2011.05.14. 【多摩森林科学館~初沢山 】1、初心者向き 報告 | 東京ハイキング協会

2011.05.14. 【多摩森林科学館~初沢山 】1、初心者向き 報告



楽しく高尾!  東ハイ イベント 山行 強弱度 1 初心者向き  

 歩程2~3時間 

 天候 晴れ夕方 にわか雨

  

多摩森林科学園 周遊 植物観察 ~初沢山294m (3等三角点峰 

 初沢城址 みころも公園)  

  

      係リーダー :濱坂考一  

     協力リーダー:小林 妙子(投稿者) ;松浦利保 ;村上健一  

                 参加リーダー:福家禮三

     事務局7名と参加者36名 合計43名        

   コースタイム  

京王新宿駅9:10発準特急=北野乗換=高尾駅–JR高尾北口前10:20集合―10’―森林科学園(入園料¥300)10:30-:45  歩行スタート10:58–柳沢林道・とおみ通り・‐あずまや241m11:30‐:40-昭和林道―仲通り11:53—見返り坂11:56—-夫婦坂12:00—-森林科学館正面入口広場で昼食12:15-13:00— 高尾駅南側方面初沢山登山口 13:45-  -御衣公園13:30—高尾天神社-13:34-:48—初沢山山頂294m(三等三角点、初沢城址標識)14:00–:08—-八王子水道タンク14:10—高尾やすらぎ霊園14:12—みころも霊堂14:25-28—浅川小学校前14:31—京王高尾駅南口前解散14:38  

歩程3時間 (7.33Km 19289歩)

森林科学館

   

総勢43名が集う

    

タツナミソウの花がが目立つ

    

金襴が1輪見られた

  参考資料 と考察 

多摩森林科学園(たましんりんかがくえん)は、東京都八王子市廿里町にある森林・林業・木材産業に関する試験研究機関である。組織としては、独立行政法人森林総合研究所の施設にあたる。施設の一部は一般に公開されているが、入園料がかかる。 4月¥400 他¥300 

サクラ保存林:日本各地のサクラの遺伝子を保存するための林であり、約1,700本の桜が植えられている。開花時期は、種類により異なるが毎年2月~5月(ごく一部は10月~11月)にかけて咲き誇る。多くは、都心部のソメイヨシノの開花時期よりも半月ほど遅れた4月中旬頃が見頃となるため、時期になると二度目の花見を楽しむ入園者で混雑する。なお、園自体は、サクラの開花時期以外にも年末年始及び休園日を除く通年、一般公開されている。  

樹木園:約620種類の樹木が植えられている。  

1940年1月 帝室林野局東京林業試験場と改称。  

1947年4月 農林省林業試験場浅川支場と改称。  

1988年10月 森林総合研究所多摩森林科学園と改称。  

2001年4月 独立行政法人森林総合研究所多摩森林科学園と改称。Wikipediaより  

この科学園は、400年以上の昔、小田原城を攻めるために南下してきた武田信玄の軍勢を、北条氏照が迎え撃った古戦場にあります。江戸時代には、幕府の直轄地で、伊豆の韮山で反射炉を築いて大砲を鋳造した代官、江川太郎左衛門もこの地を管理していました。当時植えられたヒノキが「江川ヒノキ」の名で残っています。大正10年(1921年)、宮内省帝室林野局林業試験場として始まりました。現在は、筑波研究学園都市にある独立行政法人森林総合研究所の一支所として、森林環境教育の場における動植物の多様性保全・生態系の役割解明の研究を進めながら、都市近郊の貴重な自然を守っています。           八王子観光協会パンフレットより  

サクラ保存林  

 サクラ保存林は、各地の著名なサクラの遺伝子を保存するために昭和41年に設置が決まりました。現在約8haの面積に江戸時代から伝わる栽培品種や国の天然記念物に指定されたサクラのクローンなど、全国各地からのサクラ約1,500本程度が植えられています。同時に導入されていない品種の収集や、分類の見直し、保存方法、生理的反応などの研究も進めています。  咲く時期は種類によっていろいろで、2月下旬から5月上旬にかけて順次見頃となります。  

この日の入園はまことに残念ながら花は 全て咲き終わり残念でした。

サクラの大敵 病 害:ならたけ病、天狗巣病、幼果菌核病 虫 害:コスカシバ、ウメシロカイガラムシ、モンクロシャチホコ  

※木の周りの土を踏み固められることもサクラにとっては大敵です。  

二度咲くサクラ  ‘冬桜’、‘十月桜’、‘四季桜’、‘不断桜’  春にも咲きます。← ‘冬桜’(ふゆざくら)  

