2015.05.10 【神奈川歴史・公園散歩NO2】 横浜三ツ沢公園~総持寺 報告渡邉幸一
神奈川歴史・公園散歩NO2横浜三ツ沢公園~総持寺
平成27年5月10日(日) 天気晴れ夏の日差し
リーダー:渡邉幸一
電話:090-3122-5529
協力L:加世田輝三
協力者:松木千恵子・五木田悦子
参加L:有里公雄・加藤栄一・佐野俊一郎・濱坂孝一・平山亨・保倉恵美子
参加者:53名
集合:東京メトロ副都心線(東急東横線直通)綱島駅改札口9時45分
綱島駅9:49→鶴見川9:56→スタート10:04→樽綱橋10:20→杉山神社10:25→熊野神社11:22→トレッサ11:44→三ツ池公園(昼食)12:35~13:21→総持寺14:11→御霊殿14:22→石原裕次郎の墓14:30→総持寺解散14:51
国道2号線綱島街道の鶴見川に架かる、大綱橋下流に9時49分綱島駅から鶴見川河川敷に移動、挨拶コース説明
リーダー挨拶9:56 スタート10:04
月例チャレンジつるみ川 20・30・40kmマラソンランナーの邪魔にならないように鶴川土手下河川敷を歩く歩く
マラソンランナー ゆったり流れる鶴見川
http://www.sportsentry.ne.jp/event/t/39476
月例チャレンジつるみ川
JR新幹線鶴見川鉄橋10:10 右岸に下水道局樽町ポンプ場
樽網橋を右岸に渡る10:20 140号で右に400m樽町3で左折
樽町中を右に送り100m程で杉山神社
杉山神社10:25
杉山神社で神社の豆知識にあう、由緒と一緒に末尾に掲載
杉山神社右手から、模擬木段を上り、熊の神社市民の森に入る、ベンチのある広場から左に七曲りの道を下っていく
10:58
熊野神社への道11:08 0 尾根伝いに熊野神社に着く11:22
正面石段 本殿
熊野神社由緒記は末尾に掲載
熊野神社鳥居前の”い”の字の池 11:28 師岡町
熊野神社から、熊の神社市民の森の南側を東へ、17号環状2号のショピングモールトレッサに向かう
ショピングモールトレッサ11:44 環状2号を正面のトレッサに渡る
東に向かい歩く 日陰で後続信号待ちを待つ
鶴見獅子ケ谷線の左側に長松寺
長松寺 環状2号のだらだら坂を登っていく
環状2号上る 環状2号を跨ぐ梶山橋12:18
右に住宅地の長い石段を上ると
三ツ池公園の北側に着く12:22 三ツ池公園に下る
三ツ池公園中の池 下の池12:34
下の池池畔に建つ馬超龍雀
馬超龍雀の由緒は末尾に掲載
コリア庭園12:35~13:21昼食
http://www.natsuzora.com/may/park/mitsuike_korea.html
三ツ池公園の中に「コリア庭園」という一角がある。1990年(平成2年)の神奈川県と韓国京畿道との友好提携を記念して造られたものだ。
コリア庭園
三ツ池の内上の池パスして下末吉6へ上る
突き当り信号を右ねへ進む
バス停三ツ池口左折 第2京浜国道を跨ぎ
大阪を下り亀甲山信号を直進 右成願寺墓地を送り
坂上信号から右のでまい石段を上り墓地の中を通り、総持寺待局裏に入る
右に大祖堂14:11 御霊殿14:22詳細は4月11日平山、山行を参照
石原裕次郎墓所14:30 向唐門14:48
三門横に建つ平成救世観音像 三門
山門 参道大燈籠
杉山神社樽町、師岡町の町境に位し、樽町全町の鎮守としてこの地に鎮座し、明治6年12月村社に列格。新編武蔵風土記稿に「杉山社、字大下にあり石階十二級を設く、本地荒沢不動を神体とす、例祭は年々8月2日、隣村師岡村法華寺の進退する所なり、社内に棟札あり、其中に応永年中鰐口を鋳す事を記す、この鰐口は故あって昔村民の方へあづけ置きしと言伝ふるのみにて今は在所さだかならず、かかる古きものありしなれば、定て古きものなるべけれど社伝も見へず、且つ石碑に残ることさへなければ今よりはただし難し云々」とあり。
平成14年9月15日造営完了し社殿整備。平成15年5月参道石段整備及び手摺設置。平成16年12月参道整備・庸壁建設・社務所建設・玉垣設置など境内整備が完了。併せ境内社稲荷社が改築遷座され平成17年初午に竣功。
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=159&cd=1202064&scd=&npg=6
神社の豆知識
鳥居
鳥居は神域を表すために建てられた門。扉がないのが特徴で開放感をあらわす。
天照大御神が天の岩戸に御隠れのとき常世の長鳴鳥(ニワトリ)が鳴いたという。
故事にニワトリが止まったという説があり、横に渡した木のなかで神聖視されたも
のを鳥居と呼ぶようになった。構造や装飾には色々あるが神明系と明神系に大別さ
れる。
燈籠(灯籠)
証明用具の一つで、僧房のの灯火具から起こり神社仏閣の常夜灯である。
釣り燈籠・置き燈籠・石燈籠等種類が多く、神燈は神前を明るくするためにある。
狛犬
神社の守護で魔除けのためにある。王宮や神殿・墳の入り口に魔除けのために設けら
れた人面獅子の石像。スフィンクスに起源し、シルクロードを経インド・中国・朝
鮮を経て日本に渡来した 韓土から来た異形の犬という意味でコマイヌと呼ばれる
ようになったらしい。(本来獅子と狛犬は違い平安時代には区別されており)左に
口を開いている方が獅子で、右に口を閉じ頭に一角を持ったほうが狛犬で、後に獅子
