2013.09.06~08 【西国札所めぐりⅢ】 報告 | 東京ハイキング協会

2013.09.06~08 【西国札所めぐりⅢ】 報告



西国札所巡りⅢ
平成25年9月6日(金)~8日(日)
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加者:18名 男性3名 女性15名
6日(金)曇JR東京駅8:10=熱海駅9:52・9:58=興津駅10:59・11:05=掛川駅12:08・12:16=豊橋駅13:17・13:21=大垣駅14:46・15:05=米原駅15:44・15:48=京都駅16:42 8時間32分、6駅乗り換えの青春18キップの旅

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東京駅8:00                                           大垣駅14:46

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京都駅16:42                                             夕暮れの京都タワー

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夕食は各自好きなところで

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京都タワーから市内
7日(土)曇り後雨降ったり止んだり

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恒例のあさの散歩鴨川の流れ5:43                       七条通大橋

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五条大橋                                                 五条大橋

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五条大橋の弁慶と牛若丸                                 東本願寺御影堂

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6:22
真宗大谷派(東本願寺)沿革
真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。親鸞聖人の娘覚信尼(かくしんに)は門弟から廟堂をあずかり、自らは「留守職るすしき」として真宗本廟の給仕を務めた。爾来、真宗本廟は親鸞の開顕した浄土真宗の教えを聞法する根本道場として、親鸞聖人を崇慕する門弟の懇念により護持されている。親鸞上人を宗祖とする真宗大谷派の本山。親鸞の教えに生きた人々により受け継がれた御影堂は世界最大級の木造建築。

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雨の中の出発京都駅8:02

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京阪電気鉄道山科駅8:41                             バスで三宝院下車

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総門に建つ西国11番札所の石柱

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国宝金堂

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醍醐寺の五重塔                                       観音堂門

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観音堂西国11番札所御朱印所               弁天堂無量寿苑

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無量寿苑                             観音堂側の鐘楼堂

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裏から女人堂へ集合                     女人堂前の仏像9:55
西国11番札所醍醐寺(だいごじ)
〒601-1383京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1 電話 075-571-0002
醍醐寺の創建貞観16年(874)、聖宝。聖宝理源大師は上醍醐山上で地主横尾明神(よこおみょうじん)の示現によって霊泉(醍醐水)を得た。そして小さな堂宇を建立し、准胝(じゅんてい)観音像・如意輪観音像を安置したのに始まる。
醍醐天皇と醍醐寺、醍醐天皇の御願によって、延喜7年(907)に薬師堂が建立され、また五大堂が落成されて上醍醐の伽藍が完成した。ひきつづいて下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立され、ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。
平安末期のは、政治の中心にあった人達との交渉も深く、例えば藤原一族に代わって大きい権力を持っていた権門源俊房(けんもんみなもとのとしふさ)の系統(醍醐源氏)の人が座主(ざす)として幾代も続いた。そして座主勝覚(しょうかく 俊房の息子)の時代に山上・山下共に伽藍がことごとく整備され、永久3年(1115)に三宝院が建立され醍醐寺発展の基礎が確立された。
後醍醐天皇と足利尊氏、南北朝時代には醍醐寺内部において、後醍醐天皇と弘真(文観僧正)足利尊氏(あしかがたかうじ)と賢俊の交渉などがあって、二派にわかれて対立した状態が続いた。その当時の政治的緊張を示す資料がいくつか残されている。
静寂の上醍醐と華麗な下醍醐をもつ大伽藍、醍醐寺は山上を上醍醐、麓を下(しも)醍醐と呼び、合わせて九十余りの堂塔が配置されている。西国弟十一番札所である准胝堂は、醍醐寺で最初に建立されたお堂で、昭和43年に再建。下醍醐の女人堂より1時間ほどの上醍醐に位置する。 開山後、醍醐、朱雀、村上三帝の帰依(きえ)を受け、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂を建立。新たに五大堂も落成し上醍醐の偉容が完成した。それに引き続き下醍醐にも伽藍の建立がすすみ、延長4年(926)には釈迦堂が、次いで天暦5年(951)に五重塔が落成、下伽藍の完成を見た。 下醍醐は豊臣秀吉の「醍醐の花見」でも名高い桜の名所で、五重塔、金堂、三宝院など、数多くの文化財を有する華麗な伽藍である。そして薬師堂を中心とした上醍醐は、准胝観音堂や清瀧権現(せいりゅうごんげん)本殿並びに拝殿、五大堂、如意輪堂、開山堂など、山上密教寺院の清浄な気に満ちた趣があり、それぞれに味わい深い建物である。
寺名の由来ともなった「醍醐水」、准胝堂(じゅんていどう)の近くにある「醍醐水」は、寺の創建から、千年余り経た今も清水が湧き出る霊泉である。聖宝・理源大師が初めてこの山に登山された折、老翁が現れてこの湧き水を飲み、「ああ、醍醐味なるかな」と賞賛。伽藍の創建をすすめたとされ、寺名の由来ともなった。汲み上げた清水はお堂の前でいただくことができ、ありがたい醍醐味が味わえる。

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女人堂から上醍醐への登り坂

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豊太閤醍醐の花見跡10:32

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水行の場10:36

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上醍醐                               醍醐水に上がる

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国宝清瀧宮拝殿11:19                   醍醐水

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今は焼失してしまった11番札所上醍醐准胝堂跡11:23 130907_114501 130907_114713
国宝薬師堂 時間の遅れを取り戻すため11:45~11:52昼食

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上醍醐の一番の高所ではないか五大堂         ここから岩間寺に向かう

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開山堂重要文化財12:31                   笠取に向う西国古道

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西笠取り13:05

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最初の清瀧宮                           14:04