匂いのあるサクラ   ‘駿河台匂’、‘荒川匂’、‘万里香’ ← ‘駿河台匂’(するがだいにおい)  

小輪のサクラ   チョウジザクラ、ミヤマザクラ、マメザクラ、‘八重紅枝垂’、‘雛菊桜’ ← ミヤマザクラ(深山桜)  

大輪のサクラ   ‘白妙’、‘御車返’、‘花笠’、‘太白’、‘関山’ ← ‘御車返’(みくるまがえし)  

紫がかったサクラ   ‘紫桜’、‘矢岳紫’ ← ‘矢岳紫’(やだけむらさき)  

緑や黄色のサクラ   ‘御衣黄’、‘鬱金’ ← ‘御衣黄’(ぎょいこう)  

純白のサクラ  ‘太白’、‘天城吉野’、‘駒繋’、‘白妙’、‘雨宿’、‘白雪’、‘白滝枝垂’、‘緑桜’ ← ‘太白’(たいはく)紅色のサクラ  カンヒザクラ、‘琉球寒緋桜’、‘陽光’、‘関山’、‘山本大提灯’、‘紅豊’、‘花笠’ ← ‘関山’(かんざん)  

             独立行政法人 森林総合研究所 多摩森林科学園パンフレットより  

サクラ保存林は、各地の著名なサクラの遺伝子を保存するために昭和41年に設置が決まりました。サクラの老化と衰退を防ぎ、その復興をはかるため日本全国のサクラ品種の収集や保存、研究を開始しました。  

現在約8haの面積に江戸時代から伝わる栽培品種や国の天然記念物に指定されたサクラのクローンなど、全国各地からのサクラ250品種、2000本におよぶサクラがあります。  

同時に導入されていない品種の収集や、分類の見直し、保存方法、生理的反応などの研究も進めています。  

咲く時期は品種によって違い、2月下旬から5月上旬にかけて順次見頃となります。  

また変ったものでは秋から冬にかけて咲く品種や、緑や黄色のサクラもあります。  

開花の時期に合わせ一般に公開している。いわば、ここを訪ねるだけで日本全国の全種類のサクラが見られると言うことか。天城吉野、琉球寒緋桜・・・・濃いピンクの桜も有れば、純白の桜、緑色の花を咲かす鬱金(うこん)という桜もあって、色鮮やかで歩いていて気持ちがいい。  

八重咲きのものが多いようで都心からやや遅れて見頃になるようです。              

一般的な桜の名所にあるソメイヨシノはほとんど無く、ピンク色の濃いサトザクラの仲間が多い。  

丘陵地に咲いているので、公園などの平らなところで咲いている桜とはおもむきが異なり、ボリュームが多く感じる。  

桜には蜜を求めて鳥たちがやってくるのでバードウオッチングにもなる。  

サクラ保存林を囲む外側の遊歩道はアップダウンが多く、普通に歩いて50分ほどだが、細かく遊歩道が巡らされているので、案内図をたよりに全部の道を歩いて桜を楽しむと良いと思う。  

保存林内には幾つかの遊歩道があり、全てのコースを回ろうとすると、約4キロメートルほど歩かなければなりません。しかし山あり谷ありの各コースには、様々な色形のサクラを見ることが出来ます。              

すべての桜を見ようと通い詰める人もいるそうです。 お目当ての桜を見逃してしまった人、ご安心を。桜の生花をアクリルに封じ込めた、氷柱花のように美しい“アクリル桜”約250点は通年開花中です!  

但し、サクラ保存林は、公園ではなく研究施設なので、動植物の採取や、立ち入り禁止区域に入ることはもちろん、酒類の持ち込みや飲酒も禁止されています。食事はベンチのある場所、煙草は灰皿のあるところでお願いします。  

 gallary 二度クリックすると大きく見られます

樹木園  

7haの敷地には林業用の高木樹種を中心におよそ620種、6000本の樹木が植えてあります。古いものは150年以上経っています。  

試験林  

多摩森林科学園には約40haの試験林が設置されています。  

試験林には天然林も残されており、モミやスタジイ・アラカシなど暖帯林の常緑樹が優占していますが、ハリギリやカスミザクラなど温帯林の落葉樹も見られます。  

700種以上もの植物が自生しており、東京近郊の森林としては良好な自然状態が保たれています。  

森の科学館  

森の科学館は、森林に関わる研究成果を皆さんに知っていただくための施設です。森林についての研究成果を公開しており、植物図鑑や桜の資料も多い。”見学のしおり”が置いてあって、森林の豆知識、園内の案内図や桜の見頃も書いてあるので、もらって歩くと良いだろう。  

