2015.12.12 【江戸三十三観音巡りNO9】 報告
江戸三十三観音巡りNO9
平成27年12月12日(日)晴
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加者:19名 男性10名 女性9名
観音巡礼とは各寺院の観音さまを巡り、心の迷いを浄化し、自分自身をみつめなおす旅です平安時代の中期に僧侶達の修行としては じまったといわれ、西国三十三観音霊場が日本最初で観音巡礼の元祖といわれています。これをきっかけに各地さまざまな三十三観音巡礼が形作られ、江戸時代になってから庶民の間でも広まり、さらにさかんに行われるようになりました。その中には江戸三十三観音霊場、山の手三十三観音霊場、深川三十三観音霊場など、いろいろな観音霊場がありましたが、明治に入りさまざまな社会の変化や寺社の消長に伴い一旦は廃れていきました。「昭和新選江戸三十三観音霊場」として再興されました。参考図書【現代に残る”江戸”が 薫る】文化図書
コース:JR品川駅高輪口(西口)10時集合→八ツ山橋→北品川橋→品川浦船だまり→浦利田神社(鯨塚)10:22→旧東海道→30番一心寺10:42→聖蹟公園(品川宿本陣跡)10:47→品川橋→荏原神社10:57
→31番品川寺(流転の梵鐘・江戸六地蔵)11:09→番外(34番)海雲寺→旧東海道→浜川橋(涙橋)11:59→鈴ヶ森刑場跡12:03→京急大森海岸駅解散12:16
自由通路中央改札口 第一京浜品川プリンスホテル
トライアングルクロック
八ツ山通りを下る 品川橋の船だまり
品川浦公園利田神社10:22 利田神社の鯨塚
品川浦 旧東海道に入る一心寺10:42
30番一心寺豊盛山延命院 霊場本尊 聖観世音菩薩 寺本尊 不動明王
真言宗智山派寺院の一心寺は、豊盛山延命院といい。寺は、安政2年(1855)に大老井伊直弼により開山したと伝えられます。
山手通リ手前左聖蹟公園品川宿跡本陣(工事中)10:47
品川区指定史跡 東海道品川宿本陣跡
所在 品川区2丁目7番21号 聖蹟公園
指定 昭和53年11月22日(史跡第7号)
品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道53次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、品川三宿中央に位置していた。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休憩所として大いににぎわったところである。明治五年(1872)の宿駅廃止後は、警視庁病院などに利用された。現在、跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。平成14年3月28日 品川区教育委員会
山手通りを渡る 目黒川に架かる品川橋
荏原神社東海道七福神恵比寿10:52
鎮守橋 旧東海道に戻り南へ品川宿の松
南馬場商店街交差点 宿場通りのトイレ
城南小学校11:04 青物横丁交差点直進
城南小学校創立之地
城南小学校は, 品川区内2番目の学校として,1878(明治7)年に ここ常行寺に開校。「第一大学区第二中学区八番公立小学校」「城南小学校」と称した。6年後には 隣接地に校舎を新築して 移転。1947(昭和22)年 「品川区立城南小学校」となり, 現在に至る。
品川寺11:09檜原村の野菜市 江戸六地蔵尊
31番品川寺海照山普門院
霊場本尊 水月観世音菩薩・聖観世音菩薩
真言宗醍醐派の品川寺は、海照山普門院といい、真言宗醍醐派の別格本山です。品川寺の創建年代は不詳ですが、当初金華山大円寺と称し、弘尊が承応元年に中興開山しました。戦国時代、兵火により焼失しましたが、海照山普門院と改称して復興しております。山門前には江戸六地蔵尊が安置されています。座高2m75cm青銅の座像
本堂に観世音菩薩は安置 海雲寺11:23
番外(34番)海晏寺 龍吟山千躰荒神殿
本尊 十一面観世音菩薩
曹洞宗系単立の海晏寺は、補陀落山といい。建長3年(1251)頃鮫洲に浮上がった大鮫の死体から正観音木像が出てきたことから、その正観音木像を安置するための堂宇として、建長寺開山大覚禅師を迎え創建されました。戦国時代に荒廃しましたが、徳川家康の命により再建、文禄2年(1593)臨済宗建長寺派から曹洞宗寺院として中興開山し、現在に至っています。
海雲寺 立会川に架かる浜川橋
なみだ橋(浜川橋)
旧東海道の立会川に架けられている浜川橋(1934)・昭和9年)の俗称。鈴ヶ森の刑場で処刑される罪人が護送されるとき、その親族たちが密かにここまで見送ってきて、この橋を最後に、涙で別れたといわれる。
京急と第一京浜 鈴ヶ森大経寺12:03
鈴ヶ森刑場跡