2015.01.18 【子ノ権現】報告 下田恵美子 | 東京ハイキング協会

2015.01.18 【子ノ権現】報告 下田恵美子



子ノ権現
平成27年1月18日(日)
リーダー:下田恵美子
協力L:村上健一
協力:島田文代・堀江敬子
参加L:石井徹・加世田輝三・佐野俊一郎・矢沢省三・渡辺孝一(五十音順)
参加者:33名 男性14名 女性19名
西武池袋駅8時5分発快急長瀞行乗車=西武秩父線西吾野駅9時24分着西 武秩父線西吾野駅9:48→森坂峠10:20→十二町目石11:16→子ノ権現11:56→小床橋13:50→西武秩父線西吾野14:00 歩程約4時間

コース概要:西吾野駅を西に下り西吾野橋を渡る、右に椚平開会館を見て、先が国道299号線西吾野駅入口信号を左折、北川は橋の先で高麗川に合流する。299号北川橋を左に渡り.ガソリンスタンドを右に見て、100m南に下ると、人家の手前右に高麗川に架かる橋が有る。
車両止のある橋を右岸に渡ると森坂峠に向かう山道を西南に上る道、日陰は15日に降った雪が溶け凍りつき滑り易い、かやとの登山道だ、植樹林帯手前で衣類調整をする。ここから工事中が止まった林道を登ると200m程で右に、岩の間を登る登山道になる。手入れされた杉林を上ると10分程で森坂峠に着く、ここから冷たい風を受けながら尾根道歩きになる。
幾つもの上り下りを繰り返しになるが。寒くてあせもかかない歩きだ。4っ目のピークを巻いて、西にイモリ山の案内に沿って登る、急な尾根道を気をつけて上ると平らになった場所に小さな祠が有る、この頂上がイモリ山、パスして東に向かう。
尾根道は冷たい風が吹き抜けていく。大きな上り頂上に送電線鉄塔、鉄塔名不明、右に子ノ権現、左は吾野駅方面の展望が開ける。鉄塔を下り7分程で、小床からの参道、十二丁石に合わせ、大きくジグザクしながら、子ノ権現に登る。
30分で、子ノ権現への車道に着く、左に車道を進むと右に教育地藏尊が建つ右脇を上り左に曲がり返して、門前の大杉に着く。参道の両側に土産物店すぐに鳥居、山門(黒門)、仁王様、正面に庫裏右に上がると右正面に本堂(本堂では護摩供が行われていた)昼食を済ませ、帰りは十二丁石から小床へ下るコースをとる。
杉の樹林帯を下るが。昨年の大雪の被害甚大、倒木は林が透けて見えるほどだ。小床部落の日影は15日降った雪が溶けず、冷蔵庫状態20分ほどで小床橋(おどこばし)に下山、橋を左岸に渡り299号に出て西吾野駅Fin

http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/nenogongen.html
子の権現天龍寺は延喜11年(911)に、子の権現がこの地に十一面観音像を祀って天龍寺を創建したのが始まりである。その後、子の聖を大権現と崇める恵聖上人が長和元年(1012)に子の聖の尊像を本尊として子ノ聖大権現社を創建し、天龍寺を子ノ聖大権現社の管理運営をする別当寺とした。

子の聖は紀州和歌山の天野郷、阿字長者を母とする。阿字長者が六十歳となったある晩、夢の中に天竺の高貴な僧が現れた。そして「我、救世の願あり、願わくは汝が胎を借らん。」と告げて僧は阿字長者の口の中に入った。驚いて目覚めた阿字長者はやがて懐妊し、天長9壬子年(832)の子の月、子の日、子の刻に子ノ聖を生んだ。天竺の僧の生まれ変わりという事から幼名を救世若丸といい、7歳で出家して仏門に帰依すると子の聖または天野の聖と呼ばれて人々に敬われたという。

その後、羽黒山の開創・能除太子の徳を慕って諸国をまわり、出羽湯殿山で修行に励んだ。そして一宗開山を志した子の聖はある日、月山に登って「南無三世仏母般若妙典、我、永く跡を垂る地を示したまえ。」と空高く般若教を投げた。その般若教は空を飛んで武州・子の山(経ヶ峰)に至り、光を放って子の聖を導いたという。やがて光を目指して下天寺(降魔橋付近)に辿り着いた子の聖に、この山に住む悪鬼が火を放って子の聖の登山の邪魔をする。窮地に追い込まれた子の聖は、腰まで火炎に包まれながら一心に経文を唱えた。「念彼観音力 火坑変成池」

すると一天にわかにかき曇り、龍が姿を現して激しく雨を降らせた。山火事は瞬く間に消し去られ、悪鬼共も姿を消すと龍は十一面観音のお姿となって雲の洞の中に消えてしまった。子の聖のもとには一枚の龍の鱗が残されていた(寺宝・龍鱗石)。腰から下に火傷を負った子の聖は、延喜11年6月13日に子の山山頂に至り、十一面観音を祀って寺を建立した。子の聖を助けた龍にちなんで、これを寺号とした天龍寺である。山号を大鱗山、院号を雲洞院と号す。

