2013.12.01 【湯河原もみじの郷】 報告 平山L
成25年12月1日(日)天気快晴
湯河原もみじの郷
リーダー:平山亨
協力L:石井徹・加藤栄一・佐野俊一郎
協力者:佐々木純子
参加人員:29名 男性11名 女性18名
コース:奥湯河原入口下車10:22→紅葉の郷11:07→池峰池11:31→昼食11:46~12:28→熊野神社13:00→万葉公園13:12→狸福神社→観光会館→湯河原駅
交通:小田急新宿駅7時41分発急行小田原行乗車=終点9時15分着、乗換JR東海道本線9時29分発熱海行乗車=湯河原9時45分下車=バス10時発奥湯河原行乗車 歩程約3時間(7キロ)交通費新宿起点2840円
熊野神社の境内に立つ戦争傷病者の保養地 熊野神社 温泉権現公園
温泉権現子供みこし 樽神輿13:12
熊野神社の下に建っています。太子堂(山本有三)
昭和35年建築組合員一同が聖徳太子の偉業を敬慕して建立しました。堂は奈良法隆寺の夢殿を模したもものが建っています
熊野神社と湯かけまつり
紀伊からの勧請と言われているが、時代は不明です。湯の守護神、健康の守護神として別称「湯権現」と呼ばれています。5月の第4土・日曜日には「熊野神社例大祭」が「湯かけまつり」とあわせて開催されます。
白虎 西 玄武 北
万葉公園と平安京の関係
地理風水学上の四神相応という吉相の地である関係から、玄武(北)・朱雀(南)・青龍(東)・白虎(西)を配している
国木田独歩の碑
「湯ヶ原の渓谷に向かった時は、さながら雲深く分け入る思いがあった」吉澤狐雁(喬松)撰 小杉放庵書 詩人 西条八十から湯河原に碑を建立することを提唱され、当時の温泉振興会(旧中西旅館主人)が中心となり、昭和11年初夏に建立したものです。
万葉公園「文学の小径」
緑につつまれた情緒豊かな万葉公園。せせらぎ沿いの「文学の小径」は湯河原を愛した文人たちと、その作品を紹介した歌碑が木々の間に並ぶ、文学の香り漂う散策路です。「文学の小径」以外にも園内には湯河原温泉を詠んだ万葉集の歌碑や、湯河原とゆかりが深く足湯施設愛称にもなった国木田独歩の碑などがあり、古きよき時代の文化にふれることができる空間です
入口に建つ金尾梅の門 与謝野寛・晶子の詩碑
左 声かけて 欲しい椿の 青蕾 金尾梅の門
右 光リつゝ 沖を行くなり いかばかり たのしき夢を 載する白帆ぞ 寛
吉浜の 真珠の荘の 山ざくら 島にかさなり 海に乗るかな 晶子
うめ かえで
イバラ科 梅(梅)万葉名‥うめ
残りたる 雪に交じれる 梅の花 早くな散りそ 雪は消えぬとも 大伴旅人(巻5- 849)
カエデ科 かえで(紅葉)万葉名‥かえるで
我がやどに もみつかへるで 見るごとに 妹をかけつつ 恋ひぬ日はなし 大伴田村大嬢(巻8-
1623)
さくら つばき
イバラ科 さくら(桜)万葉名‥さくら
春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ 河辺東人(巻8-1440)
ツバキ科 つばき(椿)万葉名‥つばき
奥山の 八つ峰の椿 つばらかに 喬は暮らさね ますらをの伴 大伴家持(19-4152)
千歳川渓谷のもみじ
狸福神社前 湯河原温泉と万葉集歌
足湯施設「独歩の湯」
成分豊かな温泉の「泉」に足を浸しながらツボを刺激し、マッサージ効果が得られる足だけで入るユニークな温泉です。
狸福神社 傷ついた老狸が湯河原温泉で完治したと言われています。その老狸は湯河原温泉に感謝するために近隣の人々に伝えたことによって有名になりました。終戦後、心ある人々がここを狸福神社として祀りました
万葉の歌碑(佐々木信綱)
「足柄の土肥の河内にいづる湯の世にもたよらに子ろがいはなくに」この歌は、万葉集四千五百首の中にただ一首、温泉のこんこんと湧出している様を詠ったもので「あしかりの土肥の歌」として湯河原温泉を詠ったものでです。なお、この歌碑の原文は竹内栖鳳の筆によるものです。(原文は「町立湯河原美術館」に展示されております。)
湯河原観光会館前で解散13:36 千歳川左岸の遊歩道を帰る
観光会館郷土資料展示室万葉館
国木田独歩・夏目漱石・芥川龍之介・与謝野晶子・与謝野寛・島崎藤村・谷崎潤一郎など明治時代より湯河原を訪れた様々な文士作家の作品や紹介パネルが展示されています。その他にも、湯河原文学散歩地図、湯河原近代文学史要、湯河原今昔写真パネル、神社、仏閣、石仏写真パネルが展示されています。
千歳川に掛かるりょうごくばし ニューウエルシティ前の橋上の県境
湯河原駅前に建つ土肥氏舘跡と土肥實平公並夫人像
駅の北側に土肥一族の菩提寺成願寺が建つ
土肥一族菩提寺(成願寺)
山号:万年山 寺号:城願寺
宗派と歴史:曹洞宗 平安時代末期には伊豆山の般若院系の真言宗のお寺であったが、鎌倉時代に土肥実平・遠平親子が、再興して「成願寺」と改称し、土肥家の菩提寺とした。当時の寺は、相模国五山派の官寺と同列に列せられ名刹禅院として知られた。大永元年(1521)当地が、小田原北条氏の領地となった時に、曹洞宗に変わり寺号も現在の城願寺と改称し、現在に至る。
石橋山の合戦に敗れた源頼朝を、大庭景親の軍勢から守った土肥次郎実平。成願寺はその実平の菩提寺です。境内には「頼朝七騎」の木彫を安置する七騎堂や、土肥一族の墓所(神奈川県文化財指定)があります。また、天然記念物のビャクシン(推定800年)の見事な姿は全国的にも稀だと言われています。
今日はバスで通過したが次回は歩いてみたい
不動滝と夏目漱石の「明暗」
夏目漱石の最後の少説「明暗」(大正5年5月~12月朝日新聞に188回連載の未完成)170回から湯河原が舞台となった。この話の中に不動滝を散歩する話が出てきます。漱石自身も温泉旅館天野屋(2005年閉館)に逗留し、療養や執筆活動を続けました。
http://www.yugawara.or.jp/meisyo/
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