2012.1.7 【宗吾霊堂から甚兵衛渡公園】 報告
2012年 1月 7日(土) レベル:一般弱 天気:晴れ
担当リーダー: 木田 博
協 力 者 : 土屋秀夫・須賀満子
参加リーダー: 飯塚賢治・坂寄牧子・大倉昌子
参 加 者 : 32名 (男性:13名 女性:19名)
コース)
京成線・宗吾参道駅10時29分下車 10時45分出発——宗吾霊堂11時—–11:50麻賀多神社・超林寺(昼食)12:30—-宗吾旧宅12:50—–浅間神社13:10—-薬師寺13:25—-甚兵衛渡公園(休憩)14:10———15:17JR下総松崎駅15:22→成田(解散) 実歩程約3時間
宗吾参道駅の案内版
受付風景
木田リーダーの挨拶とコースの説明
大きな石灯籠を見上げる
宗吾霊堂の入り口
宗吾親子の墓 公津村の名主、佐倉惣五郎は、佐倉藩の過酷な年貢に苦しむ農民の為に将軍家綱に直訴。聞き入れられるが、惣五郎と4人の子供は処刑される。
その後、佐倉藩は宗吾道閑居士の法号を与え、冥福を祈った事から宗吾様と呼ばれる様になった。
参道の出店と大山門
鳴鐘山東勝寺 真言宗 本堂
義民 宗吾の由来
境内の鐘楼堂
畑の中の道を歩く
麻賀多神社へ
麻賀多神社の鳥居
社殿
御神木の大杉
超林寺へ
のどかな境内
宗吾旧宅へ
宗吾の旧宅へ 佐倉藩主から認められた惣五郎の子孫、木内家の住宅
旧宅に住んでおられる16代目の子孫の方が宗吾のお話を聞かせて下さる。
畑の中の道を歩く
筑波おろしの寒風に吹かれながら
歩く
浅間神社の鳥居
長い階段
行けども行けども畑の中
薬師寺の仁王門
本殿に鎌倉時代の薬師如来座像がある
薬師如来座像の説明
六地蔵
甚兵衛渡公園へ
渡し守の甚兵衛は、妻子に別れを告げようと江戸から戻ってきた佐倉惣五郎の為に、封印された鎖を切って舟を出した。
自らは印旛沼に身を投げて命を絶ったという。
公園で休憩
休憩中
再び田園の中を歩く行列
ようやく線路に 駅は近い!
甚兵衛渡しから5.6km歩いて
成田線の下総松崎駅に到着。お疲れ様でした。
義民 佐倉惣五郎の足跡を追って、のどかな田園が続く中を歩きました。
甚兵衛渡し公園からのバスの便が無く、下総松崎駅までの5.6kmをひたすら歩くのが長く感じました。
皆様、お疲れ様でした。 大倉 記