その後、子の聖は永く子の山で修行教化を重ねていたが、長和元年3月10日、「我、登山の折り、魔火の為に傷を負って悩める事あり、よって腰より下の病のある者、我を念ずれば必ずや霊験を授けん。」という誓願を残して示寂する。弟子の恵聖上人は子の聖の誓願を広く世に広める為、子の聖を子の聖大権現と崇め、聖の尊像を祀って子の権現社を創建し、天龍寺をその別当寺としたのである。

天龍寺は第1世恵聖上人から第29世真海の代まで羽黒山の末寺であったが、宝永2年(1705)、第30世教海の代に天台宗・東叡山寛永寺の末寺となり、それ以降は寛永寺の任命によって住職が選出された。その後、各地に子の権現社が勧請されて各地に社が建てられたり、江戸市中で出開張が行われ、善男善女が参拝して賑わったという。

しかし安政5年(1858)には大火にみまわれ、本堂をはじめ二十有余の堂宇は悉く灰燼に帰した。さらに明治維新となると寺院による権現号の使用が禁じられ、子の聖薩と称すように命じられてしまう。だが世情が安定するとともに権現号に復し、明治18年(1885)、第41世照信の代に本堂を再建した。現在では本尊を子の聖大権現としているが、武蔵野観音霊場の第32番観音にあたる旧本尊十一面観音は、本尊の守護仏として同じ本堂に祀られている。

子の権現の二本杉 埼玉県指定天然記念物 昭和13年3月31日指定
目通り7.8m(南)5.4m (北)。 根まわり10.9m(南)、7.0m(北)。
樹高36m(南)、23.6(北)。 枝張り2本あわせて約15mm四方。
南側にあるものは健全な姿を見せているが、北株は途中から幹が折れてしまい、痛々しい姿をさらしている。
樹木医によるものだろうか、手当の跡も残るがかなり厳しい状況のようだ。

龍寺縁起によれば、この杉は延喜11年(911年)、この峰に子の大権現が初めて登った際に、食事に使った杉の箸を地面に差したものが根付いて大樹になったという。 木は南と北に2本並び、樹齢は2本とも約800年と推定されている。また、古くから霊木として守られ、6月12日の開山日には各自の願いが成就するようにと、箸立ての儀が行われている。この二本杉は、またの名を飯森杉(めしもりすぎ)ともいう。

木造不動明王立像 飯能市指定有形文化財 昭和62年4月1日指定
この不動明王像は本堂内陣左側に安置されており、像高101.7cmの一木造りの平安仏。不動明王像は木理も判然としないほど黒ずんでいるため、一見忿怒(ふんぬ)の面相も素地は穏やかな面貌である。丸顔の面部、面高な頭部、肉付きの良い体躯、分厚い条帛(じょうはく)を左肩にかけて簡素な裳を薄手に彫り出していることから、この像は藤原様を伝えた地方仏師の作と見られる。また、両腕は肩から別材が用いられ、両足も膝下から継がれており、後補されている。名栗村町田俊三郎氏より安政6年(1859)に寄贈された。
西武秩父線西吾野駅9:42
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出発9:46                                           北川西吾野橋
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299号線北川橋信号を左に9:50                         ガソリンスタンドを右に送り
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右に車止めの有る高麗川に架かる橋を渡る                 日差しが暖かい
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日陰のかやとの中は氷道                             樹林帯に入る前衣類調整10:06
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林道から登山道に入る11:11                             森下峠直下
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森下峠を南に10:20                                    1ピーク10:22
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1ピークを下る                                       2ピーク10:25
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3ピーク10:31                                             4ピークを左に巻いて
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10:40西にイモリ山に登る                                5ピークを左に巻く
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イモリ山への登り                                     小さな祠を右に送り10:49
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イモリ山頂をパスして東に                              南に進路を取る尾根は北風が冷たい
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南に向かう尾根緩やかなアップ、ダウンを繰り返す       11:01送電線鉄塔NO表示不明
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鉄塔前きつい登りにかかる11:05                         送電線鉄塔西側
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鉄塔ピークを下る                                       小床からの参道に合流十二丁石11:16
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十二丁石から子ノ権現への上り
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車道合流11:45
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道路右に教育地藏尊、右を登る11:50                車道に出ると待っていた小坊主さん
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子ノ権現参道の売店と鳥居11:56                           山門11:57
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仁王像11:58                         庫裏 御札・御朱印・お守りを販売購入11:59
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本堂、護摩供中参詣経を上げ一年の安全山行を祈願12:05  金の大草鞋
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本堂前から西の展望                                  大杉の今
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大杉前の東屋から東の展望                             昼食を済ませ出発12:44
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下山十二丁石を通るルートで小床へ下山                十二丁石13:11
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小床への下山道                                小床部落に下ると氏神様か静之神社13:28
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小床部落の日陰は雪の中                          小床橋(おどこばし)解散13:50
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西武秩父線西吾野駅14:00
今年の初山行に大勢ご参加くださいまして有難うございました。今年も楽しい山行を計画します是非ご参加ください。下田恵美子
新年会の様子は俊一郎blog参照

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