2023.4.10【鎌倉歩き⑤】報告 大倉昌子
2023年 4月10日(月) 天気:晴れ レベル:一般向
担当L:大倉昌子
協力者:佐野妙子・池田正義
参加者 29名 (男性6名 女性23名)
コース)
大船駅—玉縄首塚—-龍宝寺—-七曲壇—-太鼓櫓—–大手門—–大船フラワーセンター(休館)—–
鎌倉中央公園(昼食)—–化粧坂切通し—-鎌倉駅
大船観音様を横に見て
玉縄首塚 千葉の里見氏が攻入り北条氏と対戦しその折に討ち取った首を交換し埋葬した塚
龍宝寺 隣接の幼稚園の入園式 本堂
北条氏の供養塔
本堂に筍が 一人一本頂く
龍宝寺境内の民族資料館へ
玉縄城の模型 堅城であったらしい
伊勢宗端 のちの北条早雲
玉縄城
玉縄城への入り口 七曲殿は長い階段を七曲りする
緑地の公園が太鼓櫓跡
大手門跡 上の土地は静泉学園で天守跡があった場所
鎌倉中央公園で昼食
園内の散策路を歩く
シャガ
白い花 大きな筍
鎌倉山で
足元悪い化粧坂切通し
玉縄城
戦国時代の複郭式城塞・明応4年(1495)小田原城を手中にした北条早雲がさらに平塚の大庭城を
攻め取り、相模一帯に勢力を持つ三浦義同を三浦半島の新井城に追い込む。その三浦氏の反撃に備えてこの地に築城した堅城である。度々千葉の里見氏らの攻撃を退け、上杉謙信が城を囲んだが落ちず
武田信玄が相模に乱入するが攻略を諦め、一度も落城しなかった。豊臣秀吉の小田原攻めでも徳川家康が包囲したが、籠城して落ちず、そこで家康は当時の城主北条氏勝が尊敬していた大応寺(龍宝寺)の住職を使者として送り、ようやく開城させた。のちに一国一城により廃城となる。
由緒ある城跡を歩き、鎌倉中央公園の緑の中で昼食を食べ化粧坂の悪路を慎重に歩き鎌倉駅まで歩きました。 大倉 記