2012. 3. 6 【水戸街道を歩く② 北千宿~金町~柴又帝釈天】 報告
2012年 3月 6日(火) 天気:曇り~晴れ 一般向
担当リーダー: 大倉昌子
協 力 者 : 宮本次子
参加リーダー:平山 亨
参 加 者 : 25名 (男性:10名 女性:15名)
コース)
北千住駅10時集合—-千住宿場通り—-名倉医院—-荒川土手—-堀切橋—–小菅西公園(昼食)—-一里塚—-中川橋—–新宿—-石仏群—金町—-柴又帝釈天(解散) 実歩程:4時間40分
宿場町通り 千住宿:江戸四宿に数えられ 人口1万人 旅籠55軒と賑わった
本陣跡:大名等が参勤交代を行う際に宿泊する場所・公家・幕府役人・僧侶など要人が使用した。
本陣跡とその周辺の解説図 見番横丁:かって見番(芸者が所属し、客席への取次ぎや精算を行う事務所)があった場所
千住宿 高札場:明治の初期まで宿場の掟などを掲示して周知してもらう為に 千住宿の入り口と出口に設置されていた。
横山家住宅:旧地濾紙問屋「松屋」、江戸時代後期の商家の建築。
絵馬屋・吉田屋:江戸時代後期から際物問屋として、絵馬・凧などを描いて、当代8代目の老舗。
名物 かどやの槍かけだんご 1串90円 どこか懐かしい、
名倉医院:1770年頃から、柔術などを教えながら骨接ぎを手がけていた。
名倉医院前の広場は、運ばれてくる怪我人の駕籠や大八車であふれていたと、
今も風格ある長屋門、現在も開業中です。
旧水戸街道と日光街道の追分の碑
清亮寺、隣に保育園が
「槍掛けの松」の説明:門前に街道いっぱいに張り出した松の枝があり、水戸黄門の一行が休憩の際に槍を立て掛けて休んだところから、
やり掛け団子もこれにちなむ。
3年B組 金八先生のロケで使われた荒川土手、前方を通るのは京成電鉄。
土手を下る
荒川を渡る、堀切橋 荒川は明治時代に上流からの川の氾濫を防ぐ為、放水路として人工的に造成された川で 当時はなかった。
綾瀬水門
大きな水門
河川敷の荒川小菅緑地公園
小菅浄水場の上にある「小菅西公園」で昼食
ろう梅が香り
梅が満開
しだれ梅はこれから
干支のタツノオトシゴの花時計
ゆっくり休憩
水戸橋を渡る かなり老朽化が
小菅神社 小菅村の鎮守
小菅神社の額は、水戸藩主の弟 徳川宗敬・神宮大宮司による。
親水公園を通り抜けて
旧水戸佐倉街道の看板
路端に小さな毘沙門天 恵比寿天
寿老人と こちら亀有派出所の両さん像
一里塚:千住宿から一里・日本橋から三里 水戸黄門と助さん、角さんの顔が、
中川橋を渡る
中川を渡り新宿へ、 これより枡型に街道を曲がる
日枝神社 変わった鳥居
石仏群:道路拡張などにより地蔵尊・八大龍神を移転したもの
帝釈道とある、古い碑
金町駅に 右は柴又へ
柴又街道を帝釈天めざして歩く
帝釈天の参道
帝釈天・題経寺の山門
経栄山・題経寺:寛永6年(1629)に創建された日蓮宗の寺院。
18世紀末、九世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰され「柴又帝釈天」として知られる様になった。
前日からの雨が朝方まで降り、気をもみましたが 集合の頃には雨も止み、のんびりと千住宿を歩き、荒川を渡り昼食を終える頃から明るい日差しがさして、
着ていた服を脱ぎながら、暖かい陽気の中を柴又帝釈天まで歩き通しました。
次回③は、金町に集合です。JR常磐線利用の場合、快速は停まらないので 北千住で各駅に乗換えて来て下さい。 大倉 記