2014.04.03 【新宿御苑のお花見】 報告
新宿御苑のお花見 ウォーキング① 街歩き
実施日:平成26年 4月3日(木)雨
リーダー:松永孝子
参加リーダー:加藤栄一 土肥原二郎
協力者:土屋秀夫
参加者:32名
コース
JR中央線信濃町(10:40)→明治神宮外苑・絵画館→国立競技場→東京体育館→新宿御苑(11:55~12:50)散策・昼食~大温室で解散(13:05)→新宿駅
葬場殿址 明治天皇の葬儀が行われた葬場殿跡があります。大きな木は、記念に植えられた楠の木です
聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)
1919年(大正8年)3月に着工し、1926年(大正15年)10月に開館しました。
この建物は「明治天皇」と「昭憲皇后」の遺徳を描いた日本画・西洋画それぞれ40点が展示されています
樺太国境画定標石 絵画館前庭西側
樺太日露国境天測標日露戦争の後、明治38年に締結された日露講和条約で、樺太の北緯50度以南は、日本の領土となりましたが、その境界を標するために4基の天測標と17標の小標石が建てられました。
写真の標石はレプリカで、外苑造営時に当時の樺太庁から奉納されたものです。
お鷹の松 絵画館前庭西側
江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩りの途中、後に国立競技場の敷地となった境妙寺で休息していたところ、江戸城より愛鷹「遊女」が飛来し、境内前庭の松に止まったという言い伝えがあります。
家光はこれを大いに喜び、この松を「遊女の松」と名付けた。
時代が下ってからは「御鷹の松」、また地名から「霞の松」と称されるようになりました。
出陣学徒壮行の地 国立競技場内
昭和18年(1943)10月2日、勅令により在学徴集延期臨時特例が交付され、全国の大学、高等学校、専門学校の文科系学生・生徒の徴兵猶予が停止された。この非常措置により同年12月、約10万の学徒がペンを捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった。世にいう「学徒出陣」である。全国各地で行われた出陣行事と並んで、この年12月21日、ここ元・明治神宮外苑競技場においては、文部省主催の下に東京周辺77校が参加して「出陣学徒壮行会」が挙行された。・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・征く者と送る者が一体となって、しばしあたりは感動に包まれ、ラジオ、新聞、ニュース映画はこぞってこの実況を報道した。・・・・・・・・・・銅版レリーフに由来が記されています
国立競技場 ↓ 東京体育館
2020年東京五輪のメーン会場として全面改築され、来年7月に解体工事が始まる
新宿御苑 千駄ヶ谷門
新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部がそのルーツと言われています。明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、戦後昭和24年(1949)に国民公園として一般公開されました。
園内には、フランス式整形庭園、イギリス風景式庭園、そして日本庭園が巧みにデザインされ、明治を代表する近代西洋庭園といわれています パンフレットより
御苑のルーツ 江戸時代に完成した内藤家の庭園「玉川園」玉藻池
大温室 透明感溢れる美しいガラス建築となっています
温室内には、ジャングルや池、乾燥地、熱帯の山地などのコーナーを設置し、多様な温室植物を展示するほか、小笠原諸島や南西諸島の絶滅危惧植物、そして洋ランなどの歴史的な植物の展示も行っています。
温室内は南国、メガネもカメラも一瞬に曇ってしまいました ムニンタツナミソウ
お疲れ様でした
ありがとうございました 丹羽・記