2023.02.25【大倉山~鶴見川】報告 中嶋要一
2023年2月25日(土) 天気:晴れ レベル1⃣ :初心者向
◇担 当 L :中嶋要一
◇参 加 L :松木千恵子
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :18名(女性13名、男性5名)
◇所要時間 :4時間15分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :約9km
<コース>
東急線大倉駅10:05→10:20大倉記念館10:40→大倉山梅林10:55→太尾見晴らし丘公園11:30→11:40太尾堤緑道(昼食11:45~12:20)→太尾公園12:45→新羽橋13:00→13:05新田緑道→13:40鶴見川土手→14:05新横浜橋→14:20新横浜駅
大倉山記念館下で 大倉山の梅を使った梅酒「梅の薫」の試飲。階段を上ると大倉山記念館です。
<大倉山記念館>
東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882-1971)により昭和7年(1932)「大倉精神文化研究所」の本館として建設された。昭和56年(1981)横浜市が寄贈を受け、改修し、昭和59年(1984)「横浜市大倉山記念館」として生まれ変わり、平成3年(1991)には横浜市指定有形文化財に指定されました。
また、ギリシャ神殿様式のピロティー、昭和初期の雰囲気を残す第5集会室、神社建築の木組みを取り入れたホール、エントランスなど、映画やテレビのロケ地としても数多く活用されています。
<大倉山梅林>
梅林は、昭和58年(1983)から61年(1986)にかけて東急電鉄から横浜市に売却され、再整備のうえ平成元年(1989)に大倉山公園の一部として開園しました。 現在は、46種類、約220本の梅が植えられています。一番本数が多いのは大きな実を付ける「白加賀」ですが、中国伝来で萼が緑色の「緑萼梅」、一本の木に淡紅色・紅色・白色の花を一緒につける「思いのまま」などの珍しい品種もあります
観梅会が行われて、梅林内は混雑していたので、なかに入らなかった。
梅林を北西に抜けるとその先に「龍松院」があります。龍松院は小机にある雲松院の末寺で、460年程前に第2代小机城代である笠原康勝の開基によって、文殊堂として創建されたのが始まりです。
階段を上ると、「太尾見晴らしの丘公園」があります。公園のある高台は元々「牢尻台」と呼ばれ、周辺の開発や公園整備では、土器や竪穴住居跡も発見された古い歴史のある場所です。
周囲は木々に囲まれ、南東方向から望む鶴見川と綱島新吉田方面が、唯一の見晴らしポイントです。
「太尾見晴らしの丘公園」を下ると、太尾堤緑道にさしかかる。しばらくあるいて途中で昼食。
緑道に彫刻置かれている。緑道の彫刻は、1989(平成元)年に開催された第1回横浜彫刻展(YOKOHAMA BIENNALE’89=ヨコハマビエンナーレ)の受賞作品です。
太尾公園は港北水再生センターの北側水処理施設の上の空間を利用した公園です。階段を上って公園にいくまではアンモニア臭がした。公園内では、こどもたちがサッカーをしていた。
<新羽橋>
前方に見えるのは新羽橋です。人道橋と車両橋に分れています。
※新羽」の由来は、鶴見川の舟運で荷物を揚げ下ろしした「荷場」=「にば」が「にっぱ」へ転じたとする説、「新」は開墾地、「羽」は端の意で、丘の端に開墾した場所だったとする説などがあります。
橋を渡り、左折する。新田緑道だ。鉄骨のデート。手前にモーターが置かれている。新田緑道は農業用の用水路を埋め立て、1986(昭和61)年から2010(平成22)年までかけて順次整備された“緑道公園”で、名称としている「新田」は、1939(昭和14)年まで存在した「都筑(つづき)郡新田村」(現在の新羽・新吉田・高田の一帯)が由来。市内有数の工業エリアである新羽町を象徴する風景として、緑道内に工業機械類のモニュメントが置かれている。
新羽橋を渡ってUターンしたので対岸に、太尾公園が見える。鶴見川の自転車道を歩く。前方に日産スタジアムが見える。昨季の王者、横浜F・マリノスの本拠地。
<リーダーコメント>
晴天のなか、大倉山梅林から太尾堤緑道、新田緑道をゆっくり歩きました。協力リーダー、ご参加の皆様ありがとうございました。中嶋要一