2022.10.03【鎌倉歩き№1 檑亭(らいてい)】報告 大倉昌子
しばらくすると竹林の中に家紋が彫られた石門がありました。永楽通宝紋、沢瀉紋(おもだかもん)が彫られていた。この紋は、鎌倉西御門の高松寺の旦那大名水野家山門と同様 昭和初期この地に移建されたもの。
2022年10月3日(月) 天気:晴 レベル3⃣:一般向
◇担 当 L :大倉昌子
◇参 加 L :中嶋要一
◇協 力 者 :佐野妙子
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :33名(女性25名、男性8名)
◇所要時間 :4時間45分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :5.8km
<コース>
鎌倉駅10:10→六地蔵10:30→和田塚10:47→11:05甘縄神明神社11:20→由比ヶ浜→12:00御霊神社12:08→12:17長谷観音13:10→大仏前=高砂バス停13:44→13:46檑亭14:55=鎌倉駅
≪冷水スタンド>
鎌倉駅西口の時計台前にありました。操作方法がわかりません。?
<鎌倉御用邸跡>
明治32年 当時の諏訪地、2万坪の土地に明治天皇の「第八皇女と第九皇女」の避暑の為 御用邸が造られました。大正12年の関東大震災で倒壊し 後年、鎌倉市に払い下げられました。
<六地蔵>
此の辺りに処刑場があったため、供養のため建てられたと言われる。
<甘縄神明神社>
和銅年間(8世紀初め)に、この辺りの豪族、染谷太郎時忠が創建した鎌倉で最古といわれる神社。源頼義が相模守として祈願した後、八幡太郎義家が生まれたと伝えられる。鎌倉時代には、源頼朝、政子、実朝らが参拝しており、源氏と縁の深い神社。川端康成の「山の音」に登場する信吾の家の裏山の神社のモデルともいわれる。
<由比ガ浜>
染谷太郎太夫時忠の一行は、先住民の内陸を避け海に近い台地に住み、先住民はそうした新参者を「ゆい」、その長者を由比の長者と呼び、彼らの住む浜を由比ヶ浜と呼んだ。「長者屋敷跡」が高台にある。
江ノ電通過した。線路の向こう側は、御霊神社だ。(鎌倉七福神巡りの一つ)
この社はもともと関東平氏の5家(鎌倉、梶原、村岡、長尾、大庭)を祀っていましたが、その後鎌倉権五郎景政(景正とも言う)のみを祭神としました。
源義家が奥州を平定した後三年の役(1083~1087年)に、初陣16歳で従軍した景政は、左眼を矢で抜かれても屈することなく相手を打ち取りました。刺さった矢を抜こうとした三浦為継が景政の顔に足を掛けたとき、「弓矢に当たって死するは武士の本望。なのに土足をもって面部を踏むとは何事ぞ」といってその非礼を刀を構えて叱咤した剛毅は歌舞伎にもうたわれ、鎌倉武士の誇りとなりました。
なお、鎌倉権五郎景政の直径子孫が梶原景時。大庭氏はこの系統からわかれた同族です。
「檑亭」の名前の由来
「檑」とは「すりこぎ」のことです。古来、すりこぎは山椒の幹で作ったものを最上とし、この地に山椒の木が多くあったことから、檑亭の名がつけられました。
<檑亭庭園>
5万平方メートルの広さの廻遊式庭。高低差は20m。羅漢像、石仏群等が心を癒してくれる。
<リーダーコメント>
予定していた鎌倉文学館が休館日の為、長谷寺を見学に入れて、バスで鎌倉山の檑亭へ、遅い入店の為すんなりと皆が座れ美味しくお蕎麦を頂きました、庭内の景色も味わいあり竹林も見事でした。 大倉