2016.01.10 【江戸三十三観音巡りNo10】 報告佐野
江戸三十三観音巡りNo10
平成28年1月10日(日)晴
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加L:村上健一・下田恵美子
参加者:43名 男性11名 女性32名
平成27年4月5日に雨の中を始まった、江戸三十三観音巡りが結願しました。シリーズ山行は雨天でも実施しなければならず苦慮しました。
観音巡礼とは各寺院の観音さまを巡り、心の迷いを浄化し、自分自身をみつめなおす旅です平安時代の中期に僧侶達の修行としては じまったといわれ、西国三十三観音霊場が日本最初で観音巡礼の元祖といわれています。これをきっかけに各地さまざまな三十三観音巡礼が形作られ、江戸時代になってから庶民の間でも広まり、さらにさかんに行われるようになりました。その中には江戸三十三観音霊場、山の手三十三観音霊場、深川三十三観音霊場など、いろいろな観音霊場がありましたが、明治に入りさまざまな社会の変化や寺社の消長に伴い一旦は廃れていきましたが、「昭和新選江戸三十三観音霊場」として再興されました。参考図書【現代に残る”江戸”が 薫る】文化図書
コース:東急東横線三軒茶屋改札口(三茶パテオ口方面改札口)10時集合10:08→大山街道分岐(246号を渡る)→(蛇崩川緑道)→新道橋→子の神公園→32番世田谷山観音寺10:35~11:10→西澄寺11;16→蛇崩川緑道→駒繋神社11:34→駒繋公園→足毛橋→区役所通→目黒通り→羅漢寺川緑道→林試の森公園東門12:24→林試の森公園西門12:44→33番龍泉寺12:49→五百羅漢寺解散13:50
三軒茶屋キャロットタワー10:08 地上へ上がる
246号大山街道り分岐に建つ大山道道標 玉川通り
西に下り三軒茶屋病院左折 蛇崩川緑道暗渠
昔はこちらに伊勢丸稲荷さんの鳥居10:20 東に流れる蛇崩川
いくつか旧橋の上を川伝いに歩く 野沢通り信号を右折
世田谷観音信号を左折、次の信号右折石垣の切れたところ左世田谷観音10:35
世田谷観音本坊(旧小田原藩代官屋敷)ご住職のお話しを聞く 0
山内は節分の準備中、山門を入ると山門裏阿弥陀堂 右に六角堂
池の中に夢違い観音 観音堂(本堂)参内して参拝
32番観音寺世田谷山
天台宗系単立寺院の観音寺は、世田谷山といい。事業家であった大僧正睦賢和尚が昭和25年に創建したといいます。本尊 聖観音菩薩像 重文の不動明王・八大童子像は毎月28日に公開、区内最古の梵鐘、南蛮鉄の狛犬あり
http://www.setagayakannon.com/参照
本堂右に特攻観音堂 蛇崩川にに戻り野沢通りに11:13
野沢通りを東に西澄寺11:16 武家屋敷門と本堂
冬枯れ庭 冬囲いした蘇鉄」
西澄寺蜂須賀屋敷門
西園寺公邸の書院、三田・蜂須賀屋敷門を移築との文化財、巨木名木のコウヤマキがある。
せたがや社寺と史跡による西澄寺の縁起。西澄寺は、隆向和尚が紀伊国高野山釈迦院より下錫して天正2年(1574)に開山したものといわれ、大久保六右衛門忠勝が中興開基となったといいます。新義真言宗智山派に属し、京都智積院の末寺で、日輪山薬王院西澄寺といい。本尊には大日如来、薬師堂には薬師如来が安置されている。
天正2年(1574)河内の人隆向和尚が紀伊国高野山釈迦院より下錫開山したものといわれているがくわしいことはわからない。江戸時代に中興したのは、大久保六右衛門忠勝で当時の住僧は宥秀和尚「寛文12年(1672)寂」であった。
明治維新前後からは、無住の寺で荒廃していたが、明治25年近江の人慧荘和尚は高野山より当山へ第10世の住職として来たり荒廃した本堂、庫裡等の再建を念願し、薬師堂にて1000日の穀断ちの修業をした。そして高野山で修得した灸術をもって近郷の人々の救済をしたところ霊灸の評判をとり、受灸者でにぎわった。現在も慧荘和尚より伝わった灸術で遠く北海道九州からも受灸者が来ている。
