2022.11.12 東ハイ祭 【和光市白子宿コース】報告 金子 敬
▼2022年11月12日(日)
▼ 天 気 :晴れ ▼レベル:②
▼担当 L :金子 敬
▼協力 L :山川美恵子 荻島二郎 星富士夫 樋口光雄(投稿)
▼参加者 :43名(男性12名 ・女性31名)
▼歩 程 :約5.9Km 2時間20分
▼コース : 和光市駅8:50 → 馬頭観音 → 元名主屋敷 一 代官屋敷 → 熊野神社(富士塚) → 神龍山不動院(胎内洞窟) → 児童公園 → 天王様の坂 → 妙安寺 → 11:10 光が丘東ハイ会場
磯部家の「馬頭観音」。右側の黒っぽい建物の中にあります。
磯部家は1590年に豊臣秀吉に領地替えを命ぜられた徳川家康に随行して、三河の国から江戸に来まして、この地に住みつきました。ご先祖は代々、獣医(主に馬)をされていました。現在は「伯楽製鋲所」という会社を経営されていまして、この「馬頭観音」は会社の敷地内にあります。
「柳下家住宅」 柳下家は江戸時代に名主をされ、和光市の初代市長も務めた家です。
現在の建物は大正12年の関東大震災後に建て替えられたと思われます。
「代官屋敷」 柳下家の初代は甲州武田家の家臣で「武田24将」の1人「原昌胤」が先祖と伝えられています。早くから分家した家系ですが、代々名主を務め、この地を治めていた酒井家に1800年頃に柳下家7代目が代官を命ぜられ、幕末まで代官を務めた家柄です。
柳下家の「代官屋敷」を裏側から見たところ。
「大坂通り」 昔は昼でも暗く「くらやみ坂」と言われていたそうです。また、あまりに急坂で荷車を押す、「押っぺし屋」という押し屋もいたとのこと。
「富沢家住宅」 昭和の初め頃の建物です。(築、90年以上)
右奥の交差点の先、現在は「富沢薬局」と「郵便局」のあるところに「白子宿の本陣」があったそうです。
「白子富士」へ登ります。 「富士浅間神社」のお札が祀られていました。
ここで2組に分かれて、「白子コミュニティセンター」と「神龍山不動院」に向かいました。
「白子コミュニティセンター」では和光市が生んだ文人、「清水かつら」と「大石真」の作品が展示がされています。
「神龍山不動院」 平安時代の初期に不動明王を本尊として創建。
この奥に「不動院の滝行」がありますが、立入禁止で滝は見えませんでした。
乃木将軍(乃木希典)が日露戦争で旅順(中国東北部)へ出陣のおり、ここで滝行をしたと言われています。
この「胎内洞窟」は富士山の溶岩を使用し、3年がかりで完成させた「開運の洞窟」です。長さは25m。
「和光市の歴史」を説明する金子SL。江戸時代は新倉村、下新倉村、白子村の3つの村に分かれていた。昭和18年に「大和町」へ、更に昭和45年に「和光市」へ。昭和40年でも茅葺の家が63棟あった。
こちらの立派な白壁の蔵付きの屋敷も「富沢家」(分家?)とのことです。
「浩乃湯」。和光市に残る最後の銭湯とのこと。正面に古い宮作りが残る貴重な銭湯。
「妙安寺」 1600年代の前期、徳川家康の重臣、板倉勝重が徳川家の武運長久を祈願して、「長久山」と名付けて創建。
「妙安寺本堂」 境内は木々の間に見事な石が多く配された庭園となっており、風格のある寺で秋の紅葉が良い。クロマツは高さ20mの巨木で、ケヤキは25m。
※ 写真の解説は金子SLの「説明文」から抜粋。
<リーダーコメント>
「和光市白子宿コース」の工程の大部分が、和光市内の歩きになっています。
私が和光市に住んで約50年。その旧川越街道の江戸時代から続いた地元の道筋(徳川家康に随行して江戸に来られた獣医、元代官屋敷他)などから、参加された皆さんに歴史を感じてもらいたく、今回企画しました。
参加された会員、各リーダー皆さんのご協力で事故もなく、無事に東ハイ祭会場に到着出来まして有り難とう御座居ました。