2011.05.14 【楽しく高尾!八王子城跡】報告 | 東京ハイキング協会

2011.05.14 【楽しく高尾!八王子城跡】報告



八王子城跡【2】一般向弱
実施日:平成23年5月14日(土)晴
リーダー:辰巳哲夫
協力L:下田恵美子・寿L土肥原二郎
参加者:53名
コース:JR高尾駅北口バス停9:00発宝生寺団地行=霊園前→御主殿跡→八王子城跡→霊園前バス停=JR高尾駅
八王子城跡

小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の次男、北条氏照(?から1590)が築いた山城です。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584)から天正15年(1587)の間とする説が有力です。天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。

八王子城は、関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。
城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館のあった「御主殿跡」などの「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分かれています。
この城が築かれた時代は、それまでの戦闘重視の山城から、近世的な天守閣を持つ平山城、平城への転換期であり、比較的なだらかな丘陵を利用して構築された滝山城から、より急峻な八王子城に移ると言うことは、時代を逆行する面もありました。しかし、安土城をはじめ関西の城で取り入れられるようになり、後に近世城郭の一つの特徴ともなった石垣を取り入れているところに、古い時代の山城にはない、八王子城の特徴があります。

平成2年(1990)の落城400年という節目に、御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備されました。石畳や石垣は、発掘によって確認された当時のものをなるべく活用し、破損していた個所についても、できるだけ当時の形に忠実な復元がされています。
また、見学者の案内のために管理棟が建てられ、広場に八王子城案内板が設置されました。
八王子城周辺は、江戸時代には徳川幕府の直轄地、明治になってからは国有林となっていたため、あまり人の手が入らず、御主殿周辺の遺構は良好な形で残っていました。
要害地区は深沢山(城山)の地形を巧みに利用して作られています。頂上に本丸が設けられ、周囲に敵の侵入や攻撃を防ぐために「曲輪」と呼ばれる平場が配置されています。

平成18年4月に日本城郭協会より「日本100名城」に選定されました。
「日本100名城」には、世界遺産の姫路城、国宝の彦根城・松本城、また東京都内では江戸城など、そうそうたる名城が選定されており、八王子城は戦国の山城としての状態を良く残していることなどから選ばれました。
日本城郭協会(外部リンク)


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