2015.10.27【江戸三十三観音巡りNO7】報告
江戸三十三観音巡りNO7
平成27年10月25日(日)晴
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加L:村上健一・下田恵美子
参加者:38名 男性13名 女性25名
観音巡礼とは各寺院の観音さまを巡り、心の迷いを浄化し、自分自身をみつめなおす旅です平安時代の中期に僧侶達の修行としては じまったといわれ、西国三十三観音霊場が日本最古で観音巡礼の元祖といわれています。これをきっかけに各地さまざまな三十三観音巡礼が形作られ、江戸時代になってから庶民の間でも広まり、さらにさかんに行われるようになりました。その中には江戸三十三観音霊場、山の手三十三観音霊場、深川三十三観音霊場など、いろいろな観音霊場がありましたが、明治に入りさまざまな社会の変化や寺社の消長に伴い一旦は廃れていきました。「昭和新選江戸三十三観音霊場」として再興されました。【現代に残る”江戸”が 薫る】文化図書
方南町駅10:00→角田橋→多田神社10:06→17番寶福寺10:19~10:54(寺子屋戸村塾跡)→方南通→栄橋11:01→弥生町信号→19番東円寺11:35~11:45→日蓮宗立法寺11:56→駒ゲ板橋(和田公園)→和田2→善福寺川12:04→神田川→JR東中野駅解散13:12
地下鉄丸ノ内線方南町駅は1番出口トイレのある環七通り方南町交差点と、2番出口方南通商店街出口がある。団体で集合の時はは1番出口が良いが、集合場所が無いので注意。多田神社まで移動して朝の挨拶をする。
方南町1番出口 環七通方南町交差点高円寺方面
方南通り商店街2番出口 2番出口から右信号を斜め右に入る10:00
神田川を角田橋で渡る 進行左多田神社10:06
多田神社拝殿前で朝の挨拶10:09 参拝を済ませ
多田神社 ご由緒によると、多田満仲公は第56代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神である。幼少より文武両道に秀で国家に凛然として輝き、武門の棟梁たる勅諚を賜り国家鎮護の大任を課されたのみならず、或は沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、或は河川を改修して農耕の拡大に寄与し、併せて源氏興隆に確固たる基礎を築かれたとある。
多田神社左の参道から宝福寺10:13 本堂は法事のため表で参拝
境内に寺子屋跡(戸村塾由緒) 御朱印いただくのに10:45まで待つ
宝福寺 真言宗豊山派の宝福寺は、如意山といいます。宝福寺の創建年代は不詳ですが、江戸三十三観音霊場17番です。宝福寺の創建年代は不詳ですが、江戸三十三観音ガイドによると、「聖徳太子がが諸国を巡遊された時、紫雲たなびくこの地を霊地として堂を建立し、如意輪観音像を奉安し、国家安穏をお祈りされ、その後聖武天皇の時代に信行大挿図が上宮聖徳太子孝養の像を刻んで祀ったことからであると伝えられています」とあり、古くから当地にあったことを示唆しています。
本尊 宝福寺如意輪観世音菩薩
北へ方南通り地下鉄中野検車区11:01 神田川を栄橋で渡る
広野住宅信号を北へ 弥生町から杉並区方南公園
善福寺川と立正佼成会普門館 善福寺川に架かる霊峰橋を北へ渡る
立正佼成会聖堂11:15~11:29拝観 閉じられた東円寺山門11:34
東円寺 真言宗豊山派寺院の東円寺は、医王山悉地院といいます。東円寺は、天正元年(1573)に、村民半六が開基、備後国の僧祐海(一説には秀海)が当地に開山したといいます。江戸三十三観音霊場19番札所です。
東円寺 観世音菩薩遊歩道
東円寺本堂11:35 東円寺観音堂お参り11:45
会員土屋さんの案内で古刹、立法寺(日蓮宗寺院)に参拝11:56 南に和田公園に下り
昼食時間になったが、1時間ほどでJR東中野駅着くので歩くことにする
駒ゲ坂橋から善福寺川左岸を歩く ここから善福寺川は神田川となる12:04
富士見橋から本郷通りを東へ向かう
1 中野新橋から神田川左岸の遊歩道
長者橋から新宿のビル群 中央環状線長者橋に建つ成願寺12:36
淀橋から新宿12:47 大久保通り末廣橋から
柏橋を左折 第六天神社区検通りを北へ13:02
JR東中野駅西口階段下で解散13:12昼食なしで歩来ました。お疲れ様でした
江戸三十三観音巡りをして思うこと。坂東・西国三十三観音霊場と違い寺院は、ご住職が寺務を兼任しているため、葬儀・法事があると、そちらに手を取られ、御朱印に時間がかかる。参加者が大勢の時歩く人のために時間の短縮を考える。佐野