2024.09.28【巾着田】報告 辰已惠美子
2024年9月28日(土) レベル:ウォーキング② 天候:曇り
担当L :辰已惠美子(投稿者)
協力者 :池田正義・石川孝子
参加L :岩間英之
参加者:36名(男性10名 女性26名)
コース:JR八高線高麗川駅集合 歩行開始9:55→高麗神社10:25→聖天院10:55→厳島神社(高麗川遊歩道入口)11:20→高麗民俗資料館11:40→巾着田(曼殊沙華群生地)12:05(昼食・見学)13:30→高麗郷古民家→高麗駅
9時40分 JR 八高線高麗川駅集合
駅に大きなチャンスンがお出迎え。さすが高麗郷です。
チャンスン(将軍標)は朝鮮半島で村や寺院の入口に魔除けのため設置されています。
高麗神社の御祭神 高麗王若光は高句麗からの渡来人です。智天皇5年(666年)です。彼は高麗からの使者の一人として飛鳥の宮廷にやってきましたが、2年後に高麗が唐・新羅の連合軍に滅ぼされたため、帰国をあきらめて日本に住むことを決めました。
若光は高麗郡の開発に尽力し、地元の人々から敬愛されました。彼の死後、高麗神社や白髭神社などで祀られるようになりました。
駒家住宅 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になります。
ザックと背中の間に入れると蒸れない優れもの! 遊歩道入口の所で売っていました。500円(^_-)-☆
渋沢栄一が大志を抱いて故郷の深谷から江戸を目指して歩いて道がありました.
あいあい橋 いよいよ巾着田です。橋の上から曼殊沙華が多く見られました。
巾着田は上から見ると、高麗川が大きく蛇行して巾着のような形をしていることから巾着田と呼ばれるようになりました。高句麗からの渡来人が、大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われています。
この日は蒸し暑かったのでドレミファ橋付近で川遊びの人もいました。
高麗郷古民家は平成26年4月25日に国の登録有形文化財に登録されました。
リーダーコメント
参加者の皆様お疲れ様でした。週間天気予報が曇りになったり雨になったりで前日まで心配でしたが雨は降らず、思い切って実施して正解でした。しかし、蒸し暑くて秋とは思えないような気候で汗だくになりました。曼殊沙華はほぼ満開で、まるで赤の世界に入り込んだようでした。高麗郷の歴史にちょっびり触れながら最後まで楽しいウォーキングができました。暑い中のご参加に感謝いたします。ありがとうございました。
辰已惠美子