元の人達が大切にしている

なのに月曜日とあって一人も会うことがありませんでした。これが東京近辺

なら高尾山にも劣らない大変な賑わいになるでしょう。良い山です。 

  

烏峠(484.9m)   うつくしま百山   国土地理院25000分の1地形図「烏峠」 
 「ふくしま緑の百景」選定(昭和60年)「ふくしまの遊歩道50選」選定
(平成13年)
福島県西白河郡泉崎村の烏峠(からすとうげ)です。名峰で、山頂には立派
  
烏峠稲荷神社があります。稲荷神社については泉崎村のホームページに
  
詳細があります。烏峠稲荷神社は、 天長5年(828年)に藤原俊仁の創建と
 
いわれており、 本殿周囲の浮き彫りや透かし彫りは技術的にも、 美術的にも
 
すばらしく一見の価値があります。
 
  マイクロバスで円満平の大鳥居まで林道を入ると目の前が電波塔です。
  
バスは表参道入口へUターンして待機してもらいます。円満平でして
 
左側を登って行くと階段の前に出て稲荷神社へ進みます。今年の無事の
  
山登りに感謝し 来る年の平安と健康に手を合わせ皆でお祈りしました。
  
 現在神社の彫刻を保護するたに改装の準備中でした。そばの彫刻を
 
見るため格式高い神社を一周し素しい浮彫に出会い驚きを禁じえ
  
せんでした。神社の裏が山頂です。呆気なく着いてしまい、烏峠(484.9m)
  
 の看板も真新しく 無垢の三等三角点標石を触ります。 
  
下山は地図で南西へ取り脚下を覗いても道があのかしらと思うほどですが
 
3mおりると北西へ向かいしっかりした尾根へ出弘法様の食事堂や虚空
 
蔵尊を経て烏林道へ飛び出します 左へすこし登りぎみに進み、右肩の
 
「いわツツジの道」をやり過ごし先へ「さえずりの道」ヘ入り鳥の声を聞きながら
 
赤松の多い見晴らしの好い尾根を緩やかに下山しました。
 
また、烏峠一帯には10コースの 変化に富んだ遊歩道が整備されており、

  
コースが10コースもあり計画の際に迷いましたが、最も短時間の道です。
 
 来るときにバスで通過した泉崎線へ出て携帯から連絡し来てもらい次の白河
  
城へと向かいました。
 
  白河歴史探訪
  
白河の関跡 江戸時代の関所ではなく、早くて5世紀前半、少なくとも645年
 
の大化の改新の時に文献に出る事から。主として8~9世紀頃に機能してい
 
たようです。その後、大和朝廷は東北をどんどん制圧していき、正確な時期は
  
不明ですが、白河の関は機能を失い廃退します。そのあたりに蝦夷の南下を
 
防ぎ、その後も東北(陸奥)への入り口として人々の記憶に受け継がれます。
 
平安末期に栄えた奥州藤原氏の領土の境界であった他、特に歌枕に読ま
 
れることが多く、
 
     都をば 霞とともにたちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関 
 
 という能因法師の一句が大ヒットし、平安時代以降、西行法師をはじめ
  
一遍宗祇など和歌や教で有名な文化人がこの地を訪れています。源義家
 
源義経もここから東北へ入っています。
 
 江戸時代では松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中で立ち寄っています。旅の
 
中で白河関のあった場所の 伝承を聞いたようで、この地(旗宿という地名
 
ようです)の近くに立ち寄る事が出来ました。さらに、寛政の改革でお馴染
 
白河藩主であった松平定信は、白河の関の場所を研究して、「ここだ!」と
 
かめ、現在地に碑を建立しております。
 
 白河の関は、白河神社(771(宝亀2)年に、神社が建っている他は、特に
 
復元された物などはなく、先ほどの松平定信建立の碑の他、空堀が往時を
 
しのばせています。白河市文献より

南湖公園

南湖は名君であり茶人、また優れた作庭家であった、白河藩主 松平定信

(楽翁公)により、1801年に造園された、我が国最古といわれる「公園」です。

「南湖」の名は、李白の詩句「南湖秋水夜無煙」からまた、白河城「小峰城」の

南に位置していたことから名づけられたといわれています。丁度 昼食時に

なり暖かい日差しの広い芝生のあるベンチでお弁当を拡げ、宿のおにぎり

から皆おなじ 各種自家製のお新香が周り カステラや珈琲や名物お団子

食べ時間も気にせずのんびりでき 以前登った関山を眺め懐かしく思い出

しながら 腰を上げ次へと向いました。

 

  白河小峰城
 
  歴史  小峰城は南北朝時代、結城親朝が興国元年(1340)に小峰ヶ岡
 
に城をかまえて小峰城と名づけたのがはじめといわれる  寛永四年(1627)
 