「森の科学館」の左右には公開されている第一樹木林がある。「パネルや映像、いろいろな資料や試作品を展示しています。他に皆さんとの交流の場、森林講座も開いています。  

初沢登山口のみころも公園にある菅原道真像

 

   

初沢山 初沢城跡  

甲州街道のすぐ東側、JR(京王)高尾駅南口から少し歩いたところに初沢山(294.1メートル)があり、ここが戦国時代、武蔵国・西部地域における重要な戦略拠点と見られていた山城「初沢城」跡です。築城年代は明らかではないが、麓にある解説板によれば、築城の手法からみて室町時代の15世紀末に造られたものではないかといわれている。山頂に主郭、東北に向かう支脈の先端部(現・高尾天神社上)にも郭跡や堀切・削平地があり、山の東北方面(高尾・八王子方面)の守備を固めるための砦だったようです。  

初沢城は、椚田城とも呼ばれ、鎌倉初期、横山党の椚田太郎重兼が居住したともされるが定かではない。高乗寺開祖、のちに扇谷上杉氏の傘下に組み込まれた片倉城主の長井氏の築城とも言われる。永正元(1507)年、山内上杉氏と扇谷上杉氏が立川周辺で戦った際に落城した椚田塁がこの初沢城とも言われている。椚田氏は八王子市内元横山町付近を本拠としたらしいが、今の椚田町付近、湯殿川の上流域の谷を開拓したようだ。  

南北朝期は、大江広元の流れを組む長井氏が拠ったともいわれる。広元の次男時広を祖とする長井氏は、大江一門として鎌倉幕府の要職にあった。建武の新政府の中にあって旧幕臣でありながら長井氏が登用されているのはその実務能力を買われてのことであろう。この長井氏は南朝対立とその後の関東動乱を常に主流派の側に置きうまく世渡りしていたが、永世元年(1504)以降多摩地方から姿を消している。この長井氏が、初沢城を築いたというのが有力である。  

山城とはいっても八王子城ほど急峻でもなく、ちょうど平地から丹沢山系の山々に繋がる場所であるため、物見としての機能も持っていたことでしょう。立地条件としては、小仏峠の入り口にあたり、背後に高尾山、丹沢山系を控え、小仏峠方面の監視、本城である滝山城、八王子城との連絡面でも適切な立地条件といえるため後北条氏時代になって支城網整備の中で、北条氏の手により今の形になったのではないかと思われます。  

八王子城のように目立った遺構もないが、形式的には山麓に居館、背後の山を詰め城とする規模からも土豪の掌握に苦労しながら扇谷上杉方として戦った長井氏の築城は妥当なところかかもしれません。小田原の役においても、ここで攻防戦が行われたかどうかはわかりませんが、恐らく城主以下全員が八王子城に集結し、この城は、最初から放棄されていたのではないでしょうか。  

この一帯は御衣(みころも)公園といい、地元のひとの憩いの場となっている。山頂付近は初沢城の主郭で一周する道が設けられている。また、山の中腹には、菅原道真の像があり「菅公(かんこう)さん」と地元の人から親しまれている。また麓には「みころも霊堂」という黄金色に輝く巨大なお墓の塔(マンション?)があり、高尾駅を降り立つ人からは不思議な目で見られている。  

東麓の初沢川沿いにある高乗寺は、長井氏によって寄進され、応永元(1394)年に開基、長禄元(1457)年に現在地に移ったとのこと。  

天正18年に豊臣勢が八王子城を攻めたとき本陣を置いたとされている。 高尾総合インフォメーションより  

みころも霊堂  

JR・京王高尾駅に降り立つと異様な建物が目に留まります。金色に輝くパゴダ風のその建造物は、見る人によっては、ロケットだとか、三度笠とか、とにかく何だろうという気にさせます。この建物は、初沢町と狭間町にまたがる風致公園「御衣公園」内にそそりたっています。  

この建物の正体は、労働福祉事業団が労働省と協議し、労働災害保険法施行20周年記念行事として、国費、民間有志の協力により産業災害により殉職された方の御霊をお慰めするため1972年(昭和47年)に開堂した慰霊堂「みころも霊堂」です。  