と狛犬が混同され社前の一対は殆ど狛犬と呼ばれ左を阿、右を吽(うん)という。
参拝の作法
鳥居から先は神様がいる場所(神域)になりますので、鳥居をくぐる前にお辞儀を
し手水舎(ちょうずや)の水で両手を清め社殿までの参道の中央(正中)が神様の
通り道とされてるので、そこを避けて歩くのが神様に対する礼儀とされている。
手水の作法
右手でひしゃくを持って水を汲み、左手にかけ清める。
次にひしゃくを左手に持ち替え、同じように右手を清める。
再びひしゃくを右手に持ち、左の手のひらに水を受け、その水を口に含みすすぎ終
わったらもう一度水を左手にかけ最後にひしゃくの柄に水を流して伏せておく
七五三縄(しめなわ)
神前や神聖な場所であることを標すために張り巡らされた縄のこと。普通藁が多く
使われ七五三の数字を使うのは藁の数を七・五・三とするからだという。
起源は記紀の天の岩戸の段に出てくるので、縄文土器の縄具と同じで七五三縄が祭
祀具として発展したものと思われる。
神輿
神様が移動(遷座)する時の乗り物(伸座)である。
古くは馬を神の乗り物としたが輿になった。絵馬はその時の神馬を描、。
いたものと
いわれている。
鎮座地 横浜市港北区師岡町1137番地(東横線大倉山駅より東へ8分)
祭 神 伊邪那美尊(いざなみのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
境内地 約4800坪(一万六千平方米)県指定天然記念物
例大祭88月24日
旧氏子区域 師岡、獅子ヶ谷、駒岡、上末吉、下末吉、鶴見、、馬場、北寺尾、東寺尾、西寺尾、東子安、西子安、生麦、東神奈川、西神奈川、六角橋、三枚橋、片倉、神大寺、羽沢、菅田、岸根、鳥山、小机、白幡、篠原、菊名、大豆戸、 太尾、大曾根、樽、南綱島、北綱島
建造物 本殿(権現造 柿茸 正徳2年) 拝殿(権現造 銅茸 明治17年)
覆殿・幣殿・翼殿(銅葺 平成17年) 以上 建坪62,82坪
熊野郷土博物館(社宝、考古資料、民俗資料、刀剣、古文書等 約2000点所蔵)
社 紋 八咫烏(三つ足烏)紋
由諸記
この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体であります。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わりそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は1060回余にもなる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝へて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池(指定地域史跡)、のの池、ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。
享禄2年北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治6三十三ヶ村の郷社に列した。
その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、平成17年「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施し、更に平成26年「平成の大修造第二期」に着手し、手水舎新築、境内社整備参集殿改修等の事業を完遂し面目を一新した。
当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。
三ツ池公園とは?
三ツ池公園は、JR鶴見駅の北西約1.8kmに位置し、名前の由来にもなっている三つの池を豊かな樹林が囲んでいます。この公園の最大の特徴は、日本の「さくら名所100選」に選ばれていることです。2月中旬に開花する寒桜を皮切りに、78品種およそ1600本のさくらが少しずつ時期をずらして花を咲かせ、来園者に親しまれています。このほか、野球場、多目的広場、テニスコート、プールといった運動施設や、パークセンター、コリア庭園など様々な施設を備え、多様なニーズに対応する総合公園です。
http://www.kanagawaparks.com/mitsuike/about/
馬超龍雀
この銅像はロマンチックな発想と合理的な構造で作られた中国古代の芸術的逸品と言われる「馬超龍雀」の複製品です。実物は1969年10月、中国西北部甘粛省武威県の北にある漢墓の中から出土したもので、今から1700余年前のものです。
馬は首を上げ、尾を仰向け、三本の足を空に舞い上がらせ、右後足を龍雀にかけて疾走する姿を表しています。
馬の全重量が龍雀の背中にのせた一本の足を力点に集中していることは、力学的平衡原理を正確に計算されていることを物語っています。
中国遼寧省と日本国神奈川県との友好提携五周年を記念するため、ここに謹んで神奈川県民に寄贈いたします。
中国遼寧省人民政府1988年9月13日
大本山總持寺の開創
總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」といいます。その開創は、700年余もの昔にさかのぼります
http://sojiji.jp/honzan/gaiyou.html