2010.04.10【伊東・修善寺】報告 | 東京ハイキング協会

2010.04.10【伊東・修善寺】報告



【青春18キップの旅】
実施日:平成22年4月10日(土)天気晴

リーダー:佐野俊一郎

参加リーダー:中嶋要一
協力者:佐々木純子
参加者:11名(男性3名 女性8名)

コース:JR東京駅⑦7:24発伊東行前方乗車=横浜7:52=伊東9:48→いで湯橋東海舘→バス伊東駅11:40発修善寺行乗車=伊豆箱根鉄道修善寺→日枝神社→修善寺→源範頼の墓→風の道→伊豆箱根鉄道修善寺駅=JR三島駅→三島大社→三島駅


東京駅から東海道線普通列車で1時間51分で熱海駅で分岐する


伊東線は、網代や宇佐美の漁港を見ながら走る。トンネル区間が長が、いトンネルを抜けると斜面に家々が立ち並ぶ町と青い海が広がり、伊豆らしい変化に富んだ地形が楽しめる。


熱海から伊東までは約25分。伊東駅から徒歩7分の東海舘を訪ねる。昭和初期に木造3階建て和風旅館として建てられ、現在は一般公開されている。職人が腕を競った欄間や飾り窓の彫刻が見事だ。土・日曜・祝日は、レトロなタイル張りの大浴場か家族風呂に入浴できる。

東海舘1階                         木の造りが美しい

窓の細工の見事さ

集められた雛壇の前で

芸者の姿

往時をしのばせる見事な彫り物のある舞台

望楼からの眺望                  望楼から何が見える

望楼から相模湾                  西の山並み

松川の上流                     二階から中庭

二階廊下                      室生犀星詩

中庭の粋                      湯の花通り

駅まで戻り、駅前湯の花通りにある寿司海女屋で昼食、バスで修善寺へ向かう。

中伊豆・修善寺行                 冷川峠

日枝神社                      日枝神社


夫婦杉                        境内

桂川                         修善寺

修善寺温泉では、修善寺温泉発祥の独鈷の湯などを散策。石畳の道が伸びる竹林の小道を歩けば清流のせせらぎが響き、笹の葉音が涼を添える。外湯の風情を伝える筥湯で立ち寄り湯を楽しむもよい。

独鈷の湯                       桂橋                        修善寺温泉は今から約1200年も前に弘法大師が発見した温泉で湯どころ伊豆の名門です。鎌倉時代には

源氏興亡の哀史を秘めた舞台になった。


竹林の小道                     楓橋から


源範頼の墓に上る石段              源範頼の墓

兄頼朝の誤解により当地に幽閉され信功院で自刃


源範頼の墓前の大杉               修善寺の裏道

静かな裏道に咲く桜               裏道に通づる古びた石段

修善寺温泉から帰りこれから三島へ      JR三島駅富士山をイメージ

三島大社                      三島大社の桜

桜の中の散策                   三島大社正殿

桜の下で今日の終リ

相模灘を眺めながら東京駅へ戻る。

日枝神社 修善寺に隣接し、昔は修善寺鎮守様であった。境内には夫婦杉の大木や伊豆では珍しい鹿子の木、県の文化財に指定されている一位樫がある。また、源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)がある。

修善寺 曹洞宗。大同2年(807)弘法大師が開基した修善寺温泉発祥の名刹で、鎌倉時代に源氏一族が骨肉の争いを演じた悲劇の舞台となっている。宝物館には北条政子が実子源頼家の冥福を祈って寄進した宋版放光般若経や岡本綺堂の名作「修善寺物語」ゆかりの寺宝面などがある。

とっこの湯 この地を訪れた弘法大師が、川原で病父の体を洗う少年を見つけ、その孝行に心を打たれ、手にした独鈷(とっこ・仏具)で岩をくだき、霊泉を湧出させて病を治してやったという。伊豆最古の温泉。大同2年(807)

竹林の小道

源範頼の墓 兄頼朝の誤解により当地に幽閉され信功院で自刃した

三島大社由緒によると、創建に関しては古く不明である、三宅島(現 富賀神社)→下田・白浜海岸(現 伊古奈比咩命神社)→大仁町(現 広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承がある。他に、伊予国大三島の大山祇神社からの分社との説もある。

延喜式神名帳には「伊豆国賀茂郡 伊豆三島神社」として記載されている。延喜式が書かれた平安時代初期には賀茂郡の下田・白浜海岸に正妃・伊古奈比咩命を祀る神社と並んで建っていた。白浜海岸には現在、伊古奈比咩命を主祭神とする伊古奈比咩命神社がある。

現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものであるとされる。現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡に「藁一把分の土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡がそれくらいならと了承すると、三島明神は藁の束を解いて輪にし、若宮八幡の広大な敷地を囲んで占有してしまったという伝承がある。現在、若宮八幡は三島市西若町にあるが、そのために三嶋大社に背を向けて建ったという。(現在は、三島大社と同じ南向きに建っている。)

伊豆国一宮であり、総社も兼ねていたとされる。源頼朝は伊豆流刑時代から当社を崇敬し、鎌倉幕府制立後は伊豆山・箱根とともに当社を重んじた。中世以降は武家、庶民の信仰を集めた。中世以降は暦を発行し、「三島暦」として全国に知られた。

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