2024.05.03【ソレイユの丘と荒崎公園】報告 松木千恵子
2024年5月3日(祝・金) 天気:晴れ レベル[2]一般向弱
◇担 当 L :松木千恵子
◇参 加 L :中嶋要一
◇協 力 者 :桜井敏子、石田さとみ、鈴木榮男(投稿)
◇参 加 者 :46名(女性:36名、男性:10名)(うち、非会員1名、初参加1名)
◇所要時間 :4時間42分(休憩等含む)
◇歩行距離 :9.4km
<コース>
京急線三崎口駅9:14→10:25円徳寺→10:33長浜海岸→11:15ソレイユの丘(長井海の手公園)11:30→11:50熊野神社→12:05憩いの広場(昼食)12:50→夕日の丘13:00→弁天島→13:56荒崎バス停=三崎口駅
リーダー挨拶(今日のコース及び参加リーダー、、協力者等紹介)
<實相寺>
本寺は歓喜山実相寺といい、日蓮宗で開山は日胤上人です。
寺内には七面天女が祀られております。この七面天女は、徳川八代将軍徳川吉宗(1716年~1745年)の母堂順正院様の祈願に霊験をあらわしたということで、大切に祀られていましたが、のちに藤枝若狭守に遣わされ、さらに東京谷中の日蓮宗宗林寺に納められました。
この宗林寺の僧、日巡が宮田在住の猪熊安清と歌道の友としてじっこんの間柄で、一日宮田湾の風光に接し、美しい波島に遊んだ時、この島に七面天女を安置することがふさわしいと考え、猪熊安清の許しを得て、1715年(正徳5年)3月9日、島に一宇を建て、勧請したと伝えられています。
また言い伝えによると、昔、時化のとき、この波島に大蛇が流れ着き、この大蛇を見た人は病気になったとも言われたが、七面天女勧請以来、病気や災難除けのために七面天女に祈願して幸福を得たと伝えられ、開運七面天女と尊称されております。
七面様の縁日は毎月19日で、近郷からのお参りでずいぶん賑わったということです。波島がこの実相寺の寺領だったので、大正年間(1912年~1926年)に寺内に移し祀られました。(七面天女説明板より)
白い藤が咲いていた。
<円徳寺>
元は真言宗の僧だった日範上人は、松葉ヶ谷で日朗上人と法論の末改宗。日範上人は正応3年(1290)和田村へ入り、日蓮聖人が流された伊豆を遠望する磯の石窟で荒行・誦経・説法を3年間続けた後に圓徳寺を開いた。元禄地震(1703年)の津波や関東大震災(1923年)で被害を受けるも、昭和6年(1931)に本堂を再建、現在に至る。
この御経窟は、日範上人が師である日蓮上人の十三回忌の折りに専念題目を唱えたと伝わる。 沿道の赤辺稲荷は漁師の神様として信仰されている。
<ソレイユの丘>(長井海の手公園)
※ソレイユの丘のホームページ https://soleil-park.jp/
狛犬 天保4年と刻まれていた 急な石段 正面は海
※ちなみに、天保(てんぽう)は、日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。
地域特性を活かしデザインされたマイルストーンで、三浦半島全8か所にあります。オリエンテーリングのように巡り、三浦半島観光をするのがお薦め。『荒崎公園』はタカアシガニです。相模湾の深海に生息しており、県内で唯一水揚げしている場所が、ここの町とのこと
<リーダーコメント>
(関東ふれあいの道)
荒崎 潮騒のコースを歩きました。
以前は佃嵐崎から荒崎へ繋がっていた路は台風により流され、現在は歩行禁止になっています。
砂浜の長浜海岸から岩礁の佃嵐崎に、ここから階段を登りつめるとソレイユの丘です。
園内には鯉のぼりが泳ぎ ネモヒラの花が満開です。
荒崎公園の「憩いの広場」でランチタイム。
夕日の丘から岩礁帯に下り、潮風の丘から弁天島近くまで行き、その先は通行止のため引き返しました。
荒崎海岸は切り立った荒々しいリアス式海岸が続き、かながわ景勝50選に選ばれています。
五月晴れの中 広々とした三戸の畑道からキラキラ輝く海原に潮風を浴びての楽しい山行でした。
会員の皆様お疲れ様でした。参加頂き有難う御座います。松木千恵子