2012.4.13 【旧水戸街道歩き③ 金町~松戸宿】 報告
2012年 4月13日(金) 天気:晴れ 一般向き
担当リーダー:大倉昌子
協 力 者 :宮本次子
参加リーダー:平山 亨
参 加 者 :39名 (男性14名 女性:25名)
コース)
金町駅10時集合—-金連院—-葛西神社—-光増寺—-半田稲荷—–金町関所跡—–水元公園(昼食)—-かさい橋—–松戸宿—-松戸神社—-戸定邸(解散)15時
「金連院」真言宗・豊山派 徳川家から10石の御朱印を拝領しており、水戸徳川家の祈願所でもあった
葵の御紋がある、
境内にラカンマキの古木が 樹齢400~450年と
境内に鯉のぼりと幟が
「葛西神社」平安時代末期、後鳥羽天皇の元暦2年に領主・葛西三郎清重により三十三郷の総鎮守として、
下総国香取神宮の分霊を祀った。徳川家から10石の御朱印を拝領している。葛西囃子発祥の地
すぐそばの 光増寺 舟形地蔵
半田稲荷の鳥居 花びらが浮く手洗い
安産とハシカにご利益と霊験あらたかな泉跡と 新富座ほか歌舞伎役者歴々の名前がある
金町関所跡・西の多摩川・東の金町と、江戸への出入りに厳しいので有名だったとか、
水元公園へ
桜の下でランチタイム
なごやかに談笑風景
江戸川を渡り千葉県へ かさい橋を渡る
対岸のビル群は 松戸市内
これより御料・松戸宿の碑 本陣・脇本陣が各1軒、旅籠28軒。銚子から利根川を上ってきた鮮魚を扱う魚市場で賑わった。
松戸郵便局裏に本陣跡地 千葉周作修練の地 実の父・浦上寿貞の墓がある宝光院
春雨橋ちかくの民家 坂川の碑文 水田用水幹線として、米、野菜の生活物資の川舟運搬として重要な川だった。
松戸神社・日本武尊が東征の際に従者と待ち合わせた地に建てられた祠が発祥、「待つ土(地)」から松戸の地名となったとか。
常磐線の線路をくぐり戸定邸へ
戸定が丘歴史公園
「戸定邸」
水戸藩最後の藩主(11代) 徳川昭武(第15代将軍 徳川慶喜の弟)が松戸の別邸として建築した。
大名の下屋敷ながら華美な装飾が無く 自然と溶け込んでいる様で 最高級の杉の柾目材を使い、
旧大名にふさわしい重厚さと気品を備えています。
戸定邸へ 萱の門をくぐる
明治17年に完成後 昭武の隠居生活の場として使われ、明治30年代には昭武の実の兄の元将軍徳川慶喜が何度か訪れ 共に趣味の釣り・狩猟・写真撮影などを楽しんだ。2006年に 国の重要文化財に指定されました。
戸上邸 居間より庭園を望む
ボランティアガイトの丁寧な説明 簡素な書斎
当時 庭より富士山をのぞんだが 今はマンションで見えない
葵の葉と 葵の花 地味~
戸定が丘公園を歩く
公園を見て 歴史館を見学 その後解散しました。
汗ばむような陽気で、桜も満開の中を、金町駅から、江戸川を渡り松戸へ 水戸徳川家が通っていた旧道を辿り歩いてます。
5月は 松戸から我孫子まで歩きます。 よろしくお願い致します。 大倉昌子 記