2016.12.08【石神井公園】報告 保倉L
リーダー:保倉 惠美子
サブリーダー:岩間 英之(投稿者) 金子 敬
参加リーダー:小泉 純子
参加者:42名(男性13名女性29名)
歩程:2時間45分
コース:練馬高野台駅10:31集合→長命寺10:50→長光寺公園11:15→和田堀緑道11:25→石神井公園記念庭園草地広場11:45→おべんと広場(昼食12:10~12:50)→ふるさと文化館・旧内田家住宅12:55→道場寺・三宝寺13:35→石神井城跡14:10→三宝寺池・厳島神社14:20→水辺観察園14:35→中の島14:50→石神井公園駅(解散)15:10
サブリーダー金子 敬さんの手作り地図
10:50長命寺到着
真言宗豊山派の長命寺は、東高野山妙楽院長命寺と号します。長命寺は、慶長18年(1613)、後北条氏の一族である増島重俊が諸堂を建立、寛永17年(1640)に大和長谷寺の秀算により「長谷密寺」と号したといいます。奥の院は、高野山の地勢を模しており、東高野、新高野として隆盛、江戸幕府には9石5斗の御朱印を与えられていたといいます。
真言宗豊山派の長命寺は、東高野山妙楽院長命寺と号します。長命寺は、慶長18年(1613)、後北条氏の一族である増島重俊が諸堂を建立、寛永17年(1640)に大和長谷寺の秀算により「長谷密寺」と号したといいます。奥の院は、高野山の地勢を模しており、東高野、新高野として隆盛、江戸幕府には9石5斗の御朱印を与えられていたといいます。
南大門…当寺院の山門で四天王像が安置されている。
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姿見の井戸(井戸をのぞきこんだときに、自分の顔が水面に写れば長生きできるという言い伝えがある。)
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ねりまの名木
石神井川沿いを歩く
11:40石神井池到着
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石神井公園の紅葉①
石神井公園の紅葉②
石神井公園の紅葉③
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石神井池のオブジェ
石神井公園おべんと広場で昼食(12:10~12:50)
12:55ふるさと文化館到着(石神井公園ふるさと文化館は練馬区の歴史や伝統文化、自然などについて体験しながら楽しく学ぶことができ、観光情報も発信する新しい博物館です。)
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旧内田家住宅は、桁行(けたゆき)8.5間(けん)(15.3メートル)、梁間(はりま)5.5間(けん)(10.9メートル)の整形四間取りの主体部とその北西部に梁間(はりま)3.5間(けん)(6.4メートル)、桁行(けたゆき)2.5間(4.4メートル)の角屋(つのや)からなる茅葺(かやぶ)きの寄棟造(よせむねづくり)、平入(ひらい)りの建築物です。 小屋裏でみつかった明治22年(1889年)の年記のある文書(もんじょ)や伝聞(でんぶん)、建築当初からの洋釘(ようくぎ)の使用などから明治20年代初頭の建築と推定されます。建築の構造、形式、部材の仕上げ、痕跡などから一部に江戸時代に建てられた民家の古材(ふるざい)を使用していたと考えられます。 もとは練馬区中村にありましたが、平成19年(2007年)5月に解体され、平成22年に区立石神井公園ふるさと文化館の屋外展示施設として、区立池淵史跡公園へ移築復元しました。 部分的な改造はありますが、建築当初の主要な部材や構造、形式を良好にとどめており、区内に現存する数少ない伝統的茅葺き屋根の民家建築です。
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甘藍(きゃべつ)の碑
13:35道場寺到着(曹洞宗寺院の道場寺は、豊島山無量院と号します。道場寺は、文中元年(北朝応安5年、1372年)、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて創建したといいます。)
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立派な三重の塔
真言宗智山派寺院の三宝寺は、亀頂山密乗院三宝寺と号し、応永元年(1394)に鎌倉大楽寺の大徳権大僧都幸尊法印が当地周辺に創建しました。文明9年(1477)、太田道灌により当地へ移転、天正19年(1591)には10石を与えられた御朱印寺でした。
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三宝寺根本大塔
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参加者の皆さまお疲れ様でした。お天気に恵まれ、
初冬の公園を皆様と一緒に楽しくウォーキングができたことに感謝いたします。
ありがとうございました。
保倉 惠美子