2015.07.05 【江戸三十三観音巡りNO4】報告
平成27年7月5日(日)曇り小雨
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加者:17名 男性5名 女性12名
JR大塚駅南口9時集合13番護国寺9:23→14番金乗院1042→甘泉園公園→15番放生寺11:06→16安養寺11:49→安養寺解散11:57 歩程2:30
JR大塚駅8:50 集合
出発8:59 都電荒川線
大塚駅南口を南へ歩く 大塚5丸ノ内線新大塚駅9:10
254左に大塚公園9:13 右に善心寺
並んで西信寺 不忍通り右に富士見坂を下る
坂を下ると右に宮内庁書陵部御門9:21 隣に護国寺惣門
この惣門は、護国寺の方丈への軸線上にありあり、寺院の門徒共に住宅の門という性格をあわせもっている。形式は、社寺系のものではなく、江戸時代の屋敷門の五万石以上の大名クラス、格式に相当する形式と威容をもっている。当寺が幕府の厚い庇護のもとで、高い格式を保持した歴史を反映している。大名屋敷表門で現存するものは、いずれも江戸時代後期のものであるのに対して、この門は、中期元禄年間のもので、特に貴重な文化財である。
ー郷土愛をはぐくむ文化財ー東京都文京区教育委員会昭和63年3月
13番札所護国寺仁王門9:23 不老門
本堂前 本堂
本堂で僧侶の法話を聞く、仏医経による病気の原因を説くご本尊前の鏡について問う、かつては護国神社と一緒だったそうだ。
真言宗豊山派寺院の護国寺は、神齢山悉地院と言い。護国寺は、真言宗豊山派大本山で、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建されました。1200石の御朱印寺でした。江戸三十三箇所観音霊場第13番札所です。
墓所には山県有朋、大隈重信、尊皇攘夷の公卿として活躍した三条實美がある。
不忍通りを右に11:10 5号路下を目白通りに向かう
正面目白通り音羽方面10:24
鬼子母神参道信号を左に 宿坂を下ると14番金乗院10:32
神霊山金乗院 金乗院参詣を済ませて10:42
不忍通りを西に600mで目白通りを合わせて右へ300m信号は鬼子母神表参道前を南に下ると14番金乗院目白不動 真言宗豊山派の金乗院は、神霊山金乗院慈眼寺と言い、天正年間(1573-92)に開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされ、第二次世界大戦で焼失した目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)を合寺しています。江戸三十三観音霊場14番札所、関東三十六不動霊場14番、江戸五色不動の目白不動が祀られています。
神田川に向かう左に南蔵院 右に氷川神社
神田川に架かる面影橋を新目白通り出る 神田川下
新目白通りを200m左に水稲荷神社 水稲荷神社左隣に甘泉公園10:51
甘泉園公園~大名屋敷跡につくられた日本庭園~甘泉園公園は、区立唯一の回遊式庭園です。「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。
西早稲田交差点(高田馬場跡) 600m東南右に穴八幡宮
穴八幡宮交番前を諏訪通り右に放生寺 放生寺参道
15番放生寺本堂11:06 参詣を終わり11:16
高野山真言宗の放生寺は、光松山威盛院と言い。放生寺は、良昌上人が徳川家光の生誕と告げる霊夢を寛永16年に夢見、江戸に上京松平新五左衛門の屋敷に寄宿、穴八幡宮の創建に尽力し、徳川秀忠より光松山放生會寺の寺号を賜ったといいます。本尊の聖観世音菩薩は融通虫封観世音と称され、江戸三十三観音15番札所です。
早稲田通りに出て右200m夏目坂 早稲田通り弁天町を過ぎ
牛込弁天町の曲坂を上り 左赤城神社を送り神楽坂坂上に下る
神楽坂坂上交差点に左に安養寺 16番安養寺11:49
安養寺
本尊の薬師如来像。丈六坐像の金銅仏で、(2m余)別名「神楽坂大仏」と言われ、崇敬を集めている大仏様です。大きな薬壷は珍しい形のものです。金箔の大仏様で、間近で見ると優しさの中にも迫力があります。本堂の2階に祀られています。拝観をお勧めする。寺の奥さんのご案内で参詣できました。感謝します。
天台宗寺院の安養寺は、医光山長寿院と言い。安養寺は、慈覚大師円仁和尚(794-864)開基と伝えられ、徳川家康江戸入府に伴い平河町から当地へ移転したといいます。江戸三十三観音霊場16番番札所です
1時半からの山行はしごの会員さんの要望により。安養寺解散11:57
神楽坂祭り善国寺、神楽坂をJR飯田橋に下る。希望者ここで昼食