2013.1.06~08 【大島三原山・下田高根山と爪木崎・石橋山~石垣山 】 報告 T.Kobayashi
‘13.01.08石橋山~石垣山平成25年1月06日(日)~08日(火) 熱川温泉 2泊3日 バスハイク
大島三原山・下田高根山と爪木崎・石橋山~石垣山
会山行 係=小林妙子
協力者=石川孝子:池田英子:三上豊子
参加者 (女性20名男性2名)合計22名
コースタイム
1 /6 (Sun) 大島三原山:(歩程3時間30分)(=車道、== 船、—-–徒歩登山道) 天気晴12/5℃
JR日暮里駅北口下御院殿橋上7:00出発ドリーム観光 =入谷インター首都高①号線上野6’=江戸橋JCT 7’=谷町JCT=首都高③号線渋谷7:25=(80.2km1時間40分)8:20- 9:30出航久里浜港 ジェットホイル1210号==大島元町港10:30-10:45 路線バス(¥860)=35’三原山火口登山口11:20’-11:35—-10’-1等三角点603.58m11:45-:55—-あずま屋12:05-12:30—–三原山頂口12:35~山頂鳥居13:―剣ヶ峰749m —–大島公園登山道分岐点20′ —-1h三原山温泉(大島温泉ホテル)498m14:22~14:47最終バス(¥630)=20’=15:05元町港高速ジェットホイル2110号15:30出航==伊東着16:05- :10 =送迎バス=24km40’ 熱川温泉シーサイドホテル16:50
夕食18:30-20:00バイキング(酒類飲み放題 ワイン付)
久里浜港を出て20′ 久里浜港を出て10′
大島三原山第2火口 表砂漠から三原山全景
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http://www.digibook.net/d/4044eff7b09a245ced48d0f32b3fed71/?viewerMode=fullWindow
‘13.0106三原山登山
所感
大島は伊豆半島の熱川から約26km、千葉県・房総半島の館山から約36km、そして神奈川県・三浦半島の城ヶ島からは約43kmしか離れていない。晴れていれば容易に島の姿を確認できる。最も近い熱川に泊り大島の朝日を眺めて感激していました。噴火前に訪ねたきりなので東ハイで計画してみました。
東京から久里浜へ出て高速ジェットで1時間、 伊東へは30分で戻れます。三原山外輪丘にある一等三角点「大島」補点は603.58mです。1986年11月21日の噴火により全島1万人の避難したのは未だ記憶に新しい。路線バスの終点山頂口標高600mで下車し、三原山レストセンター左わきの階段を上がって左方向に進む。東屋のある展望広場を過ぎ、潅木帯の登山道を登っていくと大島三角点に至り、あずま屋から藪のような道ですがアップダウンを行くと、右付近にアンテナや国土地理院のAPS赤外線施設が見えてきて正面に一等三角点が白い杭と共に現れます。標石は土に少しうずもれ気味で周囲を掃除します。往復20分です。あずま屋へ戻り、三原山の展望をほしいままに昼食休憩です。 山の斜面を幾筋もの黒い襞が縦縞のように見え焼け焦げた溶岩流の痕でしょう。
三原山登山は外輪山の内のカルデラへと緩やかに下る。灌木帯の中を舗装道が白い鳥居、御神火神社まで続き馬と人のみ通れます。この灌木あたりで本州では見られないキョンという小型のシカが草叢へ逃げて行きます、バスの中からもタイワンリスと とも見られました。
所々に蒲鉾型シェルターがあり振り返れば富士山が海を隔てて 登ってきたばかりの三角点の山鎧端の真上に聳えています。植生がなくなるあたりで、噴火口までの登り坂と変わり、徐々にその勾配も厳しくなり今なお噴煙を上げる深い火口を見下ろせます。御神火神社は過去幾多の噴火に伴う溶岩流の被害を免れた厄除けの霊験あらたかなのでしょう。ごつごつとした玄武岩でできたガレ場に付けられた道は歩きにくくなる。ガスが岩の割れ目から噴出している場所を見る。剣ヶ峰の高さは先の噴火で約8m隆起し、現在の標高749mになる。大島は温暖な気候で、ヤブツバキやサザンカ道では、赤や白も咲き、また中学生達が植えたと云う水仙が満開に見えました。 日帰りで充分登山を楽しめました。
1/7(Mon) 高根山と爪木崎水仙:(歩程3時間30分) 天気:晴11/6℃
出発8:00=コンビニ8:14=下田プリンスホテル前8:40-9:00—40’白浜口登山口9:40 -9:45—30’-高根山山頂343m10:15-:40発 –1h-蓮台寺駅付近下山 11:40—高根橋11:45=9km20’下田爪木崎公園駐車場12:10—-水仙灯台めぐり2h—赤崎P 14:20=32km55’ 熱川温泉シーサイドホテル着15:05
