2024.07.06【阿部倉山と長柄桜山古墳群】報告 松木千恵子
イノシシ出没注意!
「令和6年7月3日(水曜日)18時頃に、二子山展望台において、ランニング中の男性(20代)がイノシシに遭遇し、突進されたため、防護した際に軽傷を負う事故が発生しました。」の貼紙がありました。
2024年7月6日(土) 天気:晴れ レベル[3]一般向
◇担 当 L :松木千恵子
◇参 加 L :中嶋要一
◇協 力 者 :桜井敏子、鈴木榮男(投稿)
◇参 加 者 :32名(女性:17名、男性:15名)
◇所要時間 :5時間(休憩等含む)
◇歩行距離 :7.5km
<コース>
JR逗子駅=南郷中学校バス停9:19→南郷公園登山口9:32→二子山9:18→下二子山9:38→南郷上ノ山公園分岐10:56→11:17阿部倉山(昼食)11:57→阿部倉山登山口12:13→川久保交差点12:27→長柄桜山古墳群1号墳13:37→長柄桜山古墳群2号墳13:58→六代御前の墓14:08→京急線逗子葉山駅14:19
南郷中学校バス停から少し歩いた南郷上ノ山公園前で、リーダー挨拶(コース、熱中症に気を付けて、参加リーダー及び協力者紹介等) また、リーダー挨拶の時に、管理者からイノシシが、出没したので、気を付けて下さいとの伝言を受ける。
イノシシ出没注意の張り紙 KDDI国際電信電話株式会社 葉山中継所
KDDIのアンテナ 二子山山頂
二子山(上の山)の展望台
二子山山頂には、戦時中、旧日本軍の二子山高角砲台がありました。 南郷上ノ山公園の第一駐車場から続く登山道は、その軍道をハイキングコースとして整備したもので直線的になっていて、砲台道と呼ばれていました。
阿部倉山山頂
葉山町「阿部倉山の森保全の会」ホームページです。 https://www.abekurayama.com/
私たちが山行できるのは、いろいろなボランティア活動をしている人たちのお陰です。
やぶ漕ぎの後、やっと長柄桜山古墳の第1・2号墳の分岐につく。その後この地点に戻る。
長柄桜山古墳群1号墳について 青色の文章をクリックすると逗子市のホームページにリンクします。
六代御前とは、平高清(1173年-1199年)。平清盛の曾孫(ひまご)にあたります。父は平維盛。六代という名は高清の幼名であり、平氏繁栄の基盤をつくったとされる平正盛から数えて六代目(正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛→高清)です。
治承四年(1180年)、以仁王の挙兵に始まる怒涛の戦乱は、平家の滅亡と鎌倉政権の樹立によって幕を閉じた。平家滅亡後の文治元年(1185年)、菖蒲谷に潜んでいたところを北条時政によって捕縛され、殺害されるところでしたが、頼朝の強い協力者で平家打倒に暗躍していた僧侶文覚が、頼朝に六代は自分の弟子であるとして助命を嘆願、赦されて文覚に預けられて出家し妙覚と名乗りました。
その後、頼朝の死後、時の将軍頼家に斬首に処せられ、斬首地はこの墓の田越川の対岸にあった池の周囲という説もあれば、もっと上流域のあたりだという説、あるいは六浦のあたりであるとする説などとともに諸説あります。遺体がどこに葬られたかは定かではありません。また、この墓は江戸時代、六代の家臣斎藤氏の末裔を名乗る水戸藩士斎田三左衛門尉平典盛によって建てられた供養塚です。
<リーダーコメント>
梅雨が開けてないのに猛暑日になり舗装道路の歩きの短縮、高低差が楽な逆コースに変更しました。
南郷上の山公園の管理者から(2日前この辺に猪が出没したので気を付けて下さい)と伝言を受ける。
上二子山から下二子山は低山ですが、急降下、急登です、アップダウンを繰り返しながら阿部倉山の山頂に到着です。涼しい林の中でランチタイム、休息を充分に取り暑い身体のクールダンンです。
川久保のバス停に下る。
長柄からの古墳群への道は、私有地で整備がされて無く笹藪、倒木有りで荒れていた。
登り詰めと右に1号古墳 左に2号古墳があり、今年整備が終了した1号を先見学する。
展望がよく晴れていれば江ノ島や富士山が望まれビュースポットです。
2号古墳から下り、京急逗子葉山駅前にて解散しました。
猛暑の中の山行で熱中症を心配しましたが、予定の全行程を全員が完歩です。お疲れ様でした。参加の皆様に感謝いたします。松木千恵子