山門は武家屋敷門で都霊宝の指定を受けている。大正11年、本堂の改築の時、港区三田四国町にあった旧蜂須賀家屋敷門を移築したと伝えられている。番所に格子窓を設けるなど若干の変更があるが5~10万右の大名の屋敷門の形式、構造、装飾等を備え、数少ない武家屋敷門の遺構として貴重である。
梵鐘は明治32年受灸者から奉納された鏡、かんざし等の金属をもとにして鋳造した。たまたま、第二次世界大戦で供出したが、終戦時に無傷のまま深河の焼跡より発見され当山に復帰した。
本堂左側の高野槇の大木は開山の隆向和尚が高野山より移植したものといわれ、樹令数百年の古木である。この槇の木に登った人は失明するとか、当山にあった古木を伐採した時この槇も切ろうとしたら、3名までも仏罰を蒙ったなどといわれ、この槇は薬師如来の化身だとされた。当山に薬師堂を建立し薬師如来を安置し供養するようになったのもこのためだといわれる。(せたがや社寺と史跡より)
東京都指定有形文化財 武家屋敷門
蛇崩川に戻り左に進むと駒繋神社 駒繋神社拝殿
東にすすみ三宿通りを右に、五本木駒沢通り信号左、目黒中央通り東南に目黒通りに出る
目黒通り横断左に清水稲荷 商店街では道路で餅つき
商店街を緩やかに下ると羅漢寺川左に進む 林試の森東門
林試の森は葉を落とした木々 東にせせらぎ橋を渡る
林業試験場発祥地の碑12:37 西門を出る12:44
林試の森公園、ここは明治33年(1900年)6月に農商務省林野整理局の「目黒試験苗圃」としてスタートしたのが始まりで、その後「林業試験場」に名称を変更、林野庁の付属となり昭和53年まで営々として使用されてきました。
そして、筑波研究学園都市の建設に伴い、移転した跡地を整備し、「目黒公園」の暫定開放期間を経て、平成元年6月1日に「都立林試の森公園」として開園しました。 この公園は東西に700m、南北に250mと細長く、外周の園路をぐるっと一周すると45分程で廻れます
目黒不動参道を北へ 目黒不動尊仁王門12:49
仁王門から山内、右に観音堂 本堂裏の銅造り大日如来座像
33番目黒不動瀧泉寺泰叡山
天台宗寺院の目黒不動瀧泉寺は、泰叡山といい。龍泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられ、関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられます。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺[現天王寺])の一つに数えられたといいます。
山門前を左に塀沿いに進むと天恩山五百羅漢寺
目黒不動仁王門を左目黒川に進むと左に羅漢寺13:22
天恩山五百羅漢寺
13時50分解散 。
予定では12時解散でしたが、御朱印に予想外に時間がかかり、12時を過ぎてしまいました。参加者の皆さんは携行食で空腹をしのぎ、昼食時間もなく歩きとうしました。有難うございました。
江戸三十三観音巡りは、団体では御朱印帖は前もって寺院に持って行き書いてもらうほかは無いのかな。
No1、4月5日浅草小雨 1番浅草寺・2番清水寺・6番清水観音堂・7番心城院 No2、5月24日両国晴 4番回向院・3番大観音寺・5番大安楽寺 No3 6月23日駒込小雨 9番浄泉寺・8番清林寺・23番大円寺・10番浄心寺・11番圓乗寺・12番田通院 No4 7月5日大塚小雨 13番護国寺・14番金乗院・16番安養寺 No5 8月23日四谷晴 18番真成院・24番梅窓院・22番長谷寺 No6浜松町晴 21番増上寺・28番金地院・20番天徳寺 No7 10月27日方南町晴 17番寳福寺・19番東円寺 No8 11月15日田町晴 26番済海寺・25番魚籃寺・27番道住時・29番高野山別院 No9 12月12日品川晴 30番一心寺・31番品川寺・番外海雲寺