2016.01.17【高麗山】報告 辰巳L.
実施日:平成28年1月17日(日) 晴れのち曇り レベル3
リーダー:辰巳 哲夫
協力リーダー:保倉 惠美子(投稿者)
協力者:毛塚 順一
参加リーダー:有里 公男 渡邊 幸一
参加者:30名(男性11名 女性19名)
コース:大磯駅9時31分着 歩行開始9:55→化粧坂(ケワイ)→高来神社(タカク)10:20→高麗山(コマヤマ)10:50→ハ俵山(ハッピョウヤマ)11:05→浅間山11:25→湘南平11:40(昼食)12:30→善兵衛池→宮之上公園12:55→大磯駅13:20 解散
行動時間:3時間25分 実歩時間2時間10分
9:55 歩行開始 閑静な住宅街を歩きます。
化粧坂(ケワイザカ) 色々な歴史があり、案内板があって面白い。
古くは「ケワイ」と読み、その場合は「身だしなみを整える」と言う意味に使われていたようです。
「化粧坂の一里塚」旅人の旅程の目安となり江戸日本橋より十六里のところに日陰で風よけなどで小休息の場となる。高さ約三米程の上に海側に榎を山側にせんだんを植えた。
化粧井戸:当時の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名前がついたといわれている。
虚空蔵堂:虚空蔵と熊野権現を祀ったお堂。大名行列もここで下馬し、高麗寺に最敬礼をして静かに寺領地内を通った。
10:20高来神社 趣のある神社です。
関東ふれあいの道です。
日本の大化改新のころ、高句麗はそれまでの勢いを失い滅びてしまい、日本に難を逃れたてきた人も多く、その中に高句麗王族の一人 若光(じゃっこう)がいました。若光は一族を率いて大磯に上陸し、高麗山の麓にある化粧坂の付近に移り住みました。時を経て、若光一族も含めた関東の各地にいた高麗人は武蔵野国に集められ高麗郡が設置され、若光はその郡令に任命されました(西武池袋線の高麗)。高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗山」の名前がついたといわれています。
神社の裏から高麗山のハイキングコースになっています。本日は女坂を登ります。
快調に登ります。
まだ紅葉が残っていました!
あともう少しで高麗山の頂上です。
椿がきれいな花をつけていました。
女坂でも階段が多いです。
最後の急な階段! 汗が噴き出てきます。
10:50 高麗山山頂
展望はありませんが広々とした山頂です。小さな祠がありました。
高麗山を後にして進みます。
りっぱな橋がありました。
緩やかなアップダウン。
11:05 八俵山 何もないところで、この案内板がありました。
八俵山にある道標。
八俵山の下り。
広場みたいなところを歩きます。水仙が咲いていました。
桜も咲いていました! 椿も!
テング巣病にかかったメイヨシノを平塚市が市民団体と協働で大事に植栽されていました。
11:25 浅間山 浅間神社
浅間神社の裏には一等三角点があります。
11:40 浅間山から15分ほどで湘南平に着きました。テレビ塔。下の赤いところまで登れます。
広々とした山頂。ここでお昼です。奥に見えるのはレストハウス。その上が展望台になっています。
せっかく展望台に行ったのですが、どんよりなお天気になってしましました。朝の☀が信じられません。
海もこんな感じです。晴れていれば、富士山はじめ丹沢、箱根の山々が見渡せられます。
湘南平は気持の良い広場です。
12:30 下山開始
緩やかな下りです。
下山途中の景色。 何の建物かわかりませんが、おもしろいので撮りました。
12:45 舗装に出ました。
善兵衛池:この辺りは水が乏しく荒れた山田であった。 土地の人望があった善人善兵衛はその困窮を聞いて農地の開発を志し、すべて自分で事業を行った。 1600人の労力をかけて東西24m-南北16m-深さ4.5mの用水池をつくり・・・。
12:55 小さな公園で休憩
趣のある道標
トンネルを抜け、線路の反対側に行きます。
トンネルの中はこのような絵が描かれていました。「大磯町立国府中学校」の作品
大磯駅に向かいます。13:20大磯駅 解散
リーダーコメント
皆さまお疲れさまでした。お天気が曇りで残念ながら富士山は見えませんでしたが、雨が降らず幸いでした。
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