2025.01.08水曜日【栗橋八福神巡り】報告 柴崎 実L
2025年1月8日(水) 天気:晴れ レベル:②
担当L:柴崎 実
投稿者:柴崎 実
参加者 17名(男性5名 女性12名)
コース 約10KM
栗橋駅集合10時—-–1迎盛院弁才天------2定福院布袋尊‐-------3寶聚寺吉祥天——–4常薫寺大黒天———5顕正寺毘沙門天—–6浄信寺寿老人——-7深廣寺恵比寿——8福寿院福禄寿——-15時栗橋駅解散
*3年前と同様に、ボランティアガイドさんの案内で、歩きました。
栗橋は、埼玉県久喜市栗橋地区です。合併により久喜市になりました。
江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として、関東三大関所の栗橋関所(房川渡中田関所)がおかれた水陸交通の要衝の宿場町(栗橋宿)でした。現在も、日光や東北へ至る鉄道は新幹線も含め栗橋を経由します。
埼玉県内有数の米どころであるほか、いちごも埼玉県内有数の栽培面積、収穫量で農業が盛んな町である一方、東京都心より約50キロと比較的近い地点に位置することもあり、都心方面へのベッドタウンになっています。また、優良な物流施設地、工業地としても発展しています。
くりはし八福神巡りガイド、、、ガイドさんに立派な案内書を用意していただきました。
栗橋駅
出発駅の栗橋駅まえ
栗橋駅近くに静御前の墓があります。
迎盛院(弁財天)
栗橋駅の自由通路を渡り、栗橋駅の西口に出て、大きな通りを西に行くとすぐに左手に迎盛院さんが見えます。駅から徒歩5分です。境内に弁財天が安置されていました。
迎盛院(弁財天)の中の六地蔵
定福院の石仏
布袋尊は境内に安置されてました。
こちらは、ほかに素人が彫った石仏が多く置かれていました。
仁王像も素人が彫ったような感じのものでした。
寶聚寺(吉祥天)
寶聚寺さんは、写真上のように野原に立っているようなお寺でした。
常薫寺(大黒天)
真新しい本堂があり、その本堂の前に大黒天は設置されていました。昼食後、ここからボランティアガイドさんが変わりました。
ボランティアガイドさんの説明を聞く参加者の皆様
顕正寺(毘沙門天)
浄信寺さんの県道を挟んで真向かいが顕正寺さんです。
本堂の奥に毘沙門天さんが安置されていました 浄量山浄信寺 寿老人
深廣寺(恵比寿)
県道を南下して信号を2つやり過ごすと右手に深廣寺さんが見えます。
門を入ってすぐ右手に恵比寿様が安置されてました。
福寿院(福禄寿)
道沿いに福禄寿が安置されています。本堂が右手に見えます。
私はこちらで朱印用紙とパンフレットをゲットしました。
朱印用紙にすべてハ福神巡りの、ご朱印を押印しました。……多分参加者全員押印しました。今回の参加者17名は、今年も特に良い年になる事、間違えありません。
時間も早く、ガイドさんに予定外の八坂神社も案内していだだきました。
八坂神社は、近隣の人々や船主、旅人達をお守りする、ありがたい神様として特に、さらに神社縁起にあるように鯉と亀との縁起から隆昌・健康長寿に後利益のある神様として、多くの人々に天王様と呼ばれ厚く信仰されてきました。招福除災のありがたい神様として多くの方がご参拝に訪れています。栗橋総鎮守八坂神社は元々、元栗橋(猿島郡五霞村)に鎮座していたと伝わっている。正確な創建年代は不詳である。現在の場所への遷座は慶長年間(1596-1615)に利根川の大洪水に見舞われた為であると伝えられている。寛永年間(1624-1644)に栗橋宿が当地へ移転したことにより日光街道栗橋宿の総鎮守として崇敬されるようになった。栗橋町は、かつて江戸時代には日光街道の交通の要衝の地として徳川幕府により関所が設けられ、また江戸に至る利根川舟運の拠点として河港が整備されて船主や旅人で賑わう宿場町であり、商業・交通の中心地として発展してきました。宿場町の人々はもとより、近隣の人々や、船主、旅人達をお守りする招福除災のありがたい神様として、特に「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」「厄除祈願」、さらに神社縁起にあるように鯉と亀との縁起から「隆昌・健康長寿」に後利益のある神様として、多くの人々に「天王様」と呼ばれ厚く信仰されてきました。リーダ コメント
ボランティアガイドさんを依頼しましたが、東ハイの七福神巡りの計画も沢山あり、都心から離れていますので、参加者多いか少ないか心配してました。参加者数は、程よい参加者で、好天候にも恵まれ寒くもなく約10KMでしたが、2名のガイドさんの分かりやすい説明で楽しく歩くことができました。参加者の皆様のご協力感謝します。
柴崎 実