2023.11.18【東郷公園の紅葉】報告 鳥居節男 | 東京ハイキング協会

2023.11.18【東郷公園の紅葉】報告 鳥居節男




東郷元帥銅像の前にて

2023年11月18日(土)  天気:晴れ レベル2⃣一般弱
担 当 L :鳥居節男
協 力 者:田渊祥子
現地協力者:田村武、阿部美代子
投 稿 者:鈴木榮男
参 加 者 :36名(女性:26名、男性:10名)
所要時間 :3時間55分(昼食・休憩等含む)
歩行距離 :約8km

コース
西武秩父線吾野駅10:25法光寺10:33宝生の滝・爪書き不動尊10:55岩殿観音窟石龕11:18宝生の滝・爪書き不動尊12:00東郷公園・秩父御嶽神社(昼食含む)13:55
14:20吾野駅

コース軌跡



吾野駅


リーダー挨拶(コース説明、協力者紹介等)


準備体操


法光寺山門


法光寺本堂

 
宮城県名取市閖上『東禅寺大梵鐘』。(復興まで法光寺でお預かりしているとのこと。)


踏切で西武線特急Laview(ラビュー)の通過待ち


岩殿観音窟石龕参道を歩く。

 <宝生の滝
高さ18m。現在は糸のような冷水が神秘深さを漂わせている。


宝生の滝・爪書き不動尊


爪書き不動尊
岩壁に彫られた仏像。弘法大師手彫り不動尊と言われる摩崖仏。


岩殿観音窟石龕(法光寺奥ノ院) 横の入口から内部に入ると ↓


岩殿観音窟石龕内
法光寺の奥ノ院である岩殿観音窟は、裏山の中腹にある。関東三大岩殿観音の一つだと称している。
奈良時代、行基がこの洞窟で一夜を過ごした際、見た霊夢に従って十一面観音像を刻み洞窟内に安置したと伝える。南北朝時代の貞和2年(1346年)に造られた石龕は県の史跡となっている。

もともと岩殿観音を守っていた観音院という寺がいつの間にか廃寺となったため、昭和13年に法光寺が観音堂を復興し奥ノ院とした。

石龕は緑泥片岩で囲まれた四角塔の厨子で、石門と石柵を巡らした仏教遺跡としては類例の少ないものです。今日、貞和2年銘の扉と思われるものが法光寺に保管されています。


橋を渡る


木橋滑りやすい

 
参道を下る                          落葉が昨日の雨で濡れていた。


西武秩父線吾野駅 上下車輛と特急の3両が止まっていた。


吾野鉱山


無人販売所(100円均一 梅干し)

 
フェンスの下は西武秩父線               トキリマメ。 この尾根道の山側になっていました。


紅葉していました。


東郷公園・秩父御嶽神社入口


由緒・案内図
秩父御嶽神社は、当地の御嶽行者、鴨下清八が創建しました。清八は十六歳のとき、母が重い病にかかり、薬、医術も効が無く、神の力に頼るほかなしと御嶽信仰に入信し、修業重ねました。その甲斐あって母の病は日毎に平癒を見ました。清八は神の力を深く信じ、明治二十八年十一月、当地へ木曾の御嶽山より御嶽大神を勧請し、万人にこの神のご神徳をと秩父御嶽神社を祭祀しました。

また清八は、日露戦争の後東郷平八郎元帥の精神を普及させようと銅像の建立を発案し、建設資金を募りました。何度も東郷元帥邸を訪れ銅像建立の許可を求めましたが、未だかつて何処にも自身の銅像の建立を許していない元帥の首は、なかなか縦には振られませんでした。しかし挫けることなく尋ね来る清八の誠心誠意の熱意は元帥を動かし、ついに承諾を得ることが叶いました。こうして東郷平八郎元帥の銅像が完成、大正十四年四月十七日の除幕式には、元帥自ら随伴者とともにご臨席されました。

一休み。睦まじいね‼

 
入山                             入山料支払い100円


砲弾と敷設水雷
右の砲弾は日露戦争日本海々戦時、ロシア軍バルチック艦隊より発射された主砲の巨弾で、日本海軍はこのため苦戦をしいられました。
左の球形のものは、敷設水雷と云い、旅順港口に多数敷設され、日本海軍の入港を阻止しました。戦後、日本軍が掃海し、引き上げたものが海軍省より下賜されました。説明板より


東郷元帥銅像前で撮影


東郷元帥銅像について


弾痕の三笠甲板


弾痕の三笠甲板

 
東郷元帥像と「三笠」                     {三笠」船首


三笠甲板より 前方の島は「猿島」 渡船と桟橋

横須賀港に記念館「三笠}として保存されています。正面の海上に猿島が見えます。
2020.11.10猿島見学ツアーの時撮影 (投稿者)

欧米列強の軍事脅威から主権と領土を守るためには軍事力の強化が急務と痛感した時の政府は、戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を基幹とする「六六艦隊整備計画」を推進しました。

「三笠」は、英国ヴィッカース造船所に発注した6隻目の戦艦であり、明治35年(1902)3月に竣工、直ちに横須賀に回航され、日露関係が悪化し戦時体制に移行した明治36年12月、連合艦隊に編入され、その旗艦になりました。公益財団法人 三笠保存会ホームページより 青い文字クリックするとリンクします。


本殿遥拝処

 
急な石段を上がる                                                   一心靈神祠(御嶽講祖神)


山道を歩くグループ(迂回路)


三笠山神社  心願成就・方位除け


急な石段を上がる


秩父御嶽神社前にて集合写真。 青い文字クリックするとリンクします。


下山は山道を歩く。


東郷元帥銅像


紅葉

 
昼食


実が付いている紅葉した落葉


紅葉


乃木将軍銅像
乃木将軍は萩出身の陸軍陸軍軍人日露戦争時、難攻不落といわれた旅順の203高地を攻撃しました。質素倹約を旨とし、農将としても名高く、明治天皇の大喪の日に殉死はあまりにも有名です。「農は国の本なり」との信念にも篤かった。
当山開祖の鴨下清八氏は、将軍に師事するがごとく農業、養蚕業にも力を尽くし、昭和4年11月24日、人々の模範となるよう、この地に将軍の銅像を建立しました。説明板より
乃木希典(のぎまれすけ)1849.11.11~1912.9.13


紅葉


一歩一歩ふみしめて登る❕


西武秩父線の跨線橋。吾野駅に向かう。復路と同じ)


リーダー解散の挨拶。

リーダーコメント
東郷公園の紅葉は、夏の猛暑のせいか色づきが悪くイマイチでした。
秩父御嶽神社本殿への参道の階段を見上げればギョギョギョ! それで脇の参道へと結構な距離でお疲れ様でした。私事ですが、持病等の事情で、今年度でリーダーを辞任させて頂きます。リーダーとして18年間、協力リーダー、協力者及び参加者の皆様に支えられ今日までやってこれたことを深く感謝申し上げます。有難うございました。鳥居節男

この記事にコメントする


東ハイホームページを登録(無料)

メールアドレスを記入して登録すれば、更新をメールで受信できます。

783人の購読者に加わりましょう

東ハイ会員web

カレンダー

2024年11月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

アーカイブ

Powered by WordPress, 12345678, WP Theme designed by WSC Project. ログイン