開堂以来、毎年秋に各都道府県の遺族代表をはじめ政財界、労働団体の代表等をお招きし、産業殉職者合祀慰霊式を挙行するほか、多彩 な行事を催し、御霊をお慰めしています。また、慰霊式には霊堂が建立された昭和47年を初めとして5年ごとに、皇太子同妃両殿下の御臨席を仰いでおります。  

あわせて納骨堂の機能も有しており、10万柱の納骨が可能です。(合祀殉職者総数 195,224名(平成12年殉職者3,437名含む) 納骨状況(平成14年3月末現在)5,709体(殉職者3,328体、一般 2,381体))  

建設延べ面積:3,296平方メートル、建物は鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階 地上11階建てで高さ45m(相輪頂部まで65メートルのパゴタ風の建物)3階はテラス、4~8階納骨堂、9階祭祀室、10階展望台、11階拝殿となっています。  

拝殿は、この霊堂のシンボルゾーンであって、ここには産業殉職者のかたがたの霊位が奉安され、永遠の灯がともされて、殉職者の御霊を光明の世界に導いています。  

拝殿の裏側には、「天地」像、「日光」「月光」の両像が安置されており、絵画「静進(あゆみ)」と「曙光」掲げられております。天地像は、日本芸術院会員晝間弘先生の作、悠久の宇宙を象徴しています。日光、月光像は、二紀会審査員滝川毘堂先生の作で絶えることのない慈悲を象徴しております。  

絵画「静進(あゆみ)」は「曙光」とともに院展会員月岡栄貴画伯の作品、 「静進(あゆみ)」は現在を、「曙光」は過去を象徴しています。  

祭祀室は、御遺族のかたがたが慰霊を行われる場合の利便を考えて設けられたものです。仏教のかたがたのために、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二つの仏壇が設けられています。神道のかたがたのために、神殿を設けてあります。キリスト教の祭壇は、キリスト誕生にちなみ馬小屋がデザインされ、正面には鉄製の十字架が、壁には鳩が表されています。   

御衣公園上の高尾神神社

初沢町の御衣(みころも)公園には菅原道真公の高さ4.8m、重量6000kgのブロンズ像がある。  

八王子市内におかれた初めてのブロンズ像だが、ここには深い歴史がある。  

もともと菅原道真公は我が国の文神として昔から崇敬されてきたが、この文神像の建設計画が起こったのは、大正10年のこと。  

当時の予算で35万円が計上され、制作は彫刻家の渡部長男氏に委嘱された。    

大正12年の春、原型は完成したがその年の9月の大震災で計画は中止された。昭和5年、鋳造半ばで放置された文神像を心痛く思った作者はひとりでこの鋳造を続行、完成させた。    

その翌年の昭和6年のこと、多摩大正天皇陵御治定記念事業の発議が起こった。  

大正天皇は特に天満宮に御信仰があり、宮城前には楠木正成公、桃山御陵前には乃木将軍の像があることもあったので、大正陵には文神様がふさわしいとして文神様像を多摩御陵近くに建設することに決まった。  

しかし、寄付で賄っていた資金が底をつき、計画は挫折。結局、作者の渡部氏がまた自ら工事を進め、同地の山口安兵衛氏より土地を寄贈してもらい、昭和11年12月28日に除幕式を行うことができた。  

菅原道真は、「東風吹かば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて 春なわすれそ」でも有名なように梅の花がたいそう好きだったようで、みころも公園には梅ノ木が植えられました。ちなみに「御衣公園」のみころもは、菅原道真が詠んだ「九月十日」という漢詩にある「恩賜の御衣いまここにあり」という一文からとったものです。  

高尾神神社前の広場見晴らしが良い

初沢山 山頂

記念撮影 

記念撮影-3-2

下山は林道を八王子市水道タンク側へ

高尾駅まですぐの所です

濱坂リーダーの今日のコース

平成23年5月14日(土)

昼食後3月11日の宮城。岩手大津波被災地のための災害募金活動をいたしました。¥12850(参加者36名全員で)は東ハイ所在地の荒川区役所を通じ、。東京ハイキング協会の他7コースの総計とともに日本赤十字社へ届けられることになります 皆さま善意のご協力がほんの少しでも役立てば良いですね。 現地の一日も早い復興を願ってやみません。
追伸  ’11.6/7
総計は107,888円の義援金は集計されました そのうち3万円を東京都荒川区役所を通して また都岳連へ3万円そして残り4万7千8百8拾8円を読売新聞を通して日本赤十字社へ寄付されます

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