2024.06.09【神田川四季の道】報告 辰已惠美子
2024年6月9日(日) 天候:曇り レベル:ウォーキング①
担当L :辰已惠美子(投稿者)
協力者:池田正義 石川孝子
参加L :大倉昌子 岩間英之
参加者:50名(男性21名 女性29名)
コース :JR東中野駅10時集合 歩行開始10:10→中野氷川神社10:20→桃園川緑道→神田川四季の道10:40→成願寺11:30→本二東郷やすらぎ公園12:00(昼食)12:45→宝仙寺13:00→桃園川緑道→宮前公園→紅葉山公園(解散)→JR中野駅
行動時間:3時間50分(休憩含む)
110:20中野氷川神社
創建は平安時代中期で旧中野村の総鎮守様です。
御祭神はスサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、オオナムチミコトです。
昭和48年(1973年)に大ヒットした南こうせつをかぐや姫の「神田川」の歌碑があります。
今の時季は所々にあじさいが咲いていて目を楽しませてくれます。
中野長者鈴木九郎の邸宅だったが、一人娘の小笹が病死した際に悲しみから出家をし、家をお寺にしたのが成願寺のはじまりです。
再び「神田川四季の道」に入ります。
大都会の中にこんなに緑が多い緑道があるのがステキです。
12:00~12:45 本二東郷やすらぎ公園でランチタイムです。
中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。 そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。 その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。 それを見て当山、宝仙寺第50世住職富田敦純大僧正(宝仙学園創立者)が人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。
平成十八年十二月吉日
三味線橋から右折すると紅葉山公園が見えます。
昔、どこからともなくこの付近で三味線の音が聞こえてきたのが三味線橋の由来になっています。
紅葉山公園にはC11-368という蒸気機関車が展示されています。
14:00 紅葉山公園で解散 JR中野駅はここから10分ぐらいです。
リーダーコメント
参加者の皆様お疲れ様でした。暗渠された桃園川緑道と神田川四季の道の二つの遊歩道を繋げ、途中三か所の寺社を参拝しながらのウォーキング。今の時季は色々な種類のあじさいが咲いていて目を楽しませてくれました。大都会の中でも緑と花が楽しめたコースでした。曇り空と風がさほど暑さを感じさせなく歩きやすい一日。参加者一人ひとり、協力者、参加リーダー皆様の協力で最後まで楽しく無事に終了したことに感謝いたします。ありがとうございました。
辰已惠美子