丹羽長重が十万石の城主として棚倉より移封され、幕命により同六年に城郭
 
の大改築に着手、四年の歳月を費やして同九年に完成  江戸時代における
 
攻防をかねた代表的な梯郭式の平山城である  その後丹羽、榊原、本田、
 
奥州松平、結城松平、久松、松平、阿部と七家二十一代の城主の交代があ
 
ったが慶応三年(1867)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河は幕領と
 
なり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。
 
  同四年五月戊辰の役の攻防で落城する平成三年に   三重櫓、同六年に
 
前御門が古図により忠実に復元三重櫓櫓は矢倉あるいは矢蔵ともかき、武
 
器・食料の貯蔵と防御を目的とする建物である。小峰城の三重櫓は本丸の
 
北東隅に建つ三層三階の櫓である。「一国一城令」以後の築城であるため、
 
大規模な天守ではなかったもののその雄姿は奥州関門の名城にふさわし
 
い外観を呈していた。白河 市文献より
 
 
3日目 東堂山 618m

那須町山口小倉線林道の終点に駐車した。携帯は圏外で、稜線や山頂から

は大丈夫。登り始めは、沢に沿って行き、直に道が沢と一緒になる。 道は

林道でなくゴロゴロの掘り起こした荒削りの道で作業道だ。 やがてこの 道も

茨の茂る道になり二つに分かれて右を取る。 いよいよそこから落ち葉の積

もる雑木の傾斜面を登る。

この斜面にはマークはないが皆で頑張って登り詰めた。またここの尾根は踏

み跡はない。5分くらい尾根を歩く と雑木から、檜の植林に変わり、尾根の取

り付いた枝尾根は左右が切れ落ち、アップダウンのある急勾配で植林されて

いなければかなりスリルを感じる。

尾根上には間伐材が放置され、それを避けながら進む。尾根を進むと古い色

の消えたテープ が1ヶ所有った。道が明瞭になるが植林地は暗く見通しはない。  

 ただ急勾配も一時で、やがて東尾根に出る。 この東尾根からは(右)南に緩
 
やかに進み、アップダウンを繰り返し小さなピークに立つと(右)西に下る尾根
 
が見えるが、その尾根が東堂山への尾根で、ピークは、東堂山頂よりも少し
 
高く 西に一旦下り、そのまま尾根伝いに進み僅かな岩場がつつきます。
 
 東堂山の山頂まで両サイドの斜面の岩場には、岩ウチワが群生し樹林の中
 
ですが、一筋の稜線上の明かりで増殖するのでしょう。 細い岩尾根の小さな
 
ピークで、三角点は無。  小さいピークを15回も超えた。最後の登りは、尾根
 
にゴジラのような岩が現れ そこを過ぎると頂上の 南のピークに着く。 
 
ここが山頂かと周りをうかがうと、ビニール赤テープが2本の木に巻いてあり、
 
赤テープの間を潜り ピークの先に石の祠が見える。 檜が周りの視界を完全
 
に遮り、景色が見られない。 石の祠は、高さ1M  ぐらいで山名にふさわしく、
 
比較的立派なものでした。明治十九年旧暦七月 十七日建立。石祠も今は祀
 
る者が絶えて久しいようです。これだけの重量物を人力で担ぎ上げるのには
 
大変 な労力を要したはず。往時の人々の信仰心の厚さ、活気や絆の強さ
 
が伝わってきます。 

東堂山に至る尾根はほぼ100%檜の植林地でしたが、稜線に赤松の大木を

点々と見かける。稜線もまた神聖 なところとして、代々、赤松の木を残してき

たのでしょう。 

 火伏の神を祀る植林の大畑地区の林業の守り神のような山なのでしょう。
 
登りは約1時間15分 帰路は複雑な尾根を 先頭が突っ走り、修正するのに
 
2時間もかかり、山頂から県境尾根方面へ向かってしまい戻るのに困難でした
 
尾根でカケスのきれいな風切翼を見つけた 死んで羽根だけが落ちていたの
 
です。時々冷たい風が唸りながら吹き不安を掻き立て 暗くならないうちに下
 
山せねばと焦るのでした。

 結局山頂へまた戻りやり直しをして慎重に枝尾根を選び元の足跡を見つけ

下山 下りは取りつきよりも先へ出て少し緩やかな支尾根を見つけ安全に元

の仕事道へ降り立ちました。

   

 gallery  
(Photo T.Isikawa & M.suzuki) 
   Wクリックを2度繰り返すと大きくして見られます
12/07 東堂山山頂にて

 

 

 


 

 

 四季折々の美しい景観が楽しめ ゆったりと森林浴が楽しめます

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