2013.01.12 【小田原七福神】報告
小田原七福神
平成25年1月12日(土)天気晴
リーダー:平山亨
協力L:佐野俊一郎
協力者:佐々木純子
参加者:27名 男性5名 女性22名
小田急小田原線新宿駅8:21発急行藤沢行乗車=相模大野駅8:58着 乗換9:03発急行小田原行乗車=足柄駅10:00着
コース:小田急足柄駅10:02~10:14→潮音寺(毘沙門天)10:19→福泉寺(弁財天)11:11→鳳巣院(寿老人)11:24→城山公園昼食(11:50~12:28)→連船寺(大黒天)12:33→番外伝肇寺(六表大黒天)12:53→報身寺(恵比寿神)13:17→大蓮寺(福禄寿)13:31→圓福寺(布袋尊)13:48→小田原城解散14:12
七福神巡りは徳川時代初期、天海僧正が家康の相談役に起用され、人心を鎮める行政の方策として七福神信仰を採用したことに始まる。江戸市中に七福神を祀る寺が建てられ、この風潮が全国に波及しました。七福神を祀る神社や寺院を正月に参拝すると、「七難即滅・七福即生」と言われ、七つの福徳がさずかり、七つの災難から逃れられると言う信仰が広まりました。七福神の乗る宝船を「おたから」と言い、元旦にその絵を枕の下に置いて寝ると、運が開けるとも考えられました。七難七福が具体的にどの様なものであったかは、明らかではないが、異なった性格の神々を集めて室町時代には七福神が成立しました。『七福神説明』
①潮音寺(毘沙門天)
小田急線足柄駅を北に向かい突き当りを左に、小田急線の踏切を渡り5分先に毘沙門天霊場曹洞宗大徳山潮音寺の石柱の門がある、そこに参道と山門と本堂が直線に並ぶ潮音寺がある。毘沙門天さんは、石段上左の毘沙門堂に安置されている。立派な毘沙門天様が拝観できました。
毘沙門とは四天王の一人で仏法をお守りする軍神です。梵語で(ヴァイシュヴァナ)で法を説くところから多聞と訳され、全てを一切漏らさず聞くことの出来る大知恵者のことを意味します。七福神では戦いの神とされ、正義の味方となってくれる善神です。
②福泉寺(弁財天)潮音寺から 40分
潮音寺を出て右に小田原厚木道路の高架が見える、交差する信号が足柄街道(国道74号)だ左折して74号を南下する、久野川を渡り小田原警察署入口信号、税務署前信号を通過しゆるい坂を上って頂上で74号を跨ぐ山手橋に上がる。右に住宅街を下りていくと、大稲荷神社の裏手に出る。見事な彫刻の神殿を、表に回って参拝する,石段をくだり赤い大鳥居を出て右に華岳山福泉寺、小田原七福神の看板のかかる門柱と本堂が見える、本堂に入る左手に満願弁財尊天の社が建っている。
弁財天は、ただ一人の女性で梵語で(サラスヴァティー)の訛で「水をもつもの」の意味となり、インドのサラスヴァティー河の女神です。また、宇宙創造の神(ブラファー)の妃の一人である。弁財天の総本社は広島県佐伯郡宮島町の巌島神社、この社の弁財天と琵琶湖の都久夫須麻神社と神奈川県江ノ島の江島神社を合わせて日本三大弁財天とされています。
③鳳巣院(寿老人)福泉寺から13分
福泉寺を右に出て、横の民家と寺のあいだの細い道を突き当たり、左に坂を上がると小田原駅西口から伸びる道路に出る。右に74号を合わせたら、左に下る、先に見える信号が城山競技場入口、これを右に狭い道を少し行くと左に鳳巣院の門柱と小田原七福神の赤い幟が立っている。
福禄寿は中国道教で老人星の化身です。延命長寿を司る神として信仰を集めています。福禄寿と寿老人は同体異名です寿老人(木彫)は、本堂の中右手に安置されていました。
城山公園の陽だまりで昼食11:50~12:30
④蓮船寺(大黒天)鳳巣院から 25分
