2013.10.12~14 【伊勢遷宮】 報告
伊勢遷宮
平成25年10月12日(土)~14日(祝)
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加L:中嶋要一
参加者:16名 男性4名 女性12名
秋の乗り放題パスを使ってお伊勢・猿田彦神社・熱田神宮・豊川稲荷参詣「秋の乗り放題パス」は、乗れる列車・乗れない列車などのルールは青春18きっぷと変わらないが、有効期間が利用期間内の連続する3日間となっている。また18きっぷと異なり、1枚の「秋の乗り放題パス」を複数人数で同時に使うことはできない。値段は7500円(子供は半額)と、2011年以前の鉄道の日記念きっぷと比べて安くなっている、18きっぷにはない前記のような制約がある。今回の交通費は東京駅起点で16,340円です。http://www6.airnet.ne.jp/yossy/tetsudounohi/
平成21年1月3日(土)~4日(日)東ハイの山行で、青春18キップを2枚を使い、伊勢神宮に初詣をした。この時、参加の皆さんと、4年後の遷宮には必ず伊勢を訪ねることを約束した。時の参加者も8名程になりました。4年の歳月は一緒に歩いた皆さんにも、無常を感じます。
熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されております。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられております。
http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/
10月12日(土)
堀川上流 堀川プロムナード護岸の四阿
旧東海道五拾三次、江戸日本橋から数えて42番目の、宮「熱田の宿」が近くにあります。旧東海道で唯一、熱田の宿と次の43番目の「桑名の宿」との間が海路で結ばれていた。この海上距離が七里(約28km)あり「七里の渡し」と呼ばれていた。熱田神宮を大津通りに右に進むと、秋葉山前を通り過ぎ、伝馬町交差点を直進次の交差点のスクランブル歩道橋?を堀川沿いに出ると宮の渡し公園がある復元された灯台往時を偲ぶ説明書が並ぶ
七里の渡し 宮の渡し公園
10月13日(日)
伊勢神宮
社殿を造り替える20年に一度の大祭 2013年は式年遷宮の年、伊勢神宮では20年に1度、神さまをまつる社殿を建て替え、御神体をお遷しする式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われています。全国の神社でも本殿を修繕したり、新しくする遷宮、遷座は行われますが、伊勢神宮の大きな特徴は、社殿を建てる地が二つあるということです。内宮、外宮のお宮は現在、東の御敷地に建っていました、平成25年秋の遷宮で、隣の西の地に造営されました。東から西へ、西から東へ。伊勢の神さまは20年ごとにうつることを繰り返してきました。式年遷宮のクライマックスは、御神体を新しいお宮にうつす遷御(せんぎょ)の儀です。けれど、その儀式だけではなく、遷宮諸祭という、30あまりを数えるお祭りや行事を重ねて行きます。
JR名古屋駅快速みえ乗車7:42 F1グランプリのファンで混雑の電車
10月11・12・13日F1日本グランプリ鈴鹿サーキットJR駅鈴鹿サーキット稲生8:30臨時停車
土宮 風宮
参詣の順番通り済ませお神札授与所にて御朱印を受け
式年遷宮記念せんぐう館 勾玉池・奉納舞台11:35
内宮への移動はバスを待つ人を見て、乗車できる時間が予測できない、歩き慣れたむかし道、古市参宮街道を歩くことにする。
歴史の中の小田の橋(倭町)
瀬田川の このあたりは むかし「御贄川」と呼ばれた時代がありました。御贄とは神様に奉る、お供物のことで、神宮の御饌(御供物)はここを通って運んだからでした。小田の橋は、この川に古くからかかっていました。そして江戸時代になると、多くの文書にその名が書かれています。それはこの橋が外宮と内宮をむすぶ参宮街道あってよく知られた橋だからです。この橋をわたって、むこうにみえる尾上坂をのぼり、日本五大遊里のひとつ古市(間の山)を経て、内宮へいたる道は、かってお伊勢参りの人々がたどった 歴史的な道、往時のにぎわいがしのばれるところです。またその当時 内宮・外宮の御遷宮用材がこの橋詰に着き、両宮への御木曳きがここから行われたこともありました。新しい小田の橋は、勢田川の改修にともなって昭和63年3月造替、長さ33,2m幅7,2m、らんかんを飾る擬宝珠は、かって徳川三代将軍家光の乳母である春日の局が寄進したという故事にならってつくられました
倭町から古市にかけて随所に芝居小屋跡,遊郭跡などの碑があり,想像力で昔を偲ぶことになります。と案内板は説明しています。
往時を偲ぶ建物4年前には上に有った大きな建物が消えていた
右写真今も形を変えて残る町家古市参道街道
古市参道街道に残る桜木地蔵の大灯籠 牛谷坂を下り32号路に合わせて
猿田彦神社
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。
大神は天孫をおみちびきの後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導され、垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川 の川上一帯の霊地を御献上、伊勢の神宮の御創建に尽くされました。
大神の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、以来、永く玉串大内人(たまくしおおうち んど)という特殊な職掌に任ぜられ、伊勢の神宮に奉仕してきました。
皇大神宮(内宮)
御祭神 天照大御神
御遷座 垂仁天皇二十六年
天照大五神は皇室の御祖神であり 歴代天皇が厚く御崇敬になられています また私たちの総氏神でもあります 約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり 各地をめぐられたのち この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました 二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は千三百年余り続けられ 平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました 宇治橋鳥居前に立つ御由緒
おはらい町混雑して食堂は満杯弁当で昼食12:39 宇治橋鳥居13:56
正宮板垣木南門15:53 参詣が出来たのは16:16
我慢の100分ご利益がいっぱい
バスでJR伊勢市駅に戻り名古屋へ17:45
10月14日(祭)
宿ホテルニューひふみ8:06→JR尾頭橋駅8:17=豊橋駅乗換飯田線=豊川駅13:13→豊川稲荷10:21
豊川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多数であると思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・(とよかわだきにしんてん)です。が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
http://toyokawainari.jp/inariframe1.html
本殿長野善光寺さんと同し建物こちらは瓦葺き 624
写真右本殿の欅一枚板の見事な透かし彫り総門にも4枚ある
門前町のお稲荷屋さん、いなりずしで昼食 豊川駅前ロータリー12:06
豊橋に出てまた、乗り継ぎ電車の旅
JR飯田線豊川12:10=豊橋12:23・12:41=浜松13:15・13:30=静岡14:40・14:53=熱海16:09・16:18=横浜17:39=17:58=東京18:09
長い列車の旅と我慢の参詣お疲れ様でした。20年に一度の伊勢遷宮にお参りできたこと思い出の1ページになればと思います。佐野俊一郎
2013/10/21 月曜日 at 15:50
12日から14日にかけて熱田神宮そして猿田彦神社、本命の伊勢神宮の外宮、内宮と豊川稲荷、秋の絶好の好天の中皆さん思い思いに敬虔な気持で手を合せた事でしょう。大変楽しい旅でした。それにしても日本人はなんて辛抱強くそして謙虚な気持ちを持ち合わせているんだろうと改めて思いました。内宮での参拝の事です。参道一杯の人並み、横列も縦列もぎっしりで5分に一回ぐらいわずかに前進し、その間特におしゃべりをする方もあまりいなく、又いつも街でみかける携帯に没頭している方もほとんどいなく、本当にお行儀がいいなと感心しました。私自身も95分間よく保てたもんだと(笑)体力的に自信がつきました。さて7年後のオリンピックはともかく20年後もこれを目標に頑張りますか~