2012.07.22 【笛吹峠】報告
笛吹峠
平成24年7月22日(日)天気曇
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子・山浦啓二
参加者:39名 男性9名 女性30名
東武東上線高坂駅西口改札口午前9時30分集合
東武東上線池袋駅8:23分発急行森林公園行乗車高坂駅9:13
コース:東武東上線高坂駅9:30→彫刻通り→関越高速自動車道9:46→弁天沼10:13~10:27→ 岩殿観音正法寺<10:38~10:48→物見山11:00~11:11→地球観測センター11:20~12:28昼食→史跡笛吹峠13:05→縁切り橋13:48→神明殿大行院13:50→大蔵舘跡14:02→都幾川→がっこう橋→都幾川右岸桜堤を上る14:29→活動センター・ホタルの里・オオムラサキの森→菅谷舘跡14:56~15:13→東武東上線武蔵嵐山駅西口15:30解散
弁天沼へ
弁天沼
岩殿山正法寺のふもとに周囲300mほどの池があり、言い伝えによると、この一帯に悪竜がいて里に出ては村人を苦しめていました. 坂上田村麻呂が近くをお通りになると聞き、村人はそろって窮状を訴えました。将軍は岩殿山に登り熱心に祈願を続けましたところ、6月1日というのに大雪が降り一面銀世界となりました。将軍が静かに眼をあけて周囲を見回すと一ヶ所だけ雪のない谷が見えその谷をめがけ祈りを込めた1本の矢を放ちますと、右目を射ぬかれた悪竜が躍り出て怒り狂って迫って来ました。それを退治した。
史蹟笛吹峠13:05
笛吹峠(ふえふきとうげ)(近津研究室・東京電機大学)は、埼玉県鳩山町と同県嵐山町の境にある峠標高80m。
笛吹峠は鎌倉から上野(群馬県)に通じる鎌倉街道の要衝にあたり多くの武士団が行き来した。
とくに正平7年(1352)閏2月、宗良親王を奉じた新田義宗は、小手指ヶ原の敗戦後、この峠に陣を敷き足利尊氏方と対戦し再び敗れた。この時、宗良親王が月明かりの中で笛を吹いたことから峠の名が付いたといわれている。
征夷大将軍の坂上田村麻呂が、軍勢を引きいて、ここ嵐山町に滞在、岩殿の悪龍退治の準備に忙殺されていました。そこへ、将軍の奥方が京都から心配のあまり訪ねてきました。しかし、坂上田村麻呂は「上の命令で、征夷大将軍として派遣されている私に、妻が尋ねるとは何ごとだ。逢わぬぞ」と大声で怒鳴りました。いくら家来がとりなしても許しませんでした。 翌朝、奥方は京へ帰る出発のためこの地へ来ました。将軍はこの坂下まで来て、「大命を受けて出陣しているのに追って来るとは何ごとだ。今より縁を切る。早々に立ち去れ。」と宣言しました。
それからこの橋は「縁切り橋」と言われるようになりました。
二瀬橋都幾川を左岸に渡る
蝶の里公園オオムラサキの森活動センターでオオムラサキに会った報告がある
東武東上線嵐山駅解散15:30
東武東上線高坂駅前彫刻のある通り左歩道上の彫刻
東武東上線高坂駅前彫刻のある通り右歩道上の彫刻此処から携帯カメラで撮影