2015.01.04 【亀戸七福神】報告
亀戸七福神
平成27年1月4日(日)晴
リーダー:佐野俊一郎
協L:平山亨・佐野満喜子
協力:佐々木純子
参加者:21名 男性6名 女性15名
コース:JR亀戸駅9:02→常光寺9:22【寿老人(延命長寿)】→東覚寺9:35 弁財天(芸道富有)】→香取神社9:42【恵比寿神(愛敬富財)】【大国神(有富畜財)】→毘沙門堂10:02(普門院内)【毘沙門天(勇気授福)】→天祖神社10:21【福禄寿(人望福徳)】→龍眼寺10:34【布袋尊(清廉度量)】→亀戸天神社解散11:15
江戸時代の天海僧正によると「七福とは、寿命(寿老人)、有福(大黒天)、人望(福禄寿)、清廉(恵比寿)、愛敬(弁財天)、威光(毘沙門天)、大量(布袋)の七徳」のこと。七徳を実行すればたちまち「七難即滅七福即生」。パワー体に満ちてくる。
亀戸七福神は、亀戸駅・亀戸水神駅周辺の3つの神社と3つの寺院にまつられています。どの社寺からお参りしてもご利益に変わりはありませんが、今回は常光寺(寿老人)→東覚寺(弁財天)→香取神社(恵比寿神)(大国神)→普門院(毘沙門天)→天祖神社(福禄寿)→龍眼寺(布袋尊)と順にめぐリます。
沿道には七福神がまつられている社寺のほかにも由緒ある社寺や史跡が多く、また、東京スカイツリーのビュースポットや、レトロな店構えの商店が軒を連ねる商店街など、移動中の見どころもいっぱいでした。
亀戸の名の由来
昔、この地は亀ノ島と呼ばれる海上の島でした。早くから住民がいたようで、石器時代、古墳時代の遺跡があるといわれています。やがてこの島に亀村と呼ばれる村ができ、村にあった亀ヶ井という湧水が有名になりました。その後、亀村と亀ヶ井が混ざって「亀井戸村」になったようです。江戸時代、「井」がなくなって亀戸村となりました。(平成27年版福のあるまち亀戸かいわいぶらりマップ)より
JR亀戸駅9:02 亀戸水神通り
亀戸水神9:16 常光寺寿老人9:22
途中石井神社(おしゃもじ稲荷)
石井神社由緒
当社は嵯峨天皇の御代弘仁弐年九月弘法大師により発現せられたる社にして、級長彦命・津長井命・岡象女命の三柱を奉斎し亀井戸郷中図子の鎮守社にして毎年九月二十八日を以って例祭日となし当日 薩摩芋数拾俵町内住民より献じ後これを参拝者及び里童に授け與う、別名おしゃもじ様の芋祭りと称す。熱病除、百日咳除におしゃもじを拝受して特殊霊験顕著なりしは数多き崇敬者ありし事で知るべし。昭和四十年四月 石井神社宮司 椎名春美 記之
東覚寺辨財天9:36 東覚寺本堂
東覚寺(辨財天)
由来:東覚寺は享禄4年(1531)幻覚法印の創建と伝えられています。明治34年(1901)覚王寺を合併しました。覚王寺は猿江2-15にあり、府内88ヶ所霊場第73番札所で、それを示す碑が東覚寺に残されています。当時の不動明王は、東大寺別当良弁(689~773)の作で、大山寺(神奈川県)本尊と同木同作といわれ、江戸時代より亀戸不動として信仰をあつめてきました。亀戸七福神のひとつ(辨財天)として親しまれています。
明治通りに建つ香取神社恵比寿神・大黒神9:42
亀戸香取神社(恵比寿神・大国神)
御由緒:当社の創立は天智天皇四年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振りを納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの故事により勝矢祭が五月五日(武者行列)に執り行われております。
以来益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、御神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取大神宮と称え奉るに至りました。
元禄十年検知の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡十二社にも数えられております。
普門院毘沙門天10:02 普門院本堂
普門院墓地の伊藤左千夫の墓 美しい菩薩像
普門院(毘沙門天)由来
普門院は真言宗の名刹で、福聚山善應寺と号します。大永2年(1522)三股(隅田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現・足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616)に現在地に移りました。その時、過って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来になったといわれています。江戸時代の地誌『絵本江戸土産』には、将軍が鷹狩の際に立ち寄り腰を掛けた御腰掛けの松が描かれています。亀戸七福神のひとつ(毘沙門天)として親しまれています。
アパートの屋根のスカイツリー 天祖神社福禄寿10:21
福禄寿 天祖神社拝殿
天祖神社(福禄寿)由来
天祖神社は、社伝によれば推古天皇の治世(593~628)の創建で、その後、衰退していたのを応永10年(1403)に復興したと伝えられています。天正年間(1573~91)に疫病が流行し、この時織田信長の使者が参向して流鏑馬を献じたところ、疫病は治まったと言われています。今日では子供の健やかな成長を祈って、毎年9月16日に子供歩射が行われています。亀戸七福神のひとつ(福禄寿)として親しまれています。
龍眼寺布袋尊10:34 龍眼寺本堂
龍眼自(布袋尊)由来
龍眼寺は天台宗で、慈雲山無量院と号し、創建は応永2年、(1395)と伝えられています。当寺は萩寺の名で知られ、江戸時代の地誌『江戸名所図会』には、萩を愛でる人々でにぎわう様子が描かれています。
また、境内の万治2年(1659)造立の庚申塔は区内で確認されているもののうち最古のものです。亀戸七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれています。
龍眼寺本堂からスカイツリー
亀戸天神
亀戸天神 KAMEIDO TENJIN SHRINE 由来
江戸時代から学問の神様として信仰を集め、梅や藤の名所として庶民から親しまれてきました。寛文2年(1662)九州太宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真の像を作り、祀ったのが創建といわれています。
毎年1月24日、25日に「うそ替え神事」が行われ、前年のウソを納め、新しいウソを求めると「凶もウソとなり吉にトリ替わる」といわれており、檜の一刀彫のウソに人気があり、たくさんの人々で賑わっています。
初歩き、亀戸七福神詣でした。香取神社はスポーツの神様元気な学童の参詣者多し、我が会員さんも孫の運動向上を祈願御札を求めていた。今年も元気に幸せに歩けることを願い、2時間の初山行は終わりました。解散後希望者は昼食と新年会でした。 その時の様子は(SHUN山行)に掲載