2011.02.06 【金鑽神社御嶽山】報告 | 東京ハイキング協会

2011.02.06 【金鑽神社御嶽山】報告



金鑽神社御嶽山
金鑽神社(かなさなじんじゃ)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。武州六大明神[1]の一つ。神体は御室ヶ獄に鎮座しているので神体を置くべき本殿はなく、社殿は拝殿のみという古い祭祀形態を伝える。参道脇に重要文化財の多宝塔があり、境内奥の御獄山の中腹には、特別天然記念物の鏡岩がある。日本武尊の東征の帰途、伊勢神宮にて倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火鑽金を室ヶ谷に鎮めたのが起源とされる。別当寺は金鑚山一乗院大光普照寺大光普照寺がつとめていた。金鑽神社の金鑚とは(ウィキペディア)もともと金鑚の語源は、砂鉄を意味する「金砂(カナスナ)」に求められ、神流川周辺で、刀などの原料となる良好な砂鉄が得られた為と考えられている。カナスナ(金砂)が訛り、金佐奈(カナサナ)となり、今日では「金鑽」と書き、「かなサナ」と読むようになった。

実施日:平成23年2月6日(日)天気晴
リーダー:佐野俊一郎 (ツイッターはじめました shun_sano)
協力者:青山昌次・平山亨・佐々木純子
参加リーダー:大手和夫・中島要一
参加者:15名・男性7名・女性8名

コース:東武東上線池袋駅8:07発急行小川町行9:17分終点着 JR八高線9:35発高崎行=児玉駅10:06=タクシー金鑚神社大鳥居前10:29→義家橋→金鑚神社拝殿前10:46→鏡岩→石仏の広場→城跡御嶽山本郭11:33→東峰(岩山)11:49~12:31昼食→蓮池→金鑚大師12:59→池田公園13:19~13:27→わんぱく像13:56→JR八高線丹荘駅15:00解散


八高線児玉駅10:06


児玉駅前


大鳥居


金鑚神社へ                        多宝塔へ登る


多宝塔中世の豪族・安保氏による寄進。三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆。多宝塔への参道に鎮座する。


金鑚神社前                        ストレッチ


ストレッチ                         義家橋


俳句碑の登山道                     登山口の日本武尊


俳句碑の登山道                     牛若丸


愛嬌狸                           展望台鏡岩案内


御嶽山本郭へ                      御嶽山城本郭跡11:33


本郭跡安保氏と関わりの深い中世の山城で御嶽山の最高所に位置する本郭から各尾根には郭や堀切が設けられている。


石仏群                           弁慶穴


東郭へ取り付く(岩山)11:49




岩山を下りる                        慎重に


昼食12:00~12:30


ひっそり石仏                       川筋を下る


下りの多宝塔


金鑚大師12:59


一休さん?
当寺は飛鳥時代(1350年前)聖徳太子が創建し、舒明天皇の勅願寺と伝えになった。平安初期、仁明天皇の御代(833~850)慈覚大師円仁が入山し、本尊に十一面観音を安置して天台宗に所属させ、金鑚山一乗院大光普照寺と名付けて開基となられました。平安中期に入り、元三慈恵大師が当寺に滞在し、教えを弘められ、またご自作の像を刻み、これを奉安したので元三大師の寺として広く世に知られるようになった。
鎌倉末期後伏見天皇の御代(1298~1301)には、川越の喜多院より尊海僧正の弟子であった豪海が入山して中興の祖となり、金鑚談所という僧侶の学問所を開設しました。当時喜多院と長沼の宗光寺(栃木県芳賀郡二宮町)と共に関東の三談林と称され、東国天台宗の中核となりました。後に談林寺はその数を増し、江戸時代初期上野に勧学講院が開設されると、その傘下に入り、当寺は八箇檀林の一寺となりました。
当寺の住職は代々学僧によって引継がれたので「学頭」と称され、今なおこの呼び名が残っており、現在64世にまで及んでいます。後冷泉天皇の御代、永承9(1050)年には、源義家の勅命により、義家が東北征伐を行う際、当山に祈願をしたところ、著しい霊験があり、征伐を遂げたため、寺領三千石と諸々の珍しい宝物(現在金鑚神社社宝)を賜わりました。その後、鉢形城主北条氏邦の寺領寄進があり、また天正19(1591)年、11月に徳川家康より寺領三十石の御朱印を賜わるなど、当寺は大いに隆盛を見ました。しかし元禄1(1698)年、冬火災に遭い多くの堂塔伽藍を焼失することとなりました。寺の建物は、その後50世慧章の代、文化5(1808) 年3月に見事に再建され、その客殿が現在の本堂であります。なお明治維新の神仏分離令により、当山の奥の院金鑚大明神は武蔵ニノ官金鑚神社として分立し、多宝塔も神社の所有となりました。しかし、当山は厄除元三大師の寺としての法燈を引き継ぎ、遠近の善男善女の信仰を集め、多くの方々のご参拝をいただいています。現在、関東屈指の霊場として、また児玉三十三霊場三十三番札所ともなっており、たくさんの観光客でにぎわっています。


池田公園休憩13:20~13:30             池田公園休憩


出発 4                          冬枯れの公園


立ち休憩                         ワンパク像


JR八高線丹荘駅15時解散

リーダーの事情により、報告が遅れました。参加された会員さんに思い出の写真がほしいといわれ遅くなりましたが報告します。佐野

この記事にコメントする


東ハイホームページを登録(無料)

メールアドレスを記入して登録すれば、更新をメールで受信できます。

783人の購読者に加わりましょう

東ハイ会員web

カレンダー

2024年11月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

アーカイブ

Powered by WordPress, 12345678, WP Theme designed by WSC Project. ログイン