2023.07.19【鎌倉歩きNo.7】報告 大倉昌子 | 東京ハイキング協会

2023.07.19【鎌倉歩きNo.7】報告 大倉昌子




江の島大橋の手前。龍が掘られた常夜灯と花壇。

2023年7月19日(水)  天気:晴れ レベル3⃣ :一般向
◇担 当  L :大倉昌子

◇協 力 者 :佐野妙子・池田正義
◇参 加  L :中嶋要一
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :26名(女性20名、男性6名)
◇所要時間 :4時間40分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :8.7km

コース
小田急片瀬江ノ島駅10:0510:25江ノ島巡り13:30龍口寺14:05満福寺14:30小動神社14:4014:45江ノ電・腰越駅(今回は、会報のコースと逆コースを歩きました。)

コース軌跡

標高図


小田急片瀬江ノ島駅(スタート) 竜宮城を模した独特な駅舎だ。
昭和4年(1929)4月、小田急江ノ島線(相模大野~片瀬江ノ島駅間)開通と同時に開設された駅です。平成11年(1999)、「関東の駅百選」に認定された片瀬江ノ島駅は、竜宮城を思わせる奇抜な駅舎で、当初は仮設のつもりで建設されたが現在も江の島観光のシンボルとして親しまれています。


リーダー挨拶(コース、熱中症の注意、参加リーダー及び協力者等紹介)


道の両脇に、龍がほられた常夜灯。花壇(ボランティアの人が手入れ)


江島大橋を渡る。江の島が前方に、江の島のシンボルタワー、「江の島シーキャンドル(展望灯台)


前方に、江の島のシンボルタワー、「江の島シーキャンドル(展望灯台)とエノスパ(江の島ホテル)」


江の島マップ 藤沢市観光公式ホームページ (fujisawa-kanko.jp)

瑞心門
鳥居のすぐ後ろには瑞心門があります。階段を使わずにエスカーで頂上方面に上ってしまうと、瑞心門をくぐり抜けることができません。
人々が瑞々しい心でお参りできるようにという意味合いで「瑞心門」と名付けられました。壁や天井には、片岡華陽が描いた牡丹や唐獅子の絵画が飾られています。描かれた唐獅子は、ご祭神の守護と参拝者に厄災がふりかからないよう、祈願の意味が込められています。
「公式サイト 日本三大弁財天・江島神社」より引用

エスカー乗場

昭和34年(1959)に国内初の屋外エスカレーターとして登場しました。高低差46mを4分ほどで上れます。4連で結ぶエスカレーターの長さは全長106mあり、高齢者や小さな子供連れのファミリーが江の島頂上部へ行く際の頼もしい足となっています。

  
エスカー乗場の手前右の池に咲いていた。

 
奉安殿                            浴衣、


中津宮
                                                      <江の島歌舞伎>
 
五代、尾上菊之助  七代、尾上菊五郎の手形     枝垂れ桜


美しい恋したい!

サムエル・コッキング苑

通常時:日中無料 イベント時:日中無料/夜間有料(17:00~)
南洋植物をはじめ四季折々の花が植えらた植物園。2022年にリニューアルされました。
高さ59.8m、海抜119,6mの展望灯台からは、南に大島、西に富士山、東に三浦半島を望むことができます。 江の島サムエル・コッキング苑と江の島シーキャンドルの公式サイト (enoshima-seacandle.com)


ライトアップ


江の島灯籠 江島縁起をモチーフにした大小1,000基の灯篭が点灯。


1000基の灯篭によるライトアップ


展望ポイント


眼下に江の島ヨットハーバーと対岸には小動岬、その右には七里ヶ浜稲村ヶ崎が見える。
※「真白き富士の根」を口ずさんだ。

※真白き富士の根(ましろきふじのね)は、逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆、全員死亡した事件を歌った歌謡曲である。「真白き富士の嶺」(「七里ヶ浜の哀歌」)


江の島ヨットハーバー、対岸は小動岬。


奥津宮↔下道


奥津宮鳥居


奥津宮


奥津宮


龍宮(わだつみのみや)


龍宮鳥居


恋人の丘に向かう


恋人の丘「龍恋の鐘」
この鐘は、江島縁起「天女と五頭龍伝説」の恋物語にちなんで建てられたもので、その伝説にあやかり、老若男女、多くの人が鐘を鳴らしに訪れます。


龍恋の鐘


急な石段を降る。


左側は、岩屋。右側は、稚児ヶ淵。岩屋に向かう。

江の島岩屋

江の島岩屋入口。べんてん丸乗場までの行き方の看板も。


べんてん丸航路


岩屋の歴史や資料あ展示されていた。


ロウソクのランタンを持って洞内を進む。


石像が鎮座していた。


暗い洞内を灯りを頼りに、天井にぶつからないよう進む。


人が通れるのはここまでですが、岩屋の先は富士山の氷穴まで通じていると言われている。


日蓮上人の寝姿石


日蓮上人の寝姿石


頭上注意・・


風鈴が鳴っていた。


第二岩屋はパスした。


昼食。フナ虫がいっぱいいた。


昼食後、奥津宮まで戻り、次の龍口寺へ。

龍口寺

境内図


龍口寺
この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。
その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。
なお本格的な寺としての格式を整えたのは津村の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来の事とされている。 江戸時代までは選任住職を置かず子院である片瀬腰越八ヶ寺(通称片瀬八ヶ寺)が輪番で維持していた。片瀬八ヶ寺の山号は全て龍口山。文化財指定はありません。(出典・参考:wikipedia)


五重塔あで少し石段を上がる。

満福寺


天平16年(744年)に行基が開山したとされている。
元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる 。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。。(出典・参考:wikipedia)


満福寺で集合写真


小動神社鳥居


鳥居と拝殿


幕末相模湾の防備を固めた、腰越八王子遠見参所。

リーダーコメント
爽やかな潮風を受けて江ノ島をくまなく歩き、腰越の寺社を訪ね歩きました。熱中症になる事もなく元気に歩き通しました。 大倉昌子

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