2010.02.11 【藤沢宿から片瀬山】報告
藤沢宿
慶長6年(1601年) 徳川家康により東海道の宿場藤沢宿が設けられ, 東海道の宿場となった。後に戸塚宿が追加され東海道6番目の宿場となる。東海道五十三次整備以前から遊行寺の門前町として栄え、後北条時代は小田原城と支城の江戸城、八王子城をつなぐ小田原街道の分岐点だった。
遊行寺の東側に江戸側の見附(江戸方見附)があり、現在の小田急江ノ島線を越えた西側あたりに京都側の見附(上方見附)があった。この範囲が藤沢宿である。
境川に架かる大鋸(だいぎり)橋(遊行寺橋)を境に、江戸側(左岸)の大鋸町(後に西富町が分立)は相模国鎌倉郡、京都側(右岸)の大久保町、坂戸町は同国高座郡に属した。
南東部は,片瀬山と呼ばれる三浦丘陵の西端部となり、その一部は孤立して江の島となる。江の島は市の最南部。
江ノ島までは約1里(約4km)の距離であり、幕末には70軒以上の旅籠があった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実施日:平成22年2月11日(祝)
天気:曇後雨
リーダー:佐野俊一郎
協力者:青山昌次 平山亨 佐々木純子
参加リーダー:中嶋要一
案内:秋山うた子
参加者:10名(男性4名 女性6名
行程:小田急江ノ島線 藤沢本町駅9:35→白幡神社9:45~9:50→義経首洗井戸10:00→遊行寺10:20~10:35→藤沢橋10:45→蔵前ギャラリー10:50→庚申堂10:55~11,00→奥田公園11:30(降雨雨具着用→森林公園11:35~12:15(園内、長屋門、古民家有、昼食)→岩谷不動12:50~13:00→密蔵寺13:15→常立寺13:30→龍口寺13:40参拝拝観 14:00解散
解散後、江ノ島に渡り、シラスご飯会
※今回もGPSロガー同行です。
藤沢本町出発 白旗神社鳥居
冬枯れの義経藤 同じく弁慶藤
義経の首を慰した神社で、神社内には義経藤、弁慶藤、弁慶松、弁慶石など義経主従に
首洗い井戸「吾妻鏡」よると兄頼朝に追われた義経は奥州(東北)でなくなり文治五年(1189年)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきた。首実検ののち腰越の浜へ捨てられた。それが潮に乗って境川をさかのぼりこの辺に漂着したのを里人がすくいあげ洗い清めた井戸と伝えられています。
遊行寺黒門 大鋸広小路
遊行寺の入り口にある、境川に架かる朱塗りの遊行寺橋(元大鋸橋)を渡ると、かつての藤沢宿大久保町。橋の右側に高札場、左側に江の島弁財天の一番目の遙拝鳥居と道標があった。ここは江の島道の起点であった。
黒門から入り桜並木のいろは坂の登っていくと、遊行寺本堂が見えてきます。大銀杏の木は樹齢200~700年と言われ、立派な大木です。晩秋になるとすばらしい姿に変身です。
遊行寺は幾度も焼失、倒壊の憂き目にあっており、古い建築物は中雀門ぐらいです。それでも、見所は沢山あります。国宝一遍聖絵や重文 後醍醐天皇像などの寺宝も、宝物館でかわるがわる公開されています。
遊行寺踊り念仏で知られる一遍を開祖とする時宗の総本山。遊行上人の住む寺ということから遊行寺というが、正式には清浄光寺といい、正中2年(1325)、遊行上人4世呑海(どんかい)が東海道に面した廃寺跡に創建したのが始まり。
本堂内陣 一遍上人像
大正年間は米屋倉 今ギャラリー展示絵画
庚申堂、遊行寺通り商店街に、境内のある庚申堂の建物ある。(木像の青面金剛が安置されているが、六十年に一回の公開)境内には多数の青面金剛や庚申塔が並んでいる。
公園入口 長屋門江戸時代の古民家だそうです。
とっても風情があって落ち着いた気分になれます
自然散策路 (全長1.5キロメートル) かなりのアップダウンがあります。
自然散策路
岩谷不動正式には石籠山不動尊。弘法大師が穴居修行をしたとの伝承がある
不動尊脇にあるこの岩屋が横穴墓といわれている。
密蔵寺山門 密蔵寺本堂
密蔵寺四国八十八霊場弘法太子 本蓮時
本蓮時銀杏の古木 常立寺
伝元使塚由緒 伝元使塚
龍口寺山門
龍口寺の境内鎌倉~室町時代の龍の口あたりは刑場でした。文永8年(1271)日蓮聖人が斬首を免れた地に、後に創建されたのが龍口寺です。延元2年(1337)日法上人が一堂を建てたのが寺のはじまりと伝えられています。境内には五重の塔・鐘楼・仏舎利塔などがあります。
疲れ様でした