2012.2.2 【水戸街道を歩く① 日本橋~千住宿】 報告 | 東京ハイキング協会

2012.2.2 【水戸街道を歩く① 日本橋~千住宿】 報告




基点の日本橋から水戸まで、シリーズで歩きます

2012年 2月2日(木)
担当リーダー: 大倉昌子
協 力 者 :  宮本次子
参加リーダー: 木田 博
参 加 者 : 39名 (男性17名 女性22名)
コース)
東京駅日本橋口10:00集合—-日本橋—-小伝馬町—-浅草橋—-浅草寺(昼食)—-待乳山聖天—–小塚原刑場跡—-すさのお神社—-千住大橋—-千住宿—-金蔵寺(解散)15:30          歩程約:4時間


日本橋のキリン像 
日本国道路元標のある地点が、道路の真ん中にある。五街道のスタート地点であり、水戸まで118km。

旧日光街道本通りの道標

十思公園内の「石町の鐘」
江戸の(時の鐘)でもっとも古く、将軍秀忠の時、江戸城内の西の丸でついていた城鐘で、御座の近くで差し障りがあった為、
以後は太鼓に替え、鐘は日本橋石町へ移した。

伝馬町牢屋敷跡:江戸時代を通し維新後、市ヶ谷の監獄ができるまで使用されていた。

吉田松陰終焉の地 安政の大獄により大勢の志士が処刑され、小塚原回向院に埋葬された。
辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かれまし大和魂」

浅草寺とスカイツリー  (昼食は各自それぞれの店で、名物の天丼やスキヤキなど—-)

浅草猿若町 江戸三座の芝居小屋がかかり賑わった、

その当時から芝居の小道具を作ってきた「道具屋」さんのディスプレイ

待乳山聖天 二股の大根が紋章で、お供えは大根

中庭を拝見する

池波正太郎の生誕地

平成中村座がかかっている

山谷堀公園:吉原通いのおだい人が猪木舟を仕立てて遊んだとか、

途中の公園で幼稚園児が鼓笛隊の練習風景、みんな真剣 時々音程がはずれるのもご愛嬌!

小塚原の首切地蔵 昨年の3月11日の震災で崩れ落ちた。

かって世間を賑わせた「吉展ちゃん誘拐事件」 がありました。

志士、橋本佐内の墓、 他に吉田松陰・高橋お伝・ネズミ小僧の墓も、

江戸時代は大和田刑場・鈴が森刑場と共に三大刑場といわれた。

解体新書翻訳の記念碑
蘭学者の杉田玄白・中川淳庵らが取り寄せたターヘル・アナトミアを基に腑分けに立会い、その正確性に感嘆して翻訳をした。

すさのお神社:すさのお大神と飛鳥大神を祀る、どこの社も明日の節分に備え支度準備中

千住大橋を渡る

芭蕉像:奥の細道の出発点、矢立ち初めの地の碑がある「行く春や 鳥啼き 魚の目に泪」

やっちゃ場跡 幕府御用の青果市場として栄えた。

千住宿の高札場跡:千住宿内でお知らせ等を掲示した。

金蔵寺境内
千住宿には本陣・脇本陣のほかに55軒の旅館屋があり、その内食売旅籠(遊女屋)が36軒あり、江戸近郊の遊里として発達した、
そのかげで病死した遊女は無縁仏同様に葬られていたが慰霊のために供養塔があり、遊女の戒名が刻まれている。

寒波襲来で、冷え込み 寒風の中を北千住まで歩きました、皆さんどうもお疲れ様でした、風邪など引きませんように、
今回は旧日光街道を水戸街道とだぶって辿りました。
次回から、いよいよ千住宿から歩きます、水戸のご老公も幾度も利用した街道です。 柴又の帝釈天にも寄ります、お楽しみに♪
                       大倉昌子 記

 

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