2014.03.15 【境川No3】報告 平山
境川No3
平成26年3月15日(土)天気晴
リーダー:平山亨
協力L:佐野俊一郎
協力者:青山昌次・佐々木純子
参加人員:28名 男性8名 女性20名
JR横浜線町田駅中央改札口9時30分集合
平成26年2月8日予定の【境川No2】東京は20年振りの大雪で中止、後日実施します
境川(さかいがわ)は、東京都および神奈川県を流れ相模湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。川の名称はかつて武蔵国と相模国の国境とされたことに由来し、現在でも上流部(町田市最南部まで)は概ね東京都と神奈川県の都県境となっている。なお、かつては相模国高座郡に由来する高座川(たかくらがわ)とも呼ばれていた。また、最下流部から河口にかけては片瀬川(かたせがわ)とも呼ばれる
JR町田駅9:37→谷口橋→鹿島橋→千寿橋→境橋→上鶴間橋10:05→鶴金橋公園10:10~10:20→西田橋→高木橋→鶴間橋→二津屋橋→11:09→鶴間一号橋11:15→鶴瀬橋11:35→観音寺→鶴間橋→大和橋→河津桜植樹の側で昼食12:00~12:50→上瀬谷橋→中島橋→深瀬橋→入村橋→鹿島橋→深見神社解散14:15→相模鉄道本線大和駅
西金山スポーツ広場のトイレ 西金山橋下流
西田スポーツ広場金山橋トイレ西田スポーツ広場10:40
高木橋カワセミ撮影ポイント枯れ木に止まったカワセミ見えるかな 高木橋
高木橋梅林とカワセミ撮影カメラマンポイントに大勢と作品展示10:40~10:50左岸工事のため右岸を歩く
東急田園都市線右側つきみ野駅 境川水管橋
境川水管橋 横浜水道局 境川水管橋 呼び径 1500mm 3条 橋長 56m 竣工 昭和49年3月施工日本鋼管株式会社 この水管橋は、道志川から取り入れた水や相模湖にためた水を川井浄水場や西谷浄水場まで運ぶための導水路の一部です。3本のうち1本は道志川の水、2本は相模湖の水を運んでいます。最初に水道橋が造られたのは明治20年で、当時は、口経22インチ(560mm)と口経18インチ(460mm)の2本の管が川を渡っていました。
武相卯年観音札所第一番 鶴間橋横浜方面
高野山真言宗寺院の観音寺は、鶴間山東照院と号します。観音寺の創建年代は不詳ながら当初金亀坊と称していたといいます。頼満和尚(慶長13年1608年寂)が中興開山、本尊十一面観音は、武相卯歳観音霊場の初番となっています
大和橋下昼食12:00~12:50 河津桜も散り始めた
境川・鎌倉古道を桜の名所に。瀬谷北部・本郷地区で桜など151本を植樹河津桜やミカイドウを40本、鎌倉古道沿いの民家が協力して沿道や庭に河津桜、ミカイドウ、カルミアを111本、合計151本を植樹する計画。
上瀬谷橋と東名高速道路 中島橋下流
右に大和東高と大和東小を送り藤沢大和自転車道右岸を下る
親水公園下流 相鉄本線と蛇行する境川
仏導寺 深見神社
境川深見神社ご由緒他御倉稲荷と靖國社が並ぶ様子東側の鳥居:本来の鳥居とされ、ここから一直線上の御倉稲荷の辺りに旧社殿があったものと思われる御倉稲荷神社と靖國社は当社拝殿の西側で、東向きに並ぶようにして鎮座している。御倉稲荷神社(おくら稲荷)倉稲魂神(ウカノミタマ)が祀られている。平成24年(2012年)までは、現在本殿の祭神である闇?神(クラオカミ)も祀られていた。深見神社の古社地といわれ、かつては稲荷の辺りに当社の拝殿が東向きにあったとされる(現在は南向き)。なお、現在の場所に社殿等が造られたのは、昭和16年(1941年)になってからのことである。
靖國社(厚木空神社、摂社)
厚木海軍飛行場の敷地内で昭和19年(1944年)11月に「厚木空神社」として創祀され、太平洋戦争による厚木航空隊(第三〇二海軍航空隊)の戦死者を祀っていたが、終戦後に廃祀(取除き)が命じられると昭和26年(1951年)4月7日、深見集落の戦没者を合祀して当社地に転社された。
富澤稲荷神社、正確には当社の境内から直接行く事はできない(木で塞がれている)が、境内の南西の隅に鎮座している。当社の西側鳥居を南に通過してすぐの所に当稲荷の入口がある。深見で製糸会杜を開設した富沢家所縁の稲荷社と考えられる。
深見神社前解散14:15
会報では相模本線瀬谷駅で解散だったが交通の利便性を考え、相鉄本線、小田急江ノ島線の交差する大和駅まで1kmを案内する。相模本線は大和駅から600mが地下化され上は遊歩道にになっている。今日は骨董市が開かれ賑わっていた。解散後三々五々骨董に興味ある会員は楽しいでいた。境川No4は大和駅から出発します、お疲れ様でした。平山