2015.11.22 【大山街道No4】報告 平山亨 | 東京ハイキング協会

2015.11.22 【大山街道No4】報告 平山亨



大山街道No4
平成27年11月22日(日)天気曇り
リーダー:平山亨
協力L:佐野俊一郎
協力者:佐々木純子
参加者30名 男性8名 女性22名
江戸赤坂御門を起点としして、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道です。東海道と甲州街道の間を向かう脇往還(五街道など本街道以外の支街道で、休泊機能の備わった道)として、「厚木街道」「矢倉往還」等とも呼ばれてきました。文九(1669)年には、溝口村、二子村が矢倉沢往還の宿として定められています。江戸時代中期には、庶民のブームとなった「大山詣り」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として、有名になりました。江戸時後期には、駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ大切な輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えました、このように大山街道は多くの人々や物資が往來し、文化や情報が行き交い、様々な交流が生み出されてきた歴史ある街道です。
コース:東急田園都市線すずかけ台駅8:30→246号→鶴間高架橋→町田市辻→東名入口鶴間3→一里塚9:06→旧国道246号→目黒高架橋→境川→観音寺9:40→ふるさと館→鶴林寺→まんじゅうや跡→小田急江ノ島線踏切→泉の森公園昼食11:30~12:00→西鶴寺→国道246号→相鉄線踏切→→伊勢山自然公園→鶴間国分寺跡→小田急小田原線海老名駅(海老名中央公園)14:40解散
投稿原稿国道246号は大山街道・厚木大山街道・と読み替えて下さい。
京急田園都市線、すずかけ台駅より南西に馬の背橋を渡り、こうま公園に上がり、厚木大山街道を800m下ると、町田街道手前100mに旧町田街道がある。ここを左折すぐに左に入ると畑の中に祠が地蔵堂と道祖神がある。
すずかけ台駅前8:30                        こうま公園に上る
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白馬が建つ                             国道246号下り車線
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地蔵堂・道祖神8:47                         上東京環状線国道16号線
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辻地蔵尊
この地蔵様は念仏供養や諸願成就を願って元文五年十一月(1740年)に建てられたもので、今から二百七十有余年前です。その頃から皆さんの願いを何でも聞いて下さると言うので、霊験あらたかと崇敬され親しまれて来ました。昭和三十八年に国道二四六号線の拡幅に伴い、百米東側のこの地に移されました。平成五年十二月に祠が改修されました。平成五年十二月春 辻地蔵奉賛会
厚木大山街道に戻り、鶴間高架橋下を東名入口信号で、国道16号大和バイバスを右折、200mニトリの手前左に一里塚は立つ。
東京環状線下                           ニトリ手前左に一里塚
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一里塚9:06
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一里塚を左に246号に出て、先の横浜水道道路上の歩道橋をを渡り旧246号道路に出る旧大山街道は、横浜水道道路から右に入る
歩道橋
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歩道橋公園に展示水道管                   246号東京方面高架橋は東京環状線
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横浜水道道路                                大山街道右に日枝神社9:17
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ゆるい下り右に圓城寺9:22                     圓城寺鐘楼
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旧大山街道と国道246号厚木大山街道、八王子街道の交差する、目黒高架橋の下
五貫目道祖神9:23
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五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)の現在地より約300メートル西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。
現在の道祖神は徳川後期安政3年丙辰8月と印され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14日道祖神地先にて1年の無病息災並びに豊作を念じて、左義長別名だんご焼きの行事を実施致しております。平成4年3月一級国道246号大和厚木バイパス開通に伴い、建設省のご配慮により現在地に移転いたし、之を高背に伝えるべく由来碑を建立し、永く顕彰するものとする。平成5年3月吉日国道バイパス対策委員会五貫目町内会目黒信号を右に境川を鶴間橋で渡ると、観音寺(山行境川を下る14年3月15日NO3に掲載)
目黒高架橋                                境川上流
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観音寺9:40
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鶴間山観音寺縁起
当山は高野山真言宗で、中興開山頼満和尚は慶長十三年(1608)に入寂、その昔は金亀坊と言われたが、開山・開基は不詳である。市指定重要文化財の厨子は天文十三年(1544)で造で、室町時代の様式を伝える貴重なものであるが、創建を知る手掛かりになるのであろうか。本尊の十一面観世音菩薩は寺伝によると、宝暦年間(1751~63)住職宥仁和尚と同様、瀬谷村中屋敷高橋是右衛門にも、この家に伝わる十一面観世音菩薩が霊夢に立たれ、当山に奉安せよとのお告げがあった。深見村の小林九兵衛はこの勧請を扶け、又下鶴間村領主で旗本の江原公の協力も得て観音堂を新築し安置された。後大火により地域一帯が焼失したが、観音堂だけが難を免れた。村人はその奇瑞に驚き、以後この十一面観世音菩薩を本尊と仰ぎ、寺号を今の観音寺に改めたといわれる。しかし宝暦より前に観音寺のきじゅつが古文書に見られる。古老の話では以前は、地蔵菩薩が本尊で真言院といわれたという。建武五年と延文二年の板碑があるが、新編相模風土記稿に履歴を伝えずと記されている。辯天堂には江原公奉納の辨財天や十五童子などがまつられ、当時の堂宇も江原公や村内巳待講中が施主であった。宝暦元年(1759)武蔵・相模に武相観音札所が創設され、その第一番となり、以来卯年には御開扉供養が一斉に厳修される。
観音寺前の信号を旧大山街道に入ると
阿夫利神社御分霊社9:51                        相州鶴間宿
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ゆるやかな下り道目黒川の信号を渡ると左に下鶴間ふるさと館が建つ
http://www.city.yamato.lg.jp/web/shakai/furusatokan.html参照
高札場9:55                                  高札場
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高札場 高札は基本的な法令を高札に墨書し、庶民への法令の徹底を意図したものです。(右)慶應四年の太政官高札徒党、強訴、悲惨の禁止 (中)慶應四年の太政官高札キリシタン禁止(左)明治三年の太政官高札火付、盗賊、人殺、偽札を作る犯罪者を発見した時は役所に訴え出ることを定めたもの。
