2024.9.22(日)【板橋~巣鴨】報告 岩間英之
区立南谷端公園で昼食後の集合写真
2024年9月22日(日) 天候:曇り レベル:ウォーキング ①
▼担当L:岩間英之(投稿)
▼協力者:達山敏子・山岸佳一(写真)、五木田悦子
▼参加L:辰巳惠美子、柴崎実
▼参加SL:関根直樹
▼参加者:29名(男性9名、女性20名)
▼コース:板橋本町駅10:25→縁切榎→文殊院→中宿商店街→近藤勇墓所→区立
南谷端公園(昼食12:10~13:00)→猿田彦大神庚申堂→巣鴨地蔵通り商店街→高岩寺(とげぬき地蔵)解散後自由行動→巣鴨駅
歩程2時間
縁切榎(仲宿商店街の一角にひっそりと立つこの縁切榎は、全国から多くの参拝者が後を絶ちません。江戸時代、旗本・近藤登之助の抱屋敷にあった榎が、後に「縁切り」に結びつき、幅広い信仰を集めました。文久元年に皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐ際、縁起が悪いとしてこの場所を迂回したという逸話が残っているほどです。庶民の間では、男女の悪縁を切ることや、断酒などが祈願されました。近代では「悪縁は切ってくれるが、良縁は結んでくれる」ものとして礼拝の対象となっており、板橋宿有数の名所となっています。)
皆さんが東ハイとは縁が切れないように願をかけていました。
・
文殊院(もんじゅいん)
江戸時代前期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている真言宗寺院です。本尊の文珠菩薩坐像は寛文年間(1661~1673)の作と伝えられています。板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、墓地には、飯田静の墓や宿場の飯盛旅籠の一つ「大盛川」の墓などがあります。
・
文殊院にある閻魔大王
途中にある公園で小休止
公園の地面に中山道の宿場町の経路が刻まれていました。
・
中宿の商店街を歩く
・
近藤勇墓所に到着
新選組隊長・近藤勇は、慶応4年4月25日に板橋平尾宿にあった一里塚で斬首の刑を受け、首は京都三条河原にさらされ、胴は滝野川三軒家の無縁塚に埋葬されました。 墓碑は近藤勇、土方歳三のほか殉死した隊士の供養のために、新選組隊士・永倉新八が発起人となり、旧幕府典医松本順(良順)の協力を得て明治9年に建てられたものです。
区立南谷端公園で昼食 12:10~13:00
猿田彦大神庚申堂
文亀2年(1502)現在の地に高さ8尺(約2.4m)の庚申塔が建てられた。明暦3年(1657)材木が倒れて五つに砕けてしまったため、これを土中に埋め、その上に現在の塔が建てられた。明治の初め、千葉県銚子市の猿田神社より猿田彦大神を勧請、合祀したという。
・
巣鴨とげぬき地蔵通商店街に到着
高岩寺(とげぬき地蔵)で解散し後は自由行動にしました。
一週間前から天気予報とにらっめっこ90%の降水確率が下がらず、3日前からの1時間ごとの予報も見るたびに変化し気をもんでいましたが、曇りマークが多くなってきたので、決行する判断をしました。
当日は殆ど雨に降られず、風も秋のような涼しい風で気持ちの良い山行が出来ました。
私以外の参加者の普段の行いが良いお陰で無事山行を終えることが出来て感謝いたします。
岩間英之