2023.06.05【鎌倉歩きNo.6】報告 大倉昌子
2023年6月5日(月) 天気:晴れ レベル3⃣ :一般向
◇担 当 L :大倉昌子
◇協 力 者 :池田正義
◇参 加 L :中嶋要一
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :39 名(女性29名、男性10名)
◇所要時間 :6時間(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :12.4km
<コース>
JR大船駅10:10→常楽寺10:45→六国見山森林公園展望広場(11:30~12:10)昼食→六国見山12:20→勝上献13:25→大平山14:30→獅子舞14:55→永福寺跡15:30→鎌倉宮
15:40→鶴岡八幡宮15:55(解散)→16:10JR鎌倉駅
リーダー挨拶。今日の行程、協力者、参加リーダー紹介及び熱中症に注意(水分補給について)
スタート。常楽寺に向かう。
<常楽寺>
1237年(嘉禎3)三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまり。常楽寺の寺名は、泰時没後、その法名をとってつけられた。建長寺開山蘭渓道隆が、建長寺を建立した建長5年(1253)まで、ここに住んでいたことでも知られ、仏殿には、本尊の阿弥陀如来像とともに蘭渓道隆像が安置されている。常楽寺背後の山には、木曽義仲の子で、父の挙兵により源頼朝に討たれた木曽義高の木曽塚と、木曽義高の許嫁であり源頼朝の娘、大姫の墓といわれる石塔があります。
常楽寺山門。17世紀の建立と言われています。鎌倉市の指定文化財。
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ここで昼食
稚児の墓。「由比の長者」染屋時忠の娘の墓。
染屋時忠は、藤原鎌足の子孫で、関東諸国の総司令官として東国8ヶ国を治め、「由比の長者」と呼ばれていた。鎌倉最古の神社といわれる甘縄神明神社を建てたのは時忠だといわれている。
3歳の娘が大鷲にさらわれ、追いかけたが見つけることができず、肉片を見つけては、娘のものと思い供養したという伝説が残されている。
供養のための塔を建てた所は、塔ノ辻と呼ばれ、鎌倉に7ヶ所あったとのこと。 その他、来迎寺(西御門)の如意輪観音、魔の淵のお地蔵さま、妙法寺(大町)の鷲宮、六国見山の稚児墓、多聞院の岡野観音にも時忠の娘に関する伝説が残されている。かまくら昔話 ここをクリックするとリンクします。
六国見山三等三角点 六国見山 147.3m
六国見山の由来は、旧国名で相模、武蔵、安房、上総、下総、伊豆の六国が見えたことに由来して、六国見山と名づけられた。元亨3年(1323年)から建武2年(1335年)ぐらいの間に成立した「円覚寺境内絵図」に「六国見」と記載されているのが資料上の初見とされている。ウィキペディア(Wikipedia)
建長寺(半僧坊)0.4km 建長寺境内。 勝上献 展望台より
獅子舞谷コースへ下山。 紅葉の綺麗なところだ。シーズンになると賑わう。(12月初旬から中旬にかけて紅葉が見事なこともあり人気のルートです。) 当初は、瑞泉寺に下山するコース。
<永福寺跡について>
永福寺は源頼朝が、文治5年(1189)に奥州平泉を攻めた後、奥州藤原氏や源義経など、亡くなった数万の将兵の鎮魂のため、建久3年(1192)に創建した寺院です。中心となる二階堂は、釈迦如来が本尊であったと考えられ、左右対称に北側に薬師堂。南側に阿弥陀堂の両脇堂が配されており、一切経供養や万灯会等の法要が盛んに行われるとともに、歴代将軍によって境内では華やかな花見・月見・蹴鞠等の行事も行われていた。。(吾妻鏡)。境内には、仏堂・翼廊・中門・釣殿・庭園がつくられていた。
<リーダーコメント>
六国見山と天園ハイキングコースを繋いで歩きました、入会したばかりの方も多くて、歩き通せるかが心配でしたが、皆さん無事に鎌倉駅まで歩き通しました、気温が上がる予報でしたが気持ち良い風を受けながら歩きました。 大倉昌子