2023.12.17【南千住~北千住】報告 岩間英之 | 東京ハイキング協会

2023.12.17【南千住~北千住】報告 岩間英之



2023年12月17日(日) 天候:曇り 強弱度:ウォーキング①
担当L:  岩間英之(投稿者)
協力者: 山岸圭一(写真協力)
現地協力者: 五木田悦子
参加L:   柴崎実
参加者: 20名(男性8名 女性12名)
歩 程: 2時間00分
コース: 常磐線 南千住駅 10:15集合 歩行開始10:20→回向院10:25→延命寺10:35→浄閑寺10:50→円通寺11:05→素盞雄神社11:15→千住宿歴史プチテラス11:50→千住仲町公園(昼食12:05~12:50)→横山家住宅13:15→名倉医院13:20→解散13:35→北千住駅

南千住駅前の日の当たるところで朝の挨拶

南千住駅ちかくの松尾芭蕉の銅像
回向院の入口にある吉展地蔵尊
1963年3月31日午後、東京下谷の村越吉展ちゃん(4歳)が自宅前の公園で何者かに連れ去られた。4月6日、犯人は吉展ちゃんの母親を自宅近くに呼び出し、現金50万円を奪って逃走した。捜査は難航したが、1965(昭和40)年、元時計職人・小原保元死刑囚が犯行を自供し、荒川区内の墓地から吉展ちゃんの遺体が発見された。小原元死刑囚は1967(昭和42)年、最高裁で死刑が確定し、1971(昭和46)年12月23日、執行された。

回向院内にあるカール・ゴッチの墓 (力道山時代に活躍したプロレスの神様と称されるレスラー)





吉田松陰の墓石 (史跡の一番奥に鎮座していますが、1863年に高杉晋作らによって世田谷区若林に改葬され、その地に松陰神社が建立されたので、ここには当時の墓石だけが文化財として保存されています。)

明治初期の稀代の悪婦として知られ、最初の夫を毒殺後、各地を放浪しながら悪事を重ねた『高橋お伝』。
江戸時代の侠客で、喧嘩で深手を負った自分の片腕が見苦しいと、子分に鋸で切り落とさせた伝説の持ち主『腕の喜三郎』。
どちらも稀代の大悪人ですが、「腕の…」という名前から腕の墓石と云うのもある意味愛すべき悪党と云えるかもしれません。



延命寺の首切り地蔵

小塚原刑場での死体は丁寧に埋葬されなかったため、夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような様相でした。
この有様を見た墨田区の回向院住職が、刑死者を供養するため創建したのが常行堂で、その後、小塚原回向院となり処刑された罪人を葬りました。
そして現在、小塚原刑場跡地には、小塚原回向院から分院独立した『延命寺』があり、罪人を供養するために寛保元年に造立された“首切地蔵”が安置されています。

浄閑寺山門
安政2年(1855)の大地震で犠牲となった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込まれたことから別名“投込寺”とも呼ばれています。吉原遊女約11、000人を埋葬。 小説家の永井荷風は、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、たびたびこの寺を訪問していました。荷風の筆塚と詩碑はその縁で建てられました。




曹洞宗のお寺です。延暦10年(791)、坂上田村麻呂の開創と言われています。
境内にある旧上野の黒門は、元々は上野の寛永寺に建っていたものです。慶応4年(1868)に彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争の際の激しさを今も伝える弾痕が数多く残っています。
この黒門は、円通寺の住職が彰義隊士の遺体を埋葬し供養をしたのが縁で、明治40年(1907)に移設されました。


上野戦争(うえのせんそう、慶応4年5月15日1868年7月4日〉)は、戊辰戦争の戦闘の1つ。江戸上野東京都台東区)において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いである。

素盞雄神社(平安時代延暦十四年(795年)創建以来1200年「悠久の歴史を有する下町の古社」)





富士塚 (富士山への信仰から江戸時代に各地に富士塚が作られたそうです。富士山まで行けない人も身近で富士山に登ることができるようにというものですね。素盞雄神社にも富士塚(小塚原富士)があります。)





松尾芭蕉の碑





千住大橋を渡ります。




千住宿歴史プチテラス (千住四丁目の元地漉紙問屋・横山家の内蔵(土蔵)を平成5年(1993)に移築したものです。間口2間半、奥行き3間半の2階建てで母屋と棟続きの内蔵として使われていました。棟札から天保元年(1830)3月に建築されたことがわかります。プチテラス整備にともない土蔵のほかに、横山家から庭石、千住二丁目の山崎家から高さ8尺の石灯籠、千住四丁目氷川神社から力石の寄贈を受けました。地元の「千住宿歴史プチテラスの会」の方々によって管理され、ミニ展示会などに利用されています)

千住河原町はかつて「やっちゃ場」とよばれた青物市場で、戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。(やっちゃとは市場の競りのかけ声であったと言われています)





千住宿歴史プチテラスの内部

千住仲町公園(昼食12:05~12:50)

下町情緒の残る旧日光街道を歩く

千住街の駅

横山家住宅




北千住駅に向かう途中の駐車場で解散13:35

北風の吹く寒い日でしたが、歩いている間はさほど寒さを感じることなく下町情緒の残る江戸の宿場町を元気に散策出来ました。私の今年最後の山行でしたが、来年も皆さんの元気なお姿でお会い出来ることを楽しみにしております。皆さん良いお年をお迎え下さい。        岩間英之

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