夕食17:30-18:20 バイキング(酒類飲み放題 ワイン付)
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‘13.01.07下田高根山登山
涼しいお顔の地蔵様 200年も御立ちです
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‘13.01.07爪木埼午後の散策
爪木崎灯台と水仙。アロエ公園 ふくよかな水仙の香
1/8(Tue)石橋古戦場~石垣山一夜城:(歩程3時間) 天気:晴12/3℃
朝食7:00 出発8:00=R135 真鶴ブルーライン・R135=64km 1h40’石橋バス停下車-10:00—石橋古戦場1h—-(-早川.片浦ウオーキングトレイル)—-1h石垣山一夜城公園—40’海蔵寺卍付近乗車13:35=西湘バイパス・小田原厚木道=秦野中井IC=海老名SA14:10-:25 東京IC14:40=3号渋谷線・上野線(97km2h)=日暮里15:30
所感
「石橋山古戦場」は源頼朝ゆかりの場所です。相模湾が綺麗に見えてきました。トンネルの上へ出ますと案内板があり、迷うことなく石橋山古戦場へ到着。少し歩くと「佐奈田与一義忠討死の地」がありました。
ミカン畑てミカンを沢山分けて下さり、とても美人のおかみさんでした。その辺りがねじり畑です。
佐奈田与一は相模国の武将で、頼朝方の先陣を命じられて大庭景親の弟・俣野五郎景久と一騎打ちをしました 景久を組み伏せたものの刀が抜けず(この戦いの前に敵将を打ちとった時の血糊がついていたため)敵方の加勢により討ち取られてしまいました。与一が討ち取られた場所は「ねじり畑」と呼ばれています
この佐奈田霊社は、与一が景久と組み討ちをした時、味方からの問いかけに対して「痰」がからんで声が出ず、そうこうしているうちに討ち取られてしまったという故事から「ぜんそく・せき・のど」などの祈願所となっています。「ぜんそく・せき・のど」飴を、私たちも¥500で買い求めました。
石橋山の合戦(1180)は、 治承4年(1180年)8月17日、以仁王の令司により伊豆韮山で挙兵した平氏方の山木を奇襲で破った源頼朝軍は、8月22日小田原の西方に位置し、箱根の山塊が相模湾になだれ落ちる断崖のある石橋山に300余騎で布陣した。一方平氏方は大庭景親、その弟・俣野景久ら3,000余騎と後方からは伊東祐親の軍が攻撃した。 8月23日敵味方が入り混じって戦ったが、頼朝軍は多勢に無勢で壊滅した。頼朝・北条時政らは石橋山の背後にある山中に逃げ込み、木のほこらに隠れた。その時,平氏方大庭方の 梶原景時(後に頼朝の御家人となる)に見つかったが、景時は頼朝を見逃してくれた。8月26日頼朝は、土肥実平と共に真鶴岬から小船で安房に向かい8月29日安房の猟島(カガリジマ)に上陸し、その後精鋭300騎を従え、上総から鎌倉に向かったと云う歴史ある場所です。
早川.片浦ウオーキングトレイルを歩き石垣山へ向かいました)—-1h石垣山一夜城公園です。
石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にあった陣城跡である。石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれている。
豊臣秀吉が1590年の小田原征伐の際に構築した本格的な城です。小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採して、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせたとか。建物は一切残っていませんが、天守閣跡とか、本丸跡、二の丸跡などが散在し、あちこちに石垣が残っていました。展望台から小田原方面を見ると、小田原城のあった辺りが一望できます。
道中ミカンの無人売店があり100円で一袋を買い求めました。
車道を急降下で120mを下りますマイクロバスが丁度8番の所まで入ってきてくれました。
今回の旅もこれでトレイルも早川へ向かいお終いです。
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‘13.01.08 早川石橋山~石垣山トレイル
三日間よく歩きました。皆様ご協力ありがとうございました、