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岩間寺へ1,7k東笠取の分岐ここから又登る      323喘ぎながら登って奥宮神社15:02

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千町方面から表参道                     奥宮神社から琵琶湖方面瀬田川
西国12札所番岩間山 正法寺(岩間寺)(いわまさん しょうほうじ(いわまでら))
〒520-0869滋賀県大津市石山内畑町82
滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある標高445mの岩間山中腹に位置し、岩間山正法寺と称する。西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第四番札所。
養老六年(722年)加賀の白山をも開いた泰澄大師が第四十四代女帝元正天皇の三十三歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。泰澄は、別名”越の大徳””金鎮大師”ともいい、白鳳十一年(682)六月十一日、福井県に生まれている。幼少の頃より神童的で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからも荒行を積み、その名声は早くより中央にも知られていた。大宝二年(702)には鎮護国家法師に勅任され、養老六年に元正天皇の病気平癒祈願のため、奈良の都へ来たと伝えられている。同年、加賀白山を開く途上、霊地を求め弟子神部浄定と少沙弥(寝行者)を従えて岩間山を訪れた折、山中の桂の大樹より千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその体内に納め祀った。
現在のご本尊は、元正天皇御念持仏で、御丈四寸八分(約十五㎝)の三国伝来エンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)金銅仏千手観音立像で、”汗かき観音””雷除け観音””厄除け観音”として名高い。ご本尊は、毎夜日没とともに厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡り、苦しむひとびとを悉く救済し、日の出頃、岩間山へ戻られた時には汗びっしょりになられているので、そのお姿から汗かき観音さんと呼ばれている。また、泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、雷に業する訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。大師は快く雷を弟子にし、その代わりに岩間寺に参詣の善男善女には、雷の災いを及ぼさないことを約束させた。これが雷除け観音とよばれる由縁で、毎年四月十七日には、雷除け法要(雷神祭)が奉修され、多くの参詣者で賑わう。また、当地は開山当初より水の乏しい所であったため、雷は自らの爪で井戸を掘ったという。”雷神爪堀湧泉”と呼ばれる岩間の霊泉には元正天皇御製の、
わきいづる 岩間の水はいつまでも つきせぬ法の み仏の影
という歌が伝えられている。また《観音霊験記》によると、江戸時代の俳聖松尾芭蕉は、岩間寺に参籠してご本尊の霊験を得、その俳風を確立したと言われており、本堂横手には芭蕉が”古池や蛙とびこむ水のおと”を詠んだと伝えられている”芭蕉の池”が残っている。

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やっとの思いで辿り着いた岩間寺

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岩間寺15:23                        裏からの登ったので12番札所石柱は後15:40

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1時間標示のガイドブック長い下り             京滋バイバスを跨ぐ

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奥宮神社の表の鳥居15:57                千町バス停16:25
降りだした雨、石山寺は門を閉じたのでバスで、京阪電鉄の石山寺で電車に乗り換え、宿のある皇子山に行く
8日(日)雨のち曇

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ホテル大津雨の中を出発8:20              国道47号線の石仏

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園城寺 三井寺山門重要文化財8:43          山門脇の釋迦堂重要文化財

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園城寺一切経蔵重要文化財               園城寺三重塔

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西国十四番札所観音堂 県指定文化財
西国14番札所三井寺 〒520-0036滋賀県大津市園城寺町246 電話 077-522-2238電話
園城寺の歴史をひもとくと、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまります。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。
長い歴史の上で、当寺は再三の兵火にあい焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
三井寺から京阪電気鉄道石山坂本線で石山寺へ9:35

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422号線参道に建つ灯籠石山寺の参道は国道に沿っている10:10

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西国十三番札所石山寺東門

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手洗い先右石段上がったところ岩の築庭       左に登ると本堂

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石段を左に登ると多宝塔                   月見亭から瀬田川の流れ11:50
西国13番札所石山寺
〒520-0861滋賀県大津市石山寺1丁目1-1 電話 077-537-0013
奈良時代、聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開かれた石山寺は、巨大な硅灰石(天然記念物)の上に建立されたことからその名があり、その硅灰石の上に坐す本尊は、安産・福徳・縁結・厄除けに霊験あらたかな秘仏 如意輪観音菩薩です。慶長年間、淀殿の寄進によって改築された本堂(国宝)には、紫式部が世界最古の長編小説『源氏物語』を起筆したという「源氏の間」があります。また、多宝塔(国宝)や御影堂(重文)などの建造物、本尊如意輪観音の胎内仏四躯(飛鳥~天平、重要文化財)などの仏像、石山寺縁起絵巻(重文)や源氏物語絵巻 末摘花(重文)などの絵巻物、薫聖教(国宝)や石山寺一切経(重要文化財)など約7000点にものぼる経典・聖教・古文書類のほか、紫式部と『源氏物語』にちなんだ作品が数多く伝えられています。
一年を通じて、椿、梅、桜、ボタン、キリシマツツジ、花ショウブ、アジサイ、モミジ、サザンカなど、季節の花々が絶えない「花の寺」としても知られています。
【今回予定の番外札所 山科の元慶寺参詣は時間切れで次回にします。】
石山寺からバスでJR石山寺へ JR石山寺駅11:43=米原駅12:35・12:36=大垣駅13:02・13:11=豊橋駅14:37・14:41(15:04)=浜松駅15:15(15:39)15:52=沼津駅18:06・18:09東京駅20:22 括弧内は豊橋駅で乗換時間に間に合わず遅れた人の乗車した電車です。

リーダー:満開の桜頃に発願した西国三十三観音巡礼も三回を数え十四番が終わりました。今回はこだわりの三ツの峠越え、巡礼の大変さを思い知らされた札所巡りでした。又青春18キップの旅はマニアックな旅行になります。これに懲りずに結願を目指しましょう。

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