2015.05.24 【江戸三十三観音巡りNO2】報告 | 東京ハイキング協会

2015.05.24 【江戸三十三観音巡りNO2】報告



江戸三十三観音巡りNO2
平成27年5月24日(日)曇のち晴れ
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加リーダー:村上健一・下田恵美子
参加者:41名 男性14名 女性27名
JR両国駅西口10時集合
コース:JR両国駅西口10:06→回向院10:08→吉良邸跡10:33→芥川龍之介文学碑→両国公園勝海舟生誕の地碑10:41→江島杉山神社→新大橋→浜町公園休憩11:00~11:15→清正公寺→水天宮仮宮→人形町通り11:33→大観音寺11:35→「玄冶店跡」の史蹟碑→大安寺11:56→十思公園12:00解散
国技館前                                   両国駅側
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国技館は五月場所の千秋楽、館内から、入場券は売り切れました、のアナウンス、両国駅からは、早い時間から、入場者か観光客が一杯、力士は記念写真にひっぱりだこです。
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JR両国駅西口出発10:06
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江戸第4番札所回向院10:08                     松坂町吉良邸跡1033
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浄土宗寺院の回向院は、諸宗山とよび。回向院は、振袖火事(1657年)の死者を埋葬し供養したのが起源です。出開帳や勧進相撲が行われ、江戸庶民の信仰の場とされました。江戸三十三観音霊場4番札所としての馬頭観音の他、力塚、鼠小僧の墓など数多くの名所があります。
吉良邸前に飯澄稲荷
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赤穂四十七義士が討ち入った、本所松坂町の吉良邸跡です
吉良邸は、浅野匠頭守による殿中刃傷事件の後の元禄14年(1701年)9月3日に吉良上野介義央が当地を拝領して建設された吉良家の上屋敷で、坪数2,550坪ありました。この地で赤穂浪士による仇討ち事件が起こり、その名所を惜しんだ地元の両国3丁目町会有志会が発起人となったのがきっかけとなり、本所松坂町公園として残されています。
両国小芥川龍之介文学碑隣に日露戦争駆逐艦「不知火」の錨
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両国小学校の角に芥川龍之介文学碑が建っています。芥川龍之介文学碑には芥川龍之介代表作の「杜子春」から引用された一節が碑に刻まれています。
両国公園の勝海舟生誕の碑10:40               千歳橋で竪川を千歳3に渡る
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勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、ここ本所亀沢の父小吉の実家である男谷家に生まれました。初めの名は義邦、幼名麟太郎といいました。蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、安政7年(1860)1月、咸臨丸艦長として邦人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげました。慶応4年(1868)3月、高輪の薩摩藩邸において西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城に成功し、江戸市民を戦禍から救いました。明治政府にも重用され、参謀兼海軍卿・元老院議官などになり伯爵となりました。
上は首都高小松川線                        一之橋を左に曲がると江島杉山神社
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江島杉山神社は、墨田区千歳にある神社です。江島杉山神社は、盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693年)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したといいます。明治時代に、江の島弁財天を祀った江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となりました。
隅田川遊歩道から新大橋
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新大橋の橋脚に旧橋のレリーフ                浜町公園で休憩11:00~11:15
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公園内に建つ清正公寺                       水天宮様は造営のため仮宮(明治座)横
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浜町公園にある、加藤清正を祀る清正公堂は、文久元年(1861)に熊本藩主細川斉護が、熊本市日蓮宗本妙寺から勧請し、一般の参拝も許されていました。清正公が熱心な法華信者だったこともあり、清正公信仰は日蓮宗と結びついて全国に広まり、江戸時代の後期から明治までが、特に盛んでした。
人形町に向かう甘酒横丁                       緑道に勧進帳の弁慶像
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今では暗渠となっている浜町川は、物資輸送路などで賑わった堀割(人工的に水を通したところ)でした。この浜町川跡が、現在の浜町緑道(グリーンベルト)です
人形町通りに標識時計塔11:33                    江戸第3番大観音寺11:35
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江戸第5番大安寺11:56小伝馬町            小伝馬町十思公園内に建つ吉田松陰終焉の地 +                                 碑NHK大河ドラマ「花燃ゆ」
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大観音寺
聖観音宗寺院の大観音寺は、明治13年当地に創建したといいます。本尊の銅仏は、北条政子が井戸から掘り出した古鐵の正観音の御髻から霊験を得て、鎌倉に創建した新清水寺に祀られていたものだといい、東京都指定有形文化財となっています。、江戸三十三観音霊場3番札所になっています。

大安楽寺
高野山真言宗の大安楽寺は、新高野山と号します。大安楽寺は、牢屋敷跡だった当地に誰も住み着かなかったことから、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建したといいます。高野山より弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山といいます。高野山の準別格本山で、江戸三十三観音霊場の5番札所です。

人形町三丁目交差点に「玄冶店跡」の史蹟碑が建てられています。。
『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』源氏店(げんじだな)」の場ですが、玄冶というのは三代将軍家光の時代に将軍お抱えの医者、岡本玄冶、その屋敷のあった所が玄冶店です。

日本橋小伝馬町5-2 十思公園内
幕末の長州藩士・吉田松陰は、幕府の条約調印に関して閣老間部詮勝の襲撃を謀ったとして捕らえられ、安政6年(1859年)、現在の小伝馬町にあった牢屋敷で処刑されました。松陰は、兵学、洋学に通じ、また萩に「松下村塾」を開いたことでも有名で、木戸孝允、前原一誠、高杉晋作、久坂玄瑞、伊東博文、品川弥次郎らをそこから輩出しました。

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