道路に下り左に城山競技場への緩やかな坂道を登っていくと城山陸上競技場、城山公園空堀・大堀切の案内板に従い進むと、城跡を示す石柱と右に競技場が見える。ここのヘヤピンカーブの道を戻るように登ると変形四差路に出る、ここを又鋭角に右に登ると慰霊塔の立つ城山公園に着く。昼食を済ませ、公園の緩やかな道を上っていくと、小峰の大堀切の説明板が建つ、堀切の遺構に出る、堀切の中を200m程進むと、右に蓮船寺の看板、それを上がったところに日蓮宗蓮船寺の石柱門がある。石彫の大黒様が小坊主と一緒に待っていた。
インドヒンドゥ教の神シブァ神の別名で、マハーカーラと言われていました。マハーは大を、カーラは黒あるいは時間を意味し、時間は死を内蔵するので、インドでは「大いなる死の神」として考えられていた。姿は頭巾を被り俵を踏んだものです。また、大黒天は豊作の神、財福の神とされています。
大黒天
蓮船寺正面の坂を下って行くと山腹を巻く道路に出る。正面には相模湾の大海原、右には箱根連山、秀吉の一夜城跡も一望できる、
⑤番外七福神、浄土宗 傅肇寺 蓮船寺より20分、
閉まっていた門を奥様のご好意で開けていただく、浄土宗傅肇寺に参詣 北原白秋は本堂の東側に小さな家を建て住んでいた.その家がとぼけた木菟にそっくりだったので、木菟の家と呼ばれた.北原白秋遺跡みみずくの家、、大きな六俵大黒天の石彫が建つ。
傅肇寺本堂とかやの大木とかやの木地蔵尊
白秋の童謡「かやの木山の」かやの木地蔵尊が根元に立つ
⑥報身寺(恵比須神)傅肇寺より 20分
寺前の急坂を下って行き東海道線のガードをくぐり,73号道路に出る、右へ東海道を歩道橋で跨ぐ、歩道橋下に。人車鉄道・軽便鉄道小田原駅跡の石柱明治29年3月熱海方面への陸上輸送路としての、豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。明治41年に軽便鉄道とし、小田原電鉄からの乗換駅として、この地方の交通に恩恵を与えた。大正11年12月国鉄熱海線が真鶴まで開通したことによって、その任務を全うした。と書かれている。この当たりも城内か、御厩小路の石柱もある。ここを右に西湘バイバスに向かいバイバス手前を左に入ると永刧山・最勝院報身寺(恵比寿神)の石柱門の建つ本堂前に着く、恵比須さんの石像があり、本堂には木彫の恵比須さんが祀られておると聞きましたが,本堂には入れませんでした。
恵比須さんはイザナギ、イザナミの三男として生まれた夷三郎と言われています。天照大神とは兄弟の関係にあります。恵比須は鯛と釣り竿を持っていて、「釣りして網せず」と言われ清廉の心を象徴しています。
報身寺本堂
本堂から庫裏の前を通り六地蔵さんが並ぶ道(嘗てはこちらが参道と思われる)を進むと。小田原市指定文化財、平成輔の墓所がある。成輔は京都の公卿で後醍醐天皇の信任を受けて中興の仕事に加わり、鎌倉幕府討滅を計画したことが漏れて、六波羅探題に捕らえられ、鎌倉に護送される途中、元弘2年(1332)5月22日、三河入道円重によって早川の河口で殺害された。
⑥大連寺(福禄寿)報身寺から 20分
お墓から元の道に戻り、に西湘バイバスと平行に進み突き当りを左に曲がればすぐ、大蓮寺山門、稲荷山・大蓮寺(福禄寿)広々とした境内で、福禄寿は、の本堂に祀られており(通常は別のところに安置しているそうです) また、本堂左手に福禄寿の石像があります。
福禄寿は中国道教で老人星の化身です。延命長寿を司る神として信仰を集めています。福禄寿と寿老人は同体異名です
⑧圓福寺(布袋尊)大連寺より 7分
来た道に戻り少し進むと交差点に出る、左折してまもなく医王山・薬師院と東寺真言宗・圓福蜜寺の石柱門の、圓福寺の布袋様は、水掛布袋で、お水を掛けて錫杖をガラガラと鳴らしてお祈りする。
小田原城にて解散14:12
初山行は暖かい天気に恵まれ、今年の安全山行と健康を願い無事終了しました.今年も宜しくお願いします.平山