ふるさと館に展示された鶴間宿の写真、中央に鶴林寺が見えるDSCN7353
旧小倉住宅                            鶴林寺不動明王堂に登る石段
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不動堂                                     鶴林寺10:08
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鶴林寺を旧大山度に出て急坂を上る右に地蔵尊の祠、と旅館まんじゅう屋
3 地蔵尊                               まんじゅう屋跡に道標10:12
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渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)                坂上を進むと坂上厄除地蔵尊10:14
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渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家) 73
江戸時代後期の洋学者で、画家として知られる渡辺崋山は、第十代田原藩主三宅康明の弟友信の命により、高座郡早川村(綾瀬市)に住む友信の生母お銀の消息を尋ねるため、天保二年(1831)九月二十日、弟子の高木梧庵といっしょに江戸の青山を立ちました。その日は都筑郡荏田村(横浜市緑区)に泊まりましたが、翌二十一日には矢倉沢往還下鶴間宿に着き、俗に「まんじゅうや」(土屋家)といわれる旅籠屋に一泊しました。「まんじゅうや」は初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていたといいます。土屋家には、天保十一年の「大山く組」という看板が残っています。これは江戸の町火消「く組」が、大山参詣の定宿としていたことを物語っています。平成十年三月 大和市教育委員会
http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000047454.pdf参照
大山街道を諏訪神社案内板から左に入り諏訪神社に参詣七五三詣の参詣者にお会いする
諏訪神社10:19                             大山街道に戻る山王神社10:31
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大山神社前の道標と矢倉街道の説明石柱        大山街道左に山王原公園10:36
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地産店鋪に立ち寄る                    大和歩行者専用道路通過10:46
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厚木大山街道右合流点                        矢倉沢往還説明板
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この道路は矢倉沢往還と呼ばれた古道であり、江戸時代には東海道の脇往還として重要な交通路となっていました。東京都港区青山を起点とし、南足柄市関本、矢倉沢、足柄峠へと至る街道です。また、大山街道とも呼ばれ、江戸中期以降は大山信仰や、富士信仰の行者が利用する道として栄えてきました。
合流点すぐに小田急江ノ島線鶴間駅踏切          森永工場終わりに泉の森散策道11:04
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泉の森11:30~12:00昼食
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大山街道に戻り下っていく西鶴寺と大和斎場で旧236号と別れ左大山街道に入ると、国道246号で大山街道は分断される、右にひばりが丘高校前信号で信号を渡り、大山街道に入る
西鶴寺12:12                              国道246号で大山街道は分断
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ひばりが丘高校迂回大山街道に入る                  大山街道石碑を直進
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さがみ野駅入り口を直進                       相模鉄道本線踏切12:40
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大塚本町交差点                              赤坂バス停に不動明王
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不動明王像13:20                              渡辺崋山案内板
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急坂を下り小園公園トイレ休憩13:32                   厚木街道望地信号
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を通り抜けて岡に上る、右に小さな馬頭観音
腰高の石垣のうえの畑に馬頭観音                   急坂を下った右石垣下に道祖神
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厚木道路の目久尻橋から下流                 目久尻橋を右に入ると石橋供養塔
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目久尻川のフェンスの外に石橋供養塔               伊勢山自然公園14:00
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公園したに建つ建つ逆川の碑                       坂の途中に道祖神
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逆川は、目久尻川から人口の掘りを作り、ここから北西に流れを変える用水堀で、海老名耕地の灌漑や運搬などに使われた水路である。低い方から高い方に水を流したことから逆川と呼ばれた。
坂上に立つ嘉永年間の道標                       国分寺跡14:15
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国分宿・国分寺国分宿は江戸から十四里、下鶴間宿へは二里、厚木へは一里の地にあり、村役場が置かれていた。旅籠、茶屋、居酒屋、床屋、煙草屋などが軒を連ね、大変賑わっていたと言われています。坂の途中右にに国分寺の案内板を入ると
温故館                               国分坂の途中に大欅
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このケヤキは、かつて船つなぎ用の杭として打ったものが発芽して大きくなり、以来、人々が保護し育ててきたものと伝えられている。根回り十五,三メートル目通り七,五メートル樹高二十メートル達する大木である。
厚木街道に出る                      海老名中央公園入口
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国分寺七重の塔3分の1縮尺                   七重の塔解散14:40
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5時間に及ぶ行程、お疲れ様でした。無事に完歩出来ましたご協力有難うございました。次回は海老名出発です、平坦歩きになります。ちかづく大山を目指して歩きます。平山

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