2023.01.21【白根不動の滝】報告 中嶋要一
2023年1月21日(土) 天気:晴 レベル2⃣:一般向
◇担 当 L :中嶋要一
◇参 加 L :松木千恵子
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :34名(男性6名、女性28名)
◇所要時間 :3時間20分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :約8km
<コース>
相鉄線・鶴ヶ峰駅10:15→首塚前(リーダー挨拶)10:20→帷子川親水緑地(10:34~10:46) →白根不動堂(11:08~11:15) →白糸の滝11:20→白根神社(11:23~11:35) →白根公園(昼食) (11:40~12:20) →横浜水道局・鶴ヶ峰配水池、外周道路→駕籠塚12:45→帷子川親水緑地(解散)13:30→13:35鶴ヶ峰駅
駅前は広場がないので、2~3分歩き、{首塚}横でリーダー挨拶。
<帷子川の名前の由来>
いくつかの説があるが、昔、現在の天王町一帯は、一方が山で他方が田野で平らな地形をしていたので、片平「かたひら」と呼ばれ、その中を流れていた川を「かたびらかわ」と呼ばれていた。 (保土ヶ谷区歴史資料地図)
また、「帷子川」」ついては、文明12年(1480年)の太田道灌の平安紀行に「帷子」という地名(現在の天王町付近)があり、現在の帷子川はここからきたものとされています。
もう一方、海が入江となっていたことから「潟かた」と呼ばれ、これが転化したという説、地形が着物の「かたびら」に似ているところからそう呼ばれたと言うが定かではない。(出典:川とみずの文化研究会編「水辺からのレポート」より)
「公園のタケノコを取ってはいけません。」と書かれていました。横浜市旭土木事務所
白根不動は、現在は白根神社となっております。地元では「白根のお不動さん」の名で親しまれています。白根神社の本尊は弘法大師の作といわれる約5センチの不動明王の座像です。
源義家が、この不動明王を常に信仰していて、前九年の役でこの座像を、かぶと(甲・兜・冑)の内に納め、奥州に向かい勝利したので、康平6年に(1063)鎌倉権五郎景政に命じて堂宇を建立させたのが白瀧山成願寺の起源です。
その後、正慶3年/元弘2年(1333)に新田義貞の兵火により全焼しましたが、江戸時代に畑の中から不動明王が出土し、再建されました。明治3年神仏分離令により白根神社となりました。本尊は5年に1度開帳されます。
近くの民家のブロック塀に「初不動」の知らせが掲げられていました。
<白糸の滝>
境内を流れる中堀川に「大滝」、谷間より流れ出る「小滝」の2滝があります。小滝は行者の修行が行われ、不動丸小学校周辺の地中に三方から集まる水を一本にし、竹(松)の管を通って流れ出ています。大滝は、白糸の滝と呼ばれ、幅9m、落差5.5m、(現在は、幅7m、落差3.2m)横浜市内では唯一といわれた自然滝でしたが、長い間の浸食により斜路となっていました。
そこで、昭和62年度より「水と緑と歴史のプロムナード事業」の一環として、この地が緑に囲まれた自然景観が残された数少ない場所であることから、滝の修復が計画されました。歴史的、文化的遺産と周辺の市民利用施設との調和を図りつつ、周辺環境の景観を配慮して「憩い」と「やすらぎ」のある魅力的な親水空間として整備され、平成3年度に完成しました。
また付近には畠山重忠ゆかりの史跡及び帷子川の親水施設等が整備されております。
橋を渡ると、洒落たデザインの鶴ヶ峰地区センターと旭図書館が、前方にあらわれる。
階段を登る。眼下に、旭図書館と鶴ヶ峰地区センター、右手にランドマークタワーが見える。
横浜市水道局「鶴ヶ峰配水池」外周の道路を周回する。高台なので見晴らしがよい。
鶴ヶ峰配水池。外周道路を周回する
横浜市水道局「鶴ヶ峰配水池」を周回の途中、大山が見えました。
<駕籠塚碑>
駕籠塚は、畠山重忠の内室・菊の前の墓所。 1205年(元久2年)、合戦の報に接し二俣川の戦場に駆けつけた菊の前は、重忠の戦死を知ると自害したのだと伝えられている。 自害した場所に籠のまま埋葬されたため「駕籠塚」と呼ばれている。 菊の前は、足立遠元の娘。 重忠は北条時政の娘も妻としているが、時政の娘は重忠滅亡後、足利義純に再嫁している。
鶴ヶ峰地区センターと旭図書館まで戻り、親水緑道に向かう。左に見えるのは白根神社です。
なお、旭区の散策ガイドについては、下記を参照してください。
旭区散策ガイドブック「新・あさひ散歩」発売! 横浜市旭区 (yokohama.lg.jp)
畠山重忠に関しては、 鎌倉武将 畠山重忠 横浜市旭区 (yokohama.lg.jp)
菅谷館跡・埼玉県立嵐山史跡の博物館のホームページを参照してください。
<リーダーコメント>
今回は、清流沿いの帷子川親水緑道、初詣を兼ねての源義家(八幡太郎義家)の逸話の残る「白根不動尊」、武士の鑑と謳われた武者畠山重忠の終焉地を歩きました。
多くの人のご参加ありがとうございました。 中嶋要一