2012.03.11 【二ノ宮山】報告
二ノ宮山
実施日:平成24年3月11日(日)(3)天気曇晴
リーダー:佐野俊一郎
協力:青山昌次・平山亨・佐々木純子
参加者:21名・男性7名・女性14名
集合東武東上線森林公園駅北口午前9:30東武東上線池袋駅8:18発急行小川町行に乗車=森林公園駅9:14着
森林公園北口9:23→五厘沼窯跡10:04→興長禅寺10:11→宮前小学校通過→羽尾神社10:29→雷電神社10:59→慶徳寺11:31→二ノ宮山12:10~13:00→花見台公園14:29→市野川土手→15:13→鬼鎭神社15:27→武蔵嵐山駅15:48歩程12キロ実働4時間
『東日本大震災一周年追悼式』に合わせ、東日本大震災で犠牲となられた方に対し、発災時刻午後2時46分から1分間の黙祷を捧げる。
1分間の黙祷14:46
沼に仲良し鴨のつがい、この地方いたる所に沼と言われる灌漑用ダムがあり水をたたえている。
羽尾神社10:29
御祭神倭建命・藤原恒儀命
由緒 当神社は、往古より「恒儀様」と尊称され町崇敬の産土神である。また、伝来の古書に「倭建命天長六(西暦829)年鎮座」と明記されている。また、別の祭神「藤原恒儀」は青鳥判官と称し、隣地東松山市の青鳥にある青鳥城蹟の城主で、天長六年九月二十日に卒した人と伝えられる。後年に至り、当社に合祀されたという。
雷電神社10:59
祭神別雷命 由緒
応永九年壬午(西暦1402)年、この地方が大旱魃に襲われ作物が枯死寸前にあった時、里民挙って山城国加茂大神に雨を祈ったところ程なく豪雨があり郷民の苦難が救われたので里民その神徳の顕著であったことを尊崇し加茂大神の神霊を当地に奉祀いてし雷電神社と称し鎮守の神として崇拝した。
慶徳寺を四天王が守る山門11:31
薬師堂宇11:45
加田(旧加田村)にあるので
加田のお薬師様と呼ばれ、眼病に霊験がある瑠璃光如来とといわれている。薬師如来は行基の作と伝えられているが秘仏のため他見を許されない。薬師は東方薬師称され、十二の大誓願を発して人びとの病苦を救い種々の病疾を治すという如来で、十二神将をたずさえている。十二神将は信者をま守り、刻を守る神で軒に十二支が懸けてあるのは興味がる。この堂はたびたび建て替えられ今の建物は元禄十四(1701)年に僧善心により建てられた。法堂の天井は優雅な天女、力強い龍の絵(陰山道益筆)が素晴らい
鬼鎭神社(きじんじんじゃ)15:27
御由緒、埼玉県比企郡嵐山町に、畠山重忠公が御造営された菅谷舘(菅谷城)があった。その鬼門除けの守護神として、鎌倉街道に沿って建立され、節分祭、勝負の神で有名である。約八百年前、安徳天皇の御代、寿永元年に創建され、御祭神は、衝立船戸神、八衢比古命、八衢比売命で、主神の、衝立船戸神は、伊邪那岐命が黄泉の国を訪れた後、筑紫日向の小門の阿波岐原で、禊祓いをして持っていた杖を投げ出した時、杖より生まれた神である。それが幅広く解釈されて、悪魔祓いの神、家内安全商売繁盛の神、受験の神と、人生の指針を示し、強い力を授ける神として崇められている。
節分祭は、鬼鎭神社において一番大きなお祭りで、この日は何千何万の人々が「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼する、日本ではここだけの鬼の祭りであり、境内は大変な賑わいを見せる。
遠く千年の昔から、勇名を馳せた坂東武者、明治以降の出征兵士の崇敬篤く、戦後は、受験必勝の神様として参拝者は後を絶たず、社頭をを賑わしている。
このようなことから「鬼に金棒」と昔から云われている金棒のお守り、祈願成就の赤鬼青鬼の絵馬を授与される方